国語 / 魯語下
襄公如楚,及漢,聞康王卒,欲還。叔仲昭伯曰:「君之來也,非為一人也,為其名與其眾也。今王死,其名未改,其眾未敗,何為還?」諸大夫皆欲還。子服惠伯曰:「不知所為,姑從君乎!」叔仲曰:「子之來也,非欲安身也,為國家之利也,故不憚勤遠而聽於楚;非義楚也,畏其名與眾也。夫義人者,固慶其喜而弔其憂,況畏而服焉?聞畏而往,聞喪而還,苟羋姓實嗣,其誰代之任喪?王太子又長矣,執政未改,予為先君來,死而去之,其誰曰不如先君?將為喪舉,聞喪而還,其誰曰非侮也?事其君而任其政,其誰由己貳?求說其侮,而亟於前之人,其讎不滋大乎?說侮不懦,執政不貳,帥大讎以憚小國,其誰云待之?若從君而走患,則不如違君以避難。且夫君子計成而後行,二三子計乎?有禦楚之術而有守國之備,則可也;若未有,不如往也。」乃遂行。 反,及方城,聞季武子襲卞,公欲還,出楚師以伐魯。榮成伯曰:「不可。君之於臣,其威大矣。不能令於國,而恃諸侯,諸侯其誰暱之?若得楚師以伐魯,魯既不違夙之取卞也,必用命焉,守必固矣。若楚之克魯,諸姬不獲闚焉,而況君乎?彼無亦置其同類以服東夷,而大攘諸夏,將天下是王,而何德於君,其予君也?若不克魯,君以蠻、夷伐之,而又求入焉,必不獲矣。不如予之。夙之事君也,不敢不悛。醉而怒,醒而喜,庸何傷?君其入也!」乃歸。
新字:襄公如楚,及漢,聞康王卒,欲還。叔仲昭伯曰:「君之来也,非為一人也,為其名与其衆也。今王死,其名未改,其衆未敗,何為還?」諸大夫皆欲還。子服恵伯曰:「不知所為,姑従君乎!」叔仲曰:「子之来也,非欲安身也,為国家之利也,故不憚勤遠而聴於楚;非義楚也,畏其名与衆也。夫義人者,固慶其喜而弔其憂,況畏而服焉?聞畏而往,聞喪而還,苟羋姓実嗣,其誰代之任喪?王太子又長矣,執政未改,予為先君来,死而去之,其誰曰不如先君?将為喪舉,聞喪而還,其誰曰非侮也?事其君而任其政,其誰由己貳?求説其侮,而亟於前之人,其讎不滋大乎?説侮不懦,執政不貳,帥大讎以憚小国,其誰云待之?若従君而走患,則不如違君以避難。且夫君子計成而後行,二三子計乎?有禦楚之術而有守国之備,則可也;若未有,不如往也。」乃遂行。 反,及方城,聞季武子襲卞,公欲還,出楚師以伐魯。栄成伯曰:「不可。君之於臣,其威大矣。不能令於国,而恃諸侯,諸侯其誰暱之?若得楚師以伐魯,魯既不違夙之取卞也,必用命焉,守必固矣。若楚之克魯,諸姫不獲闚焉,而況君乎?彼無亦置其同類以服東夷,而大攘諸夏,将天下是王,而何徳於君,其予君也?若不克魯,君以蠻、夷伐之,而又求入焉,必不獲矣。不如予之。夙之事君也,不敢不悛。酔而怒,醒而喜,庸何傷?君其入也!」乃帰。
書き下し
襄公楚に如き、漢に及びて、康王の卒するを聞き、還らんと欲す。叔仲昭伯(しゅくちゅうしょうはく)曰く、「君の来たるや、一人の為に非ざるなり。其の名と其の衆との為なり。今、王死すも、其の名未だ改まらず、其の衆未だ敗れず。何為(なんす)れぞ還らん」と。諸大夫皆還らんと欲す。子服恵伯(しふくけいはく)曰く、「為す所を知らず。姑(しばら)く君に従わんか」と。叔仲曰く、「子の来たるや、身を安んぜんと欲するに非ざるなり。国家の利の為なり。故に勤遠を憚らずして楚に聴く。楚を義とするに非ざるなり。其の名と衆とを畏るるなり。夫れ人を義とする者は、固より其の喜びを慶して其の憂いを弔す。況んや畏れて服するをや。畏るるを聞きて往き、喪を聞きて還る。苟(まこと)に羋姓(びせい)実に嗣がば、其れ誰か之に代わりて喪に任ぜん。王の太子又た長ぜり。執政未だ改まらず。予、先君の為に来たり、死して之を去らば、其れ誰か先君に如かずと曰わざらん。将に喪の為に挙げんとす。喪を聞きて還らば、其れ誰か侮るに非ずと曰わん。其の君に事えて其の政に任ずる、其れ誰か己に由りて貳(そむ)かん。其の侮りを説(と)かんことを求めて、前の人よりも亟(すみ)やかならば、其の讎(あだ)滋々大ならざらんや。侮りを説きて懦(だ)ならず、政を執りて貳かず、大讎を帥いて以て小国を憚(おそ)れしめば、其れ誰か之を待つと云わん。若し君に従いて患に走らば、則ち君に違いて以て難を避くるに如かず。且つ夫れ君子は計成りて而る後に行う。二三子計れるか。楚を禦ぐの術有りて国を守るの備え有らば、則ち可なり。若し未だ有らずんば、往くに如かず」と。乃ち遂に行く。 反(かえ)りて方城に及び、季武子の卞(べん)を襲うを聞き、公還らんと欲し、楚の師を出だして以て魯を伐たんとす。栄成伯(えいせいはく)曰く、「不可なり。