国語 / 周語下
「天六地五,數之常也。經之以天,緯之以地。經緯不爽,文之象也。文王質文,故天胙之以天下。夫子被之矣,其昭穆又近,可以得國。且夫立無跛,正也;視無還,端也;聽無聳,成也;言無遠,慎也。夫正,德之道也;端,德之信也;成,德之終也;慎,德之守也。守終純固,道正事信,明令德矣。慎成端正,德之相也。為晉休戚,不背本也。被文相德,非國何取! 「成公之歸也,吾聞晉之筮之也,遇《乾》之《否》,曰:『配而不終,君三出焉。』一既往矣,後之不知,其次必此。且吾聞成公之生也,其母夢神規其臀以墨,曰:『使有晉國,三而畀驩之孫。』故名之曰『黑臀』,於今再矣。襄公曰驩,此其孫也。而令德孝恭,非此其誰?且其夢曰:『必驩之孫,實有晉國。』其卦曰:『必三取君於周。』其德又可以君國,三襲焉。吾聞之《大誓》,故曰:『朕夢協朕卜,襲于休祥,戎商必克。』以三襲也。晉仍無道而鮮冑,其將失之矣。必早善晉子,其當之也。」 頃公許諾。及厲公之亂,召周子而立之,是為悼公。
新字:「天六地五,数之常也。経之以天,緯之以地。経緯不爽,文之象也。文王質文,故天胙之以天下。夫子被之矣,其昭穆又近,可以得国。且夫立無跛,正也;視無還,端也;聴無聳,成也;言無遠,慎也。夫正,徳之道也;端,徳之信也;成,徳之終也;慎,徳之守也。守終純固,道正事信,明令徳矣。慎成端正,徳之相也。為晋休戚,不背本也。被文相徳,非国何取! 「成公之帰也,吾聞晋之筮之也,遇《乾》之《否》,曰:『配而不終,君三出焉。』一既往矣,後之不知,其次必此。且吾聞成公之生也,其母夢神規其臀以墨,曰:『使有晋国,三而畀驩之孫。』故名之曰『黒臀』,於今再矣。襄公曰驩,此其孫也。而令徳孝恭,非此其誰?且其夢曰:『必驩之孫,実有晋国。』其卦曰:『必三取君於周。』其徳又可以君国,三襲焉。吾聞之《大誓》,故曰:『朕夢協朕卜,襲于休祥,戎商必克。』以三襲也。晋仍無道而鮮冑,其将失之矣。必早善晋子,其当之也。」 頃公許諾。及厲公之乱,召周子而立之,是為悼公。
書き下し
「天は六、地は五、数の常なり。之を経(たていと)にするに天を以てし、之を緯(よこいと)にするに地を以てす。経緯爽(たが)わざる、文の象なり。文王は質文なり、故に天之に胙(さいわい)するに天下を以てす。夫子之を被(こうむ)れり。其の昭穆又近し、以て国を得べし。且つ夫れ立ちて跛ること無きは正なり。視て還らすこと無きは端なり。聴きて聳つること無きは成なり。言いて遠きこと無きは慎なり。夫れ正は徳の道なり。端は徳の信なり。成は徳の終わりなり。慎は徳の守りなり。守り終わること純固にして、道正しく事信なれば、令徳を明らかにす。慎・成・端・正は徳の相(たすけ)なり。晋の為に休戚するは、本に背かざるなり。文を被り徳を相く、国に非ずして何をか取らん。 「成公の帰るや、吾聞く、晋之を筮(ぜい)し、乾の否に之くに遇う。曰く、『配して終えず、君三たび出でん』と。一は既に往けり。後は之を知らず。其の次は必ず此れならん。且つ吾聞く、成公の生まるるや、其の母神其の臀(しり)に規(えが)くに墨を以てするを夢む。曰く、『晋国を有たしめ、三にして驩(かん)の孫に畀(あた)えん』と。故に之に名づけて『黒臀(こくとん)』と曰う。今に於いて再びなり。襄公を驩と曰う、此れ其の孫なり。而して令徳孝恭なり、此に非ずして其れ誰ぞ。且つ其の夢に曰く、『必ず驩の孫、実に晋国を有たん』と。其の卦に曰く、『必ず三たび君を周に取らん』と。其の徳又以て国に君たるべし。三たび襲(かさ)なれり。吾之を大誓に聞く、故に曰く、『朕の夢朕の卜に協(かな)い、休祥に襲なる、商を戎(う)ちて必ず克たん』と。三たび襲なるを以てなり。晋仍(しばしば)道無くして冑(ちゅう)鮮(すくな)し。其れ将に之を失わんとす。必ず早く晋子を善くせよ、其れ之に当たらん」と。 頃公許諾す。厲公の乱に及び、周子を召して之を立つ、是を悼公と為す。
