国語 / 周語下
「夫郤氏,晉之寵人也,三卿而五大夫,可以戒懼矣。高位寔疾顛,厚味寔腊毒。今郤伯之語犯,叔迂,季伐,犯則陵人,迂則誣人,伐則掩人。有是寵也,而益之以三怨,其誰能忍之!雖齊國子亦將與焉。立於淫亂之國,而好盡言,以招人過,怨之本也。唯善人能受盡言,齊其有乎?吾聞之,國德而鄰於不修,必受其福。今君偪於晉,而鄰於齊,齊、晉有禍,可以取伯,無德之患,何憂於晉?且夫長翟之人利而不義,其利淫矣,流之若何?」 魯侯歸,乃逐叔孫僑如。簡王十一年,諸侯會于柯陵。十二年,晉殺三郤。十三年,晉侯弒,於翼東門葬,以車一乘。齊人殺國武子。
新字:「夫郤氏,晋之寵人也,三卿而五大夫,可以戒懼矣。高位寔疾顛,厚味寔腊毒。今郤伯之語犯,叔迂,季伐,犯則陵人,迂則誣人,伐則掩人。有是寵也,而益之以三怨,其誰能忍之!雖斉国子亦将与焉。立於淫乱之国,而好尽言,以招人過,怨之本也。唯善人能受尽言,斉其有乎?吾聞之,国徳而鄰於不修,必受其福。今君偪於晋,而鄰於斉,斉、晋有禍,可以取伯,無徳之患,何憂於晋?且夫長翟之人利而不義,其利淫矣,流之若何?」 魯侯帰,乃逐叔孫僑如。簡王十一年,諸侯会于柯陵。十二年,晋殺三郤。十三年,晋侯弒,於翼東門葬,以車一乗。斉人殺国武子。
書き下し
「夫れ郤氏は、晋の寵人なり。三卿にして五大夫、以て戒懼すべし。高位は寔(まこと)に疾(すみ)やかに顛(たお)れ、厚味は寔に腊毒(せきどく)あり。今郤伯の語は犯し、叔は迂、季は伐る。犯せば則ち人を陵ぎ、迂なれば則ち人を誣(し)い、伐れば則ち人を掩(おお)う。是の寵有りて、之に益すに三怨を以てす。其れ誰か能く之を忍ばん。斉の国子と雖も亦将に与(あずか)らんとす。淫乱の国に立ちて、好んで言を尽くし、以て人の過ちを招くは、怨みの本なり。唯善人のみ能く尽言を受く。斉其れ有らんや。吾之を聞く、国徳ありて修めざるに鄰すれば、必ず其の福を受くと。今君晋に偪(せま)られて、斉に鄰す。斉・晋に禍い有らば、以て伯を取るべし。徳無きを之れ患えよ、何ぞ晋を憂えん。且つ夫の長翟(ちょうてき)の人は利にして不義なり。其の利淫なり。之を流さば若何」と。 魯侯帰り、乃ち叔孫僑如(しゅくそんきょうじょ)を逐う。簡王十一年、諸侯柯陵に会す。十二年、晋三郤を殺す。十三年、晋侯弒せられ、翼の東門に葬るに、車一乗を以てす。斉人国武子を殺す。
現代語訳
(単襄公は続けた。)「そもそも郤氏は晋の寵臣で、一族から卿が三人、大夫が五人も出ています。戒め恐れるべき立場です。高い地位はたちまち転げ落ちやすく、濃い味の料理はたちまち毒となるものです。ところがいま、郤伯(郤錡)の言葉は人をしのぎ、叔(郤犫)の言葉は回りくどく、季(郤至)の言葉は功を誇っています。人をしのげば人を侮り、回りくどければ人を陥れ、功を誇れば人の功を覆い隠します。これほどの寵愛を受けながら、そのうえに三つの怨みを重ねているのですから、誰が我慢できましょう。斉の国子(国佐)もまた禍いに巻き込まれるでしょう。乱れた国に身を置きながら、好んで言いたいことを言い尽くし、人の過ちをあげつらうのは、怨みを買うもとです。言い尽くされても受け止められるのは善人だけですが、斉にそのような人がいるでしょうか。私はこう聞いています。自国に徳があり、隣国が徳を修めていなければ、必ずその福を受けると。いまあなたの国は晋に圧迫され、斉と隣り合っています。斉と晋に禍いが起これば、覇者の地位を取ることもできるでしょう。憂えるべきは自分に徳がないことであって、晋を恐れることはありません。それから、あの長翟の人(叔孫僑如)は利を好んで義がなく、その利欲はほしいままです。追放してはいかがですか。」 魯の成公は帰国すると、叔孫僑如(魯の卿)を追放した。簡王十一年、諸侯が柯陵に会した。十二年、晋は三郤を殺した。十三年、晋侯(厲公)は弑され、翼の東門の外に、車わずか一乗を添えて葬られた。斉の人は国武子(国佐)を殺した。
解説
この章句が説くこと
