国語 / 周語中
簡王八年,魯成公來朝,使叔孫僑如先聘且告。見王孫說,與之語。說言於王曰:「魯叔孫之來也,必有異焉。其享覲之幣薄而言諂,殆請之也;若請之,必欲賜也。魯執政唯強,故不歡焉而後遣之;且其狀方上而銳下,宜觸冒人。王其勿賜。若貪陵之人來而盈其願,是不賞善也,且財不給。故聖人之施舍也議之,其喜怒取與亦議之。是以不主寬惠,亦不主猛毅,主德義而已。」王曰:「諾。」使私問諸魯,請之也。王遂不賜,禮如行人。及魯侯至,仲孫蔑為介,王孫說與之語,說讓。說以語王,王厚賄之。
新字:簡王八年,魯成公来朝,使叔孫僑如先聘且告。見王孫説,与之語。説言於王曰:「魯叔孫之来也,必有異焉。其享覲之幣薄而言諂,殆請之也;若請之,必欲賜也。魯執政唯強,故不歓焉而後遣之;且其状方上而鋭下,宜触冒人。王其勿賜。若貪陵之人来而盈其願,是不賞善也,且財不給。故聖人之施舎也議之,其喜怒取与亦議之。是以不主寛恵,亦不主猛毅,主徳義而已。」王曰:「諾。」使私問諸魯,請之也。王遂不賜,礼如行人。及魯侯至,仲孫蔑為介,王孫説与之語,説譲。説以語王,王厚賄之。
書き下し
簡王の八年、魯の成公来朝す。叔孫僑如(きょうじょ)をして先ず聘して且つ告げしむ。王孫説(おうそんえつ)に見え、之と語る。説王に言いて曰く、「魯の叔孫の来たるや、必ず異なること有らん。其の享覲(きょうきん)の幣薄くして言諂(へつら)う、殆(ほとん)ど之を請えるならん。若し之を請えば、必ず賜わらんと欲するなり。魯の執政唯強(きょう)なり、故に歓ばずして後に之を遣わす。且つ其の状は方上にして鋭下なり、宜しく人に触冒すべし。王其れ賜うこと勿れ。若し貪陵の人来たりて其の願いを盈たさば、是れ善を賞せざるなり、且つ財給せず。故に聖人の施舎(ししゃ)や之を議し、其の喜怒取与も亦之を議す。是を以て寛恵を主とせず、亦猛毅を主とせず、徳義を主とするのみ」と。王曰く、「諾」と。私(ひそ)かに諸(これ)を魯に問わしむれば、之を請いしなり。王遂に賜わず、礼は行人の如くす。魯侯至るに及び、仲孫蔑(ちゅうそんべつ)介と為る。王孫説之と語る、説(よろこ)びて譲る。説以て王に語る。王厚く之に賄(まいな)う。
現代語訳
簡王の八年、魯の成公が周に来朝することになり、叔孫僑如(叔孫宣伯、魯の卿)を先に遣わして聘問させ、来朝を告げさせた。僑如は王孫説(周の大夫)に会って語り合った。王孫説は王に申し上げた。「魯の叔孫の来訪には、きっと何か裏があります。献上の礼物は薄いのに言葉はへつらっています。おそらく自ら願い出て使者になったのでしょう。自ら願い出たとすれば、必ず賜り物が欲しいのです。魯の執政たちはただ彼の強引さを憚って拒めず、快く思わないまま彼を送り出したのでしょう。しかも彼の顔つきは額が角ばって顎がとがっており、人に突っかかる相です。王よ、どうか賜り物をなさいませんように。もし欲深く人をしのぐ者が来て、その望みを満たしてやれば、善を賞さないことになり、財も足りなくなります。だから聖人は、与えるか与えないかを議して決め、喜怒や取捨もまた議して決めるのです。そのため寛大と恵みを旨とせず、猛々しさと厳しさも旨とせず、ただ徳と義を旨とするのです」。王は「わかった」と言った。ひそかに人を遣わして魯に問い合わせさせると、やはり僑如は自分から使者の役を願い出ていたのであった。王はそこで賜り物をせず、ふつうの使者に対する礼で遇した。魯侯が来朝すると、仲孫蔑(孟献子)が介添え役となった。王孫説が彼と語り合うと、蔑は好んでへりくだった。王孫説がそれを王に語ると、王は蔑に手厚く贈り物をした。
解説
この章句が説くこと
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国語・周語中定王の八年、劉康公(りゅうこうこう)をして魯に聘せしめ、幣を大夫に発す。季文子・孟献子は皆倹にして、叔孫宣子・東門子家は皆侈(し)なり。 帰りて、王魯の大夫孰(いず)れか賢なると問う。対えて曰く、「季・孟は其れ長く魯に処らんか。叔孫・東門は其れ亡びんか。若し家亡びずんば、身必ず免れざらん」と。王曰く、「何の故ぞ」と。対えて曰く、「臣之を聞く、臣と為りては必ず臣たり、君と為りては必ず君たり。寛・粛・宣・恵は、君なり。敬・恪・恭・倹は、臣なり。