現代語訳
(単襄公は続けた。)「天の数は六、地の数は五、これは数の常である。天を縦糸とし、地を横糸として織りなし、縦横がたがわないのが文のすがたである。文王は生まれながらに文の徳を備えていたから、天は天下をもって福とした。あの方はこの文を身にまとっている。しかも晋の君の血筋に近いから、国を得ることができよう。それに、立って偏らないのは正、目を転じないのは端、耳をそばだてないのは成(落ち着き)、遠いことを言わないのは慎である。正は徳の道筋、端は徳のまこと、成は徳の仕上げ、慎は徳の守りである。守りと仕上げが純一で堅固であり、道筋が正しくまことが行き届けば、りっぱな徳が明らかになる。慎・成・端・正は徳を助けるものだ。晋のために喜び憂えるのは、自分の根本に背かないということだ。文を身にまとい徳に助けられているのだから、国でなくて何を得るというのか。 「晋の成公が周から帰国して即位したとき、晋でそれを筮で占ったところ、乾の卦が否の卦に変わる形が出て、『天に配されるが終わりまでは続かず、君が三度周から出る』という辞であったと聞いている。一人目(成公)はすでに行った。最後が誰かはわからないが、次は必ずこの人だろう。さらに私は聞いている。成公が生まれるとき、その母は、神が赤子の尻に墨で印を描き、『晋の国を持たせよう。三代ののち驩の孫に与えよう』と言う夢を見た。それで黒臀と名づけたのだという。今までにすでに二代を経た。晋の襄公の名は驩であり、この人はその子孫である。しかも立派な徳を持ち、孝行で恭しい。この人でなくて誰だというのか。夢には『必ず驩の孫が晋国を持つ』とあり、卦には『必ず三度君を周から迎える』とある。そのうえ徳も国の君たるにふさわしい。三つが重なり合ったのだ。私は『大誓』にこうあると聞いている。『わが夢はわが卜に合い、めでたいしるしに重なった。殷を討てば必ず勝つ』。三つが重なったからである。晋はたびたび無道を重ねて、公室の跡継ぎも少ない。いずれ国を失うことになろう。早く晋子(周)を大切にしておけ。その人が国を受け継ぐことになる。」 頃公は承知した。のちに晋で厲公が殺される乱が起こると、晋は周子を迎えて君に立てた。これが悼公である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尚書・多士惟れ三月、周公初めて新邑の洛に于(お)いて、用て商王の士に告ぐ。王若(かく)のごとく曰く、「爾殷の遺れる多士よ。弔(あは)れまれず、旻天大いに喪を殷に降す。我有周は命を佑け、天の明威を将ひ、王の罰を致し、殷の命を勑(ただ)して帝に終へしむ。肆(ゆゑ)に爾多士よ、我が小国の敢へて殷の命を弋(と)るに非ず。惟れ天畀(あた)へず、允(まこと)に乱を固くする罔からしめ、我を弼く。我其れ敢へて位を求めんや。惟れ帝畀へず、惟れ我が下民の秉り為すところは、惟れ天の明畏なり。我聞く、曰く、上帝は逸を引く、と。有夏は逸に適はず、則ち惟れ帝格を降し、時の夏に嚮ふ。帝を庸(もち)ふる克はず、大いに淫泆し、辞有り。惟れ時に天念聞する罔く、厥れ惟れ元命を廃し、罰を降致す。