国語 / 魯語下
襄公在楚,季武子取卞,使季冶逆,追而予之璽書,以告曰:「卞人將畔,臣討之,既得之矣。」公未言,榮成子曰:「子股肱魯國,社稷之事,子實制之。唯子所利,何必卞?卞有罪而子征之,子之隸也,又何謁焉?」子冶歸,致祿而不出,曰:「使予欺君,謂予能也。欺其君,敢享其祿而立其朝乎?」
新字:襄公在楚,季武子取卞,使季冶逆,追而予之璽書,以告曰:「卞人将畔,臣討之,既得之矣。」公未言,栄成子曰:「子股肱魯国,社稷之事,子実制之。唯子所利,何必卞?卞有罪而子征之,子之隸也,又何謁焉?」子冶帰,致禄而不出,曰:「使予欺君,謂予能也。欺其君,敢享其禄而立其朝乎?」
書き下し
襄公楚に在り。季武子卞を取り、季冶(きや)をして逆(むか)えしめ、追いて之に璽書を予えて、以て告げしめて曰く、「卞人将に畔(そむ)かんとす。臣之を討ちて、既に之を得たり」と。公未だ言わず。栄成子(えいせいし)曰く、「子は魯国に股肱たり。社稷の事は、子実に之を制す。唯だ子の利とする所のみ。何ぞ必ずしも卞のみならん。卞罪有りて子之を征す。子の隷なり。又た何ぞ謁(つ)げんや」と。子冶帰り、禄を致して出でず。曰く、「予をして君を欺かしめて、予を能と謂う。其の君を欺きて、敢えて其の禄を享けて其の朝に立たんや」と。
現代語訳
魯の襄公が楚にいたとき、季武子(魯の執政)は卞の邑を攻め取り、一族の季冶を迎えの使者に立てた。そして後から璽で封印した書状を追いかけて季冶に渡し、こう告げさせた。「卞の人々が背こうとしていたので、私が討伐し、すでに手に入れました」。襄公はまだ何も言わなかった。栄成子(魯の大夫、栄成伯)が季冶に言った。「あなたの主人は魯の手足となる重臣で、国家のことは実際にあの方が取り仕切っている。あの方が利とするところなら、何も卞に限るまい。卞に罪があってそれを討ったのなら、卞はあの方の配下だ。それをまたどうしてわざわざ告げに来るのか」。季冶は帰国すると、俸禄を返上して出仕しなくなり、こう言った。「私を使って君を欺かせながら、私を役に立つ者だと言う。自分の君を欺いておいて、どうしてその俸禄を受け、その朝廷に立っていられようか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公二十九年 公冶、季氏を拒む五月、公、楚より至る。公冶、其の邑を季氏に致して、終に入らず。曰く、「其の君を欺く、何ぞ必ずしも余を使はん」と。季孫之を見れば、則ち季氏を言ふこと他日の如し。見ざれば、則ち終に季氏を言はず。疾むに及びて、其の臣を聚めて曰く、「我死せば、必ず冕服を以て斂むる無かれ。德賞に非ざるなり。且つ季氏をして我を葬らしむる無かれ」と。靈王を葬る。鄭の上卿、事有り。子展、印段をして往かしむ。伯有曰く、「弱し、不可なり」と。子展曰く、「其の往く莫からんよりは、弱きも猶ほ愈らずや。詩に云ふ、『王事盬(や)むこと靡し、啟處するに遑あらず』と、『東西南北、誰か敢へて寧處せん』と。堅く晉・楚に事へ、以て王室に蕃たるなり。王事曠しくすること無くんば、何の常か之れ有らん」と。遂に印段をして
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国語・魯語下襄公楚に如き、漢に及びて、康王の卒するを聞き、還らんと欲す。叔仲昭伯(しゅくちゅうしょうはく)曰く、「君の来たるや、一人の為に非ざるなり。其の名と其の衆との為なり。今、王死すも、其の名未だ改まらず、其の衆未だ敗れず。何為(なんす)れぞ還らん」と。諸大夫皆還らんと欲す。子服恵伯(しふくけいはく)曰く、「為す所を知らず。姑(しばら)く君に従わんか」と。