寛は本を保つ所以なり、粛は時を済す所以なり、宣は教え施す所以なり、恵は民を和する所以なり。本保つこと有れば則ち必ず固く、時に動きて済せば則ち敗功無く、教え施して宣ぶれば則ち徧く、恵以て民を和すれば則ち阜(ゆた)かなり。若し本固くして功成り、施し徧くして民阜かならば、乃ち以て長く民を保つ可し。其れ何事か徹(とお)らざらん。敬は命を承くる所以なり、恪は業を守る所以なり、恭は事に給する所以なり、倹は用を足す所以なり。敬を以て命を承くれば則ち違わず、恪を以て業を守れば則ち懈(おこた)らず、恭を以て事に給すれば則ち死に寛(とお)く、倹を以て用を足せば則ち憂いに遠し。若し命を承けて違わず、業を守りて懈らず、死に寛くして憂いに遠くんば、則ち以て上下隙(げき)無かる可し。其れ何の任か堪えざらん。上事を任じて徹り、下能く其の任に堪うる、令聞長世を為す所以なり。今夫の二子なる者は倹なり、其れ能く用を足さん。用足れば則ち族以て庇(おお)う可し。二子なる者は侈なり、侈なれば則ち匱(とぼ)しきを恤(うれ)えず。匱しくして恤えずんば、憂い必ず之に及ばん。是くの若くなれば則ち必ず其の身を広くせん。且つ夫れ人臣にして侈なれば、国家堪えず、亡の道なり」と。王曰く、「幾何ぞ」と。対えて曰く、「東門の位は叔孫に若かず、而して泰侈なり、以て二君に事う可からず。叔孫の位は季・孟に若かず、而して亦泰侈なり、以て三君に事う可からず。若し皆蚤(はや)く世せば猶お可なり。若し年を登(かさ)ねて以て其の毒を載(おこな)わば、必ず亡びん」と。 十六年、魯の宣公卒す。赴く者未だ及ばざるに、東門氏来たりて乱を告げ、子家斉に奔る。簡王の十一年、魯の叔孫宣伯も亦斉に奔る。成公未だ歿せざること二年なり。
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国語・周語下「夫れ郤氏は、晋の寵人なり。三卿にして五大夫、以て戒懼すべし。高位は寔(まこと)に疾(すみ)やかに顛(たお)れ、厚味は寔に腊毒(せきどく)あり。今郤伯の語は犯し、叔は迂、季は伐る。犯せば則ち人を陵ぎ、迂なれば則ち人を誣(し)い、伐れば則ち人を掩(おお)う。是の寵有りて、之に益すに三怨を以てす。其れ誰か能く之を忍ばん。斉の国子と雖も亦将に与(あずか)らんとす。淫乱の国に立ちて、好んで言を尽くし、以て人の過ちを招くは、怨みの本なり。唯善人のみ能く尽言を受く。斉其れ有らんや。吾之を聞く、国徳ありて修めざるに鄰すれば、必ず其の福を受くと。今君晋に偪(せま)られて、斉に鄰す。斉・晋に禍い有らば、以て伯を取るべし。徳無きを之れ患えよ、何ぞ晋を憂えん。且つ夫の長翟(ちょうてき)の人は利にして不義なり。其の利淫なり。之を流さば若何」と。 魯侯帰り、乃ち叔孫僑如(しゅくそんきょうじょ)を逐う。簡王十一年、諸侯柯陵に会す。十二年、晋三郤を殺す。十三年、晋侯弒せられ、翼の東門に葬るに、車一乗を以てす。斉人国武子を殺す。
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国語・魯語上温(おん)の会に、晋人衛の成公を執(とら)えて之を周に帰し、医をして之を鴆(ちん)せしむ。死せず。医も亦誅せられず。 臧文仲僖公に言いて曰く、「夫れ衛君は殆ど罪無からん。刑は五のみ、隠るる者有ること無し。隠るるは乃ち諱むなり。大刑は甲兵を用い、其の次は斧鉞(ふえつ)を用い、中刑は刀鋸を用い、其の次は鑽笮(さんさく)を用い、薄刑は鞭扑(べんぼく)を用い、以て民に威す。故に大なる者は之を原野に陳(つら)ね、小なる者は之を市朝に致す。五刑三次、是れ隠るる無きなり。今晋人衛侯を鴆して死せず、亦其の使者を討たず。諱みて之を殺すを悪むなり。諸侯の請い有らば、必ず之を免さん。臣之を聞く、班(くらい)相恤(うれ)う、故に能く親しみ有りと。夫れ諸侯の患いは、諸侯之を恤う、民を訓うる所以なり。君盍ぞ衛君を請いて以て親しみを諸侯に示し、且つ以て晋を動かさざる。夫れ晋は新たに諸侯を得たり。使(も)し亦曰わん、『魯は其の親しきを棄てず、其れ亦以て悪むべからず』と」と。公説(よろこ)び、玉二十瑴(かく)を行(おく)り、乃ち衛侯を免す。 是より晋魯に聘するに、諸侯に加うること一等、爵同じきも、其の好貨を厚くす。衛侯其の臧文仲の為すところなるを聞き、賂を納れしむ。辞して曰く、「外臣の言は境を越えず、敢えて君に及ばず」と。