乃ち爾の先祖成湯に命じて夏を革め、俊民をして四方を甸(をさ)めしむ。成湯より帝乙に至るまで、徳を明らかにし祀を卹(うれ)へざる罔し。亦惟れ天丕いに建て、有殷を保乂す。殷王も亦敢へて帝を失ふ罔く、天に配して其の沢あらざる罔し。今の後嗣の王に在りては、誕いに天に顕らかなる罔し。矧(いは)んや曰く其れ先王の家に勤めしを聴念する有らんや。誕いに厥の泆に淫し、天の顕らかなると民の祗(つつし)むとを顧みる罔し。惟れ時に上帝保たず、茲の若き大喪を降す。惟れ天は其の徳を明らかにせざるに畀へず。凡そ四方の小大の邦の喪ぶるは、罰に辞有らざる罔し。」王若のごとく曰く、「爾殷の多士よ。今惟れ我が周王は丕いに霊しく帝の事を承け、命有りて曰く『殷を割(た)て』と、帝に告勑す。惟れ我が事は貳適せず、惟れ爾の王家は我に適す。予其れ曰く、『惟れ爾洪いに度無し。我は爾を動かさず、乃の邑よりす』と。予も亦念ふ、天は殷に即いて大いに戾(つみ)し、肆に正さず。」王曰く、「猷(ああ)、爾多士に告ぐ。予惟れ時れ其れ爾を西に遷居せしむ。我一人の徳を奉じて康寧ならざるに非ず、時れ惟れ天命なり、違ふ無かれ。朕敢へて後(おく)るること有らず、我を怨む無かれ。惟れ爾知る、
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『長短経』運命此れ略其の本を言いて其の詳を語らず。嘗試みに之を論じて曰く、命なる者は、天の授くるなり。徳なる者は、命の本なり。皇霊は陰かに下人を隲し、冥兆に定むと雖も、然れども興亡・長短は、徳を以て準と為す。若し徳曩に循えば、則ち命今に定まる。然らば則ち今の定命は、皆曩の徳なること明らかなり。夫れ命の徳に在れば、則ち吉凶禍福は天に由らず。命今に定まれば、則ち賢聖・鬼神も移すこと能わず。故に君子は心を尽くし、力を尽くして、以て命を邀うるなり。此れ運命の至りなり。〕易に曰く「理を窮め性を尽くして、以て命に至る」と。此の謂いなり。
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尚書・大禹謨予乃(なんぢ)の徳を懋(ほ)め、乃の丕績(ひせき)を嘉(よみ)す。天の暦数汝の躬(み)に在り、汝終(つひ)に元后に陟(のぼ)らん。
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史記 宋微子世家司馬唐山太子肥を攻め殺し、華元を殺さんと欲す。華元晋に犇(はし)らんとす。魚石之を止め、河に至りて乃ち還り、唐山を誅す。乃ち共公の少子戌を立つ。是を平公と為す。平公の三年、楚の共王宋の彭城を抜き、以て宋の左師魚石を封ず。四年、諸侯共に魚石を誅し、而して彭城を宋に帰す。三十五年、楚の公子囲其の君を弑して自立し、霊王と為る。四十四年、平公卒し、子の元公佐立つ。元公の三年、楚の公子棄疾霊王を弑し、自立して平王と為る。八年、宋に火あり。十年、元公信毋く、詐りて諸公子を殺す。大夫華・向氏乱を作す。楚の平王の太子建来奔す。諸華氏の相攻めて乱るるを見て、建去りて鄭に如く。十五年、元公魯の昭公の季氏を避けて外に居るが為に、之が為に魯に入らんことを求め、道を行きて卒し、子の景公頭曼立つ。景公の十六年、魯の陽虎来奔し、已にして復た去る。二十五年、孔子宋を過ぐ。宋の司馬桓魋之を悪み、孔子を殺さんと欲す。孔子微服して去る。三十年、曹宋に倍き、又晋に倍く。宋曹を伐つ。晋救はず。遂に曹を滅ぼして之を有つ。