叔仲曰く、「子の来たるや、身を安んぜんと欲するに非ざるなり。国家の利の為なり。故に勤遠を憚らずして楚に聴く。楚を義とするに非ざるなり。其の名と衆とを畏るるなり。夫れ人を義とする者は、固より其の喜びを慶して其の憂いを弔す。況んや畏れて服するをや。畏るるを聞きて往き、喪を聞きて還る。苟(まこと)に羋姓(びせい)実に嗣がば、其れ誰か之に代わりて喪に任ぜん。王の太子又た長ぜり。執政未だ改まらず。予、先君の為に来たり、死して之を去らば、其れ誰か先君に如かずと曰わざらん。将に喪の為に挙げんとす。喪を聞きて還らば、其れ誰か侮るに非ずと曰わん。其の君に事えて其の政に任ずる、其れ誰か己に由りて貳(そむ)かん。其の侮りを説(と)かんことを求めて、前の人よりも亟(すみ)やかならば、其の讎(あだ)滋々大ならざらんや。侮りを説きて懦(だ)ならず、政を執りて貳かず、大讎を帥いて以て小国を憚(おそ)れしめば、其れ誰か之を待つと云わん。若し君に従いて患に走らば、則ち君に違いて以て難を避くるに如かず。且つ夫れ君子は計成りて而る後に行う。二三子計れるか。楚を禦ぐの術有りて国を守るの備え有らば、則ち可なり。若し未だ有らずんば、往くに如かず」と。乃ち遂に行く。 反(かえ)りて方城に及び、季武子の卞(べん)を襲うを聞き、公還らんと欲し、楚の師を出だして以て魯を伐たんとす。栄成伯(えいせいはく)曰く、「不可なり。君の臣に於けるや、其の威大なり。令を国に能くせずして諸侯を恃(たの)まば、諸侯其れ誰か之に暱(ちか)づかん。若し楚の師を得て以て魯を伐たば、魯既に夙(しゅく)の卞を取るに違わざれば、必ず命を用いん。守り必ず固からん。若し楚の魯に克たば、諸姫(しょき)も闚(うかが)うを獲ず。而るを況んや君をや。彼亦た其の同類を置きて以て東夷を服し、大いに諸夏を攘(はら)いて、将に天下に是れ王たらんとすること無からんや。而して何ぞ君に徳として、其れ君に予えんや。若し魯に克たずんば、君、蛮・夷を以て之を伐ち、而して又た入らんことを求むるも、必ず獲ざらん。之に予うるに如かず。夙の君に事うるや、敢えて悛(あらた)めずんばあらず。酔いて怒り、醒めて喜ぶ。庸(なん)ぞ何ぞ傷まん。君其れ入れ」と。乃ち帰る。
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国語・魯語下季武子(きぶし)、三軍を為(つく)らんとす。叔孫穆子曰く、「不可なり。天子は師を作り、公之を帥いて、以て不徳を征す。元侯は師を作り、卿之を帥いて、以て天子を承(う)く。諸侯は卿有りて軍無く、教衛を帥いて以て元侯を賛(たす)く。伯・子・男より大夫有りて卿無く、賦を帥いて以て諸侯に従う。是を以て上は能く下を征し、下には姦慝(かんとく)無し。今、我は小侯なり。大国の間に処(お)り、貢賦を繕(おさ)めて以て従者に共(きょう)するも、猶お討たるること有らんことを懼る。若し元侯の所を為して、以て大国を怒らせば、乃ち不可なること無からんや」と。従わず。遂に中軍を作る。是より斉・楚代わる代わる魯を討ち、襄・昭皆楚に如く。
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『春秋左氏伝』襄公二十九年 襄公、楚に襚す二十九年春王正月、公、楚に在り。朝して廟に正さざるを釋くなり。楚人、公をして親ら襚せしむ。公之を患ふ。穆叔曰く、「殯を袚ひて襚すれば、則ち布幣なり」と。乃ち巫をして桃茢(たうれつ)を以て先づ殯を袚はしむ。楚人禁ぜず。既にして之を悔ゆ。二月癸卯、齊人、莊公を北郭に葬る。夏四月、楚の康王を葬る。公及び陳侯・鄭伯・許男、葬を送り、西門の外に至る。諸侯の大夫、皆墓に至る。