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『春秋左氏伝』昭公元年 叔孫、帯を与へず季武子莒を伐ち、鄆を取る。莒人會に告ぐ。楚晉に告げて曰く、「盟を尋ねて未だ退かざるに、魯莒を伐ち、齊盟を瀆す。請ふ其の使を戮せん」と。樂桓子趙文子に相たり。貨を叔孫に求めんと欲して、之が為に請ふ。帶を請はしむるも與へず。梁其脛曰く、「貨は以て身を藩る。子何ぞ愛しむや」と。叔孫曰く、「諸侯の會は、社稷を衛るなり。我貨を以て免れば、魯必ず師を受けん。是れ之に禍するなり。何の衛ることか之を為さん。人の牆有るは、以て惡を蔽ふなり。牆の隙壞るるは、誰の咎ぞや。衛りて之を惡しくせば、吾又焉より甚だし。季孫を怨むと雖も、魯國何の罪かあらん。叔出でて季處るは、自りて來る有り。吾又誰をか怨みん。然れども鮒や賄なり。與へずんば已まざらん」と。使者を召し、裳帛を裂きて之に與へて曰く、「帶は其れ褊し」と。趙孟之を聞きて曰く、「患ひに臨みて國を忘れざるは、忠なり。難を思ひて官を越えざるは、信なり。國を圖りて死を忘るるは、貞なり。謀るに三者を主とするは、義なり。是の四者有り、又戮すべけんや」と。乃ち諸を楚に請ひて曰く、「魯罪有りと雖も、其の執事は難を辟けず。
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国語・周語下晋の羊舌肸(ようぜつきつ)周に聘(へい)し、幣を大夫及び単靖公(ぜんせいこう)に発す。靖公之を享(きょう)す、倹にして敬なり。賓礼贈餞(ぞうせん)、其の上を視て之に従う。燕(えん)に私無く、送ること郊を過ぎず。語りて昊天有成命(こうてんゆうせいめい)を説(よろこ)ぶ。 単の老(ろう)叔向(しゅくきょう)を送る。叔向之に告げて曰く、「異なるかな。吾之を聞けり、曰く、『一姓は再び興らず』と。今周其れ興らんか。其れ単子有り。昔史佚(しいつ)言える有り、曰く、『動くは敬に若(し)くは莫く、居るは倹に若くは莫く、徳は譲に若くは莫く、事は咨(はか)るに若くは莫し』と。単子の我に貺(たまもの)するや、礼なり。皆有り。夫れ宮室崇(たか)からず、器に彤鏤(とうろう)無きは倹なり。身聳(おそ)れて除潔し、外内斉給するは敬なり。宴好享賜、其の上を踰(こ)えざるは譲なり。賓の礼事、上に放(なら)いて動くは咨なり。是くの如くにして、之に加うるに無私を以てし、之を重ぬるに殽(まじ)えざるを以てす。能く怨みを避く。居ること倹、動くこと敬、徳は譲、事は咨にして、能く怨みを避く。以て卿佐と為る、其れ興らざること有らんや。
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『春秋左氏伝』成公十六年 妾は帛を衣ず九月、晉人季文子を苕丘に執ふ。公還りて、鄆に待つ。子叔聲伯をして季孫を晉に請はしむ。郤犨曰く、「苟も仲孫蔑を去りて季孫行父を止めば、吾子に國を與へ、公室より親しくせん」と。對へて曰く、「僑如の情は、子必ず之を聞けり。若し蔑と行父とを去らば、是れ大いに魯國を棄てて、寡君を罪するなり。若し猶ほ棄てずして、惠みて周公の福を徼め、寡君をして晉君に事ふるを得しめば、則ち夫の二人は、魯國の社稷の臣なり。若し朝に之を亡はば、魯必ず夕に亡びん。魯の仇讎に密邇するを以って、亡びて讎と為らば、之を治むるも何ぞ及ばん」と。郤犨曰く、「吾子の為に邑を請はん」と。對へて曰く、「嬰齊は、魯の常隸なり。敢へて大國に介して、以って厚きを求めんや。寡君の命を承けて以って請ふ。若し請ふ所を得ば、吾子の賜多し。又何をか求めん」と。范文子欒武子に謂ひて曰く、「季孫は魯に於いて、二君に相たり。妾は帛を衣ず、馬は粟を食まず。忠と謂はざる可けんや。讒慝を信じて忠良を棄てば、諸侯を若何せん。子叔嬰齊は君命を奉じて私無く、國家を謀りて貳あらず、其の身を圖りて其の君を忘れず。若し其の請を虛しくせば、是れ善人を棄つるなり。子其れ之を圖れ」と。乃ち魯の平を許し、季孫を赦す。冬、十月、叔孫僑如を出だして之に盟ふ。僑如齊に奔る。
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