三十六年、斉の田常簡公を弑す。三十七年、楚の恵王陳を滅ぼす。熒惑心を守る。心は宋の分野なり。景公之を憂ふ。司星子韋曰く、「相に移すべし」と。景公曰く、「相は吾の股肱なり」と。曰く、「民に移すべし」と。景公曰く、「君は民を待つ」と。曰く、「歳に移すべし」と。景公曰く、「歳饑うれば民困しむ。吾誰の為にか君たらん」と。子韋曰く、「天は高きも卑きに聴く。君に君人の言三つ有り。熒惑宜しく動くこと有るべし」と。是に於て之を候ふに、果たして徙ること三度。六十四年、景公卒す。宋の公子特太子を攻め殺して自立す。是を昭公と為す。昭公は、元公の曾庶孫なり。昭公の父は公孫糾、糾の父は公子褍秦、褍秦は即ち元公の少子なり。
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史記 孔子世家夫人帷中より再拝す、環珮の玉声璆然たり。孔子曰く、「吾郷に見えずと為す、之を見るに礼もて答ふ」と。子路説ばず。孔子之に矢ひて曰く、「予が否なる所の者は、天之を厭たん、天之を厭たん」と。衛に居ること月余、霊公夫人と車を同じくし、宦者雍渠参乗し、出で、孔子をして次乗為らしめ、招揺して市に之を過ぐ。孔子曰く、「吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり」と。是に於て之を醜とし、衛を去り、曹を過ぐ。是の歳、魯の定公卒す。孔子曹を去りて宋に適き、弟子と礼を大樹の下に習ふ。宋の司馬桓魋孔子を殺さんと欲し、其の樹を抜く。孔子去る。弟子曰く、「以て速やかにすべし」と。孔子曰く、「天徳を予に生ず、桓魋其れ予を如何せん」と。孔子鄭に適き、弟子と相失ひ、孔子独り郭の東門に立つ。鄭人或ひと子貢に謂ひて曰く、「東門に人有り、其の顙は堯に似、其の項は皋陶に類し、其の肩は子産に類す、然れども要より以下は禹に及ばざること三寸。纍纍として喪家の狗の若し」と。子貢実を以て孔子に告ぐ。孔子欣然として笑ひて曰く、「形状は末なり。而るに喪家の狗に似たりと謂ふは、然るかな、然るかな」と。孔子遂に陳に至り、司城貞子の家に主たり。歳余にして、呉王夫差陳を伐ち、三邑を取りて去る。趙鞅朝歌を伐つ。楚蔡を囲み、蔡呉に遷る。呉、越王句践を会稽に敗る。隼有り陳の廷に集まりて死す、楛矢之を貫く、石砮にして、矢の長さ尺有咫。陳の湣公使をして仲尼に問はしむ。仲尼曰く、「隼の来たること遠し、此れ粛慎の矢なり。昔武王商に克ち、道を九夷百蛮に通じ、各々其の方賄を以て来貢せしめ、職業を忘るること無からしむ。是に於て粛慎楛矢石砮を貢す、長さ尺有咫。先王其の令徳を昭らかにせんと欲し、粛慎の矢を以て大姫に分かち、虞の胡公に配して諸を陳に封ず。同姓に分かつに珍玉を以てし、親を展ぶ。異姓に分かつに遠職を以てし、服を忘るること無からしむ。
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尚書・大禹謨告ぐる無きを虐げず、困窮を廃せざるは、惟れ帝のみ時(これ)克(よ)くす」と。益曰く、「都(ああ)、帝の徳は広く運(めぐ)り、乃ち聖に乃ち神に、乃ち武に乃ち文なり。皇天眷命(けんめい)し、奄(あまね)く四海を有(たも)ちて天下の君と為る」と。禹曰く、「迪(みち)に恵(したが)へば吉、逆に従へば凶、惟れ影響のごとし」と。益曰く、「吁(ああ)、戒めんかな。
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