君の臣に於けるや、其の威大なり。令を国に能くせずして諸侯を恃(たの)まば、諸侯其れ誰か之に暱(ちか)づかん。若し楚の師を得て以て魯を伐たば、魯既に夙(しゅく)の卞を取るに違わざれば、必ず命を用いん。守り必ず固からん。若し楚の魯に克たば、諸姫(しょき)も闚(うかが)うを獲ず。而るを況んや君をや。彼亦た其の同類を置きて以て東夷を服し、大いに諸夏を攘(はら)いて、将に天下に是れ王たらんとすること無からんや。而して何ぞ君に徳として、其れ君に予えんや。若し魯に克たずんば、君、蛮・夷を以て之を伐ち、而して又た入らんことを求むるも、必ず獲ざらん。之に予うるに如かず。夙の君に事うるや、敢えて悛(あらた)めずんばあらず。酔いて怒り、醒めて喜ぶ。庸(なん)ぞ何ぞ傷まん。君其れ入れ」と。乃ち帰る。
現代語訳
魯の襄公が楚へ向かい、漢水まで来たところで楚の康王が亡くなったと聞き、引き返そうとした。叔仲昭伯(魯の大夫)が言った。「君がお越しになったのは、康王一人のためではありません。楚の名声とその兵力のためです。いま王が亡くなっても、楚の名声はまだ変わらず、兵力もまだ衰えていません。どうして引き返すことがありましょう」。大夫たちはみな引き返したがった。子服恵伯(魯の大夫、名は椒)は言った。「どうしてよいかわからない。ひとまず君に従っておこうか」。叔仲は言った。「あなたがここに来たのは、身の安全を求めてではなく、国家の利益のためです。だからこそ遠路の苦労もいとわず楚の言うことを聞いているのです。楚が正しいと思っているからではなく、その名声と兵力を恐れているからです。そもそも相手を正しいと思って仕える者でも、その喜びを祝い、その憂いを弔うのが当然です。まして恐れて服している相手ならなおさらです。恐れて出かけたのに、喪を聞いて引き返すとは何事でしょう。羋姓(楚の王族)の者が跡を継ぐ以上、喪を仕切るのは誰か別の者ではありません。王の太子はもう成人しており、執政も替わっていません。われわれは先君との関係のために来たのに、その死を聞いて去ったら、誰が『先君に及ばぬと侮ったのだ』と言わずにいましょう。喪のために出向こうとしていたのに、喪を聞いて帰れば、誰が侮りではないと言ってくれましょう。新しい君に仕えて政治を任される者たちが、誰が自分から楚の方針を変えましょうか。その者たちが侮りへの恨みを晴らそうとし、前の者たちよりも性急であれば、魯への恨みはいよいよ大きくなるでしょう。恨みを晴らすのに臆さず、政治を執って方針を変えず、大きな恨みを抱えた大軍を率いて小国をおびやかしてきたら、誰がそれを防げましょうか。もし君に従って禍いに向かって走るのであれば、いっそ君に逆らってでも難を避けるほうがましです。そもそも君子は計画が立ってから行動するものです。皆さんは計画を立てておられるのか。楚を防ぐ手立てがあり、国を守る備えがあるのなら、引き返してもよいでしょう。もしまだないのなら、行くに越したことはありません」。こうしてついに楚へ向かった。 帰りに方城(楚の北境の長城)まで来たところで、季武子(魯の執政)が卞の邑を攻め取ったと聞いた。襄公は引き返し、楚の軍を借りて魯を討とうとした。栄成伯(魯の大夫)が言った。「なりません。君は臣に対して大きな威光をお持ちです。自国で命令を行えずに諸侯を頼みとすれば、どの諸侯が君に親しみましょうか。もし楚の軍を得て魯を討てば、魯の者たちはすでに季孫夙(季武子)が卞を取ったことに逆らっていないのですから、必ず季孫の命令に従い、守りは必ず固くなるでしょう。もし楚が魯に勝ったならば、周の同姓の諸侯でさえ魯をうかがうことはできなくなります。まして君はなおさらです。楚は自分の手の者を魯に置いて東方の夷を従わせ、中原の諸国を大いに打ち払って、天下の王になろうとしないはずがありましょうか。どうして君に恩を感じて魯を返してくれましょう。もし楚が魯に勝てなければ、君は蛮夷の兵で自国を討ったうえに、なお国に戻ろうとしても、決してかなわないでしょう。いっそ卞は季孫に与えておかれるのがよろしい。季孫夙が君にお仕えするうえで、改めないということはありません。酔って怒った者も、醒めれば機嫌を直すものです。何の差し支えがありましょう。君はどうかお帰りください」。襄公はそこで魯に帰った。
解説
この章句が説くこと
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