楚の郟敖、位に即き、王子圍、令尹と為る。鄭の行人子羽曰く、「是れ宜しからずと謂ふ。必ず之に代はりて昌えん。松柏の下、其の草殖えず」と。公還りて方城に及ぶ。季武子、卞を取り、公冶をして問はしむ。璽書追ひて之に與へて曰く、「卞を守る者將に叛かんとすと聞き、臣、徒を帥ゐて以て之を討ち、既に之を得たり。敢へて告ぐ」と。公冶、使を致して退く。舍に及びて而る後に卞を取るを聞く。公曰く、「之を欲して叛くと言ふ、祇(ただ)に疏まるるを見るのみ」と。公、公冶に謂ひて曰く、「吾以て入るべきか」と。對へて曰く、「君實に國を有つ。誰か敢へて君に違はん」と。公、公冶に冕服を與ふ。固辭す。之を強ひて而る後に受く。公入る無からんと欲す。榮成伯、式微を賦す。乃ち歸る。
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『春秋左氏伝』成公十六年 妾は帛を衣ず九月、晉人季文子を苕丘に執ふ。公還りて、鄆に待つ。子叔聲伯をして季孫を晉に請はしむ。郤犨曰く、「苟も仲孫蔑を去りて季孫行父を止めば、吾子に國を與へ、公室より親しくせん」と。對へて曰く、「僑如の情は、子必ず之を聞けり。若し蔑と行父とを去らば、是れ大いに魯國を棄てて、寡君を罪するなり。若し猶ほ棄てずして、惠みて周公の福を徼め、寡君をして晉君に事ふるを得しめば、則ち夫の二人は、魯國の社稷の臣なり。若し朝に之を亡はば、魯必ず夕に亡びん。魯の仇讎に密邇するを以って、亡びて讎と為らば、之を治むるも何ぞ及ばん」と。郤犨曰く、「吾子の為に邑を請はん」と。對へて曰く、「嬰齊は、魯の常隸なり。敢へて大國に介して、以って厚きを求めんや。寡君の命を承けて以って請ふ。若し請ふ所を得ば、吾子の賜多し。又何をか求めん」と。范文子欒武子に謂ひて曰く、「季孫は魯に於いて、二君に相たり。妾は帛を衣ず、馬は粟を食まず。忠と謂はざる可けんや。讒慝を信じて忠良を棄てば、諸侯を若何せん。子叔嬰齊は君命を奉じて私無く、國家を謀りて貳あらず、其の身を圖りて其の君を忘れず。若し其の請を虛しくせば、是れ善人を棄つるなり。子其れ之を圖れ」と。乃ち魯の平を許し、季孫を赦す。冬、十月、叔孫僑如を出だして之に盟ふ。僑如齊に奔る。
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『春秋左氏伝』襄公二年 鄭成公、楚に背かず二年春、鄭の師、宋を侵す。楚の令なり。齊侯、萊を伐つ。萊人、正輿子をして夙沙衛に賂(まひな)ふに索馬牛を以てせしむ、皆百匹。齊の師乃ち還る。君子是を以て齊の靈公の靈たるを知る。夏、齊姜薨ず。初め、穆姜、美檟を擇ばしめ、以て自ら櫬(ひつぎ)と頌琴とを爲る。季文子取りて以て葬る。君子曰く、「禮に非ざるなり。禮は逆ふる所無し。婦は姑を養ふ者なり。姑を虧きて以て婦を成す、逆焉より大なるは莫し。詩に曰く、『其れ惟れ哲人、之に話言を告ぐれば、德に順ひて之れ行ふ』と。季孫是に於て哲ならずと爲す。且つ姜氏は君の妣なり。詩に曰く、『酒を爲り醴を爲り、烝(すす)めて祖妣に畀(あた)へ、以て百禮を洽(あまね)くし、福を降すこと孔(はなは)だ偕(あまね)し』と」と。齊侯、諸姜・宗婦をして來りて葬を送らしむ。萊子を召す。萊子會せず。故に晏弱、東陽に城きて以て之に偪る。鄭の成公疾む。子駟、肩を晉に息めんことを請ふ。公曰く、「楚君、鄭の故を以て、親ら矢を其の目に集む。異人の任に非ず、寡人なり。若し之に背かば、是れ力と言とを棄つるなり。其れ誰か我に暱(した)しまん。寡人を免(ゆる)さば、唯だ二三子のみ」と。
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