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国語・周語下柯陵(かりょう)の会に、単襄公、晋の厲公の視ること遠く歩むこと高きを見る。晋の郤錡(げきき)見(まみ)ゆ、其の語犯す。郤犫(げきしゅう)見ゆ、其の語迂(う)なり。郤至見ゆ、其の語伐(ほこ)る。斉の国佐(こくさ)見ゆ、其の語尽くす。魯の成公見ゆ、言晋の難と郤犫の譖(しん)とに及ぶ。 単子曰く、「君何ぞ患えん。晋将に乱有らんとす。其の君と三郤と其れ之に当たらんか」と。魯侯曰く、「寡人晋に免れざるを懼る。今君『将に乱有らんとす』と曰う。敢えて問う、天道か、抑も人の故か」と。対えて曰く、「吾は瞽(こ)・史に非ず、焉んぞ天道を知らん。吾晋君の容を見て、三郤の語を聴けり。殆ど必ず禍いある者なり。夫れ君子は目以て体を定め、足以て之に従う。是を以て其の容を観て其の心を知る。目は以て義に処(お)り、足は以て目に歩む。今晋侯視ること遠くして足高し。目体に在らずして、足目に歩まず。其の心必ず異なり。目と体と相従わず、何を以て能く久しからん。夫れ諸侯を合するは、民の大事なり。是に於いてか存亡を観る。故に国将に咎無からんとすれば、其の君会に在りて、歩・言・視・聴、必ず皆謫(とが)無し。則ち以て徳を知るべし。視ること遠ければ、日に其の義を絶つ。足高ければ、日に其の徳を棄つ。言爽(たが)えば、日に其の信に反す。聴くこと淫なれば、日に其の名を離る。夫れ目は以て義に処り、足は以て徳を践(ふ)み、口は以て信を庇(まも)り、耳は以て名を聴く者なり。故に慎まざるべからず。偏(かたよ)り喪えば咎有り、既(ことごと)く喪えば国之に従う。晋侯二を爽う。吾是を以て云う」と。
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国語・晋語五郤献子(げきけんし)斉に聘(へい)す。斉の頃公(けいこう)婦人をして観て之を笑わしむ。郤献子怒り、帰りて斉を伐たんことを請う。范武子(はんぶし)朝より退きて曰く、「燮(しょう)よ、吾之を聞く、人の怒りを干(おか)せば、必ず毒を獲と。夫れ郤子の怒り甚だし。斉に逞(たくまし)うせずんば、必ず諸(これ)を晋国に発せん。政を得ずんば、何を以て怒りを逞うせん。余将に政を致して、以て其の怒りを成さしめ、内を以て外に易うること無からしめんとす。爾勉めて二三子に従い、以て君命を承(う)けよ、唯だ敬せよ」と。乃ち老す。
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国語・周語中「吾曰く、『子は則ち賢なり。抑(そもそ)も晋国の挙ぐるや、其の次を失わず。吾政の未だ子に及ばざるを懼る』と。我に謂いて曰く、『夫れ何の次か之れ有らん。昔先大夫荀伯(じゅんぱく)は下軍の佐より以て政たり。趙宣子(ちょうせんし)は未だ軍行有らずして以て政たり。今欒伯(らんぱく)は下軍より往けり。是の三子や、吾又四に過ぎ、之れ及ばざる無し。若し新軍に佐たるより升(のぼ)りて政と為らば、亦可ならずや。将に必ず之を求めんとす』と。是れ其の言なり。君以て奚若(いかん)と為す」と。 襄公曰く、「人言える有り、曰く、『兵其の頸(くび)に在り』と。其れ郤至(げきし)の謂か。君子は自ら称せず。以て譲るに非ず、其の人を蓋(おお)うを悪(にく)めばなり。夫れ人の性は、上を陵(しの)ぐ者なり。蓋うべからざるなり。人を蓋わんことを求むれば、其の抑えられて下ること滋(ますま)す甚だし。故に聖人は譲を貴ぶ。且つ諺に曰く、『獣は其の網を悪み、民は其の上を悪む』と。書に曰く、『民は近づくべきなり、而して上(しの)ぐべからざるなり』と。詩に曰く、『愷悌(がいてい)の君子、福を求めて回(よこしま)ならず』と。礼に在りては、敵(ひと)しきは必ず三たび譲る。是れ則ち聖人民の加うべからざるを知ればなり。故に天下に王たる者は必ず諸(これ)を民に先にし、然る後に庇(おお)う。則ち能く長く利あり。今郤至七人の下に在りて之に上たらんと欲す。是れ七人を蓋わんことを求むるなり。其れ亦七怨有り。怨み小醜(しょうしゅう)に在るすら、猶お堪うべからず。而るを況んや侈卿(しけい)に在るをや。其れ何を以てか之を待たん。
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『春秋左氏伝』成公十六年 郤至、功を誇る十二月、季孫郤犨と扈に盟ふ。歸りて公子偃を刺し、叔孫豹を齊に召して之を立つ。齊の聲孟子僑如に通じ、高・國の閒に立たしめんとす。僑如曰く、「以って再び罪す可からず」と。衞に奔り、亦た卿に閒す。晉侯郤至をして楚の捷を周に獻ぜしむ。單襄公と語り、驟しば其の伐を稱す。單子諸大夫に語りて曰く、「溫季其れ亡びんか。七人の下に位して、其の上を掩はんことを求む。怨みの聚まる所は、亂の本なり。怨み多くして亂に階す、何を以ってか位に在らん。夏書に曰く、『怨み豈に明らかなるに在らんや、見えざるを是れ圖れ』と。將に其の細を慎まんとするなり。今にして之を明らかにす、其れ可ならんや」と。
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国語・周語中「晋の克つや、天楚に悪(にく)むこと有り、故に之を儆(いまし)むるに晋を以てす。而るに郤至天の功を佻(ぬす)みて以て己の力と為す。亦難からずや。天を佻むは不祥、人に乗ずるは不義なり。不祥なれば則ち天之を棄て、不義なれば則ち民之に叛く。且つ郤至何の三伐か之れ有らん。夫れ仁・礼・勇は、皆民の為すところなり。義を以て死して用うる、之を勇と謂う。義を奉じて則に順う、之を礼と謂う。義を畜(たくわ)えて功を豊かにする、之を仁と謂う。仁を姦(おか)すを佻と為し、礼を姦すを羞と為し、勇を姦すを賊と為す。夫れ戦いは、敵を尽くすを上と為し、和同を守り義に順うを上と為す。故に戎を制するには果毅を以てし、朝を制するには序成を以てす。戦に叛きて擅(ほしいまま)に鄭君を舎(ゆる)すは賊なり。毅を棄てて容を行うは羞なり。国に叛きて讎(あだ)に即くは佻なり。三姦有りて以て其の上に替わらんことを求む。政を得るに遠し。吾を以て之を観るに、兵其の頸に在り、久しかるべからず。吾が王叔と雖も、未だ難を違(さ)くる能わず。太誓に在りて曰く、『民の欲する所、天必ず之に従う』と。王叔郤至を欲す、能く従うこと勿からんや」と。 郤至帰り、明年難に死す。伯輿(はくよ)の獄に及びて、王叔陳生(おうしゅくちんせい)晋に奔る。
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国語・周語上「古は、先王既に天下を有(たも)ち、又上帝・明神を崇(たか)く立てて之を敬事す。是に於いてか朝日・夕月有りて以て民に君に事うることを教う。諸侯は春秋に職を王に受けて以て其の民に臨み、大夫・士は日に位著(いちょ)に恪(つつし)みて以て其の官を儆(いまし)め、庶人・工・商は各其の業を守りて以て其の上に共す。猶お其の墜失有らんことを恐る。故に車服・旗章を為(つく)りて以て之を旌(あら)わし、贄幣(しへい)・瑞節を為りて以て之を鎮(しず)め、班爵・貴賤を為りて以て之を列し、令聞・嘉誉を為りて以て之を声(な)らす。猶お散・遷・懈慢(かいまん)にして刑辟に著われ、裔土(えいど)に流さるる有り。是に於いてか蛮・夷の国有り、斧鉞(ふえつ)・刀墨の民有り。而るを況んや以て其の身を淫縦す可けんや。 「夫れ晋侯は嗣に非ずして、其の位を得たり。亹亹(びび)怵惕(じゅってき)し、保任戒懼するも、猶お未だしと曰う。若し将に其の心を広くして其の鄰を遠ざけ、其の民を陵(しの)ぎて其の上を卑しめば、将に何を以て固く守らんとするか。 「夫れ玉を執ること卑きは、其の贄を替(す)つるなり。拝して稽首せざるは、其の王を誣(し)うるなり。贄を替つれば鎮無く、王を誣うれば民無し。夫れ天の事は恒に象(しめ)す。任重く享大なる者は必ず速やかに及ぶ。故に晋侯王を誣うれば、人も亦将に之を誣いんとす。其の鎮を替てんと欲すれば、人も亦将に之を替てんとす。大臣其の禄を享けて、諫めずして之に阿(おもね)る、亦必ず及ばん」と。 襄王三年にして晋侯を立て、八年にして韓に隕(お)ち、十六年にして晋人懐公を殺す。懐公冑(ちゅう)無く、秦人子金・子公を殺す。
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