国語 / 周語上
「古者,先王既有天下,又崇立上帝、明神而敬事之,於是乎有朝日、夕月以敎民事君。諸侯春秋受職於王以臨其民,大夫、士日恪位著以儆其官,庶人、工、商各守其業以共其上。猶恐其有墜失也,故為車服、旗章以旌之,為贄幣、瑞節以鎮之,為班爵、貴賤以列之,為令聞嘉譽以聲之。猶有散、遷、懈慢而著在刑辟,流在裔土,於是乎有蠻、夷之國,有斧鉞、刀墨之民,而況可以淫縱其身乎? 「夫晉侯非嗣也,而得其位,亹亹怵惕,保任戒懼,猶曰未也。若將廣其心而遠其鄰,陵其民而卑其上,將何以固守? 「夫執玉卑,替其贄也;拜不稽首,誣其王也。替贄無鎮,誣王無民。夫天事恆象,任重享大者必速及,故晉侯誣王,人亦將誣之;欲替其鎮,人亦將替之。大臣享其祿,弗諫而阿之,亦必及焉。」 襄王三年而立晉侯,八年而隕於韓,十六年而晉人殺懷公。懷公無冑,秦人殺子金、子公。
新字:「古者,先王既有天下,又崇立上帝、明神而敬事之,於是乎有朝日、夕月以教民事君。諸侯春秋受職於王以臨其民,大夫、士日恪位著以儆其官,庶人、工、商各守其業以共其上。猶恐其有墜失也,故為車服、旗章以旌之,為贄幣、瑞節以鎮之,為班爵、貴賤以列之,為令聞嘉誉以声之。猶有散、遷、懈慢而著在刑辟,流在裔土,於是乎有蠻、夷之国,有斧鉞、刀墨之民,而況可以淫縦其身乎? 「夫晋侯非嗣也,而得其位,亹亹怵惕,保任戒懼,猶曰未也。若将広其心而遠其鄰,陵其民而卑其上,将何以固守? 「夫執玉卑,替其贄也;拝不稽首,誣其王也。替贄無鎮,誣王無民。夫天事恒象,任重享大者必速及,故晋侯誣王,人亦将誣之;欲替其鎮,人亦将替之。大臣享其禄,弗諫而阿之,亦必及焉。」 襄王三年而立晋侯,八年而隕於韓,十六年而晋人殺懐公。懐公無冑,秦人殺子金、子公。
書き下し
「古は、先王既に天下を有(たも)ち、又上帝・明神を崇(たか)く立てて之を敬事す。是に於いてか朝日・夕月有りて以て民に君に事うることを教う。諸侯は春秋に職を王に受けて以て其の民に臨み、大夫・士は日に位著(いちょ)に恪(つつし)みて以て其の官を儆(いまし)め、庶人・工・商は各其の業を守りて以て其の上に共す。猶お其の墜失有らんことを恐る。故に車服・旗章を為(つく)りて以て之を旌(あら)わし、贄幣(しへい)・瑞節を為りて以て之を鎮(しず)め、班爵・貴賤を為りて以て之を列し、令聞・嘉誉を為りて以て之を声(な)らす。猶お散・遷・懈慢(かいまん)にして刑辟に著われ、裔土(えいど)に流さるる有り。是に於いてか蛮・夷の国有り、斧鉞(ふえつ)・刀墨の民有り。而るを況んや以て其の身を淫縦す可けんや。 「夫れ晋侯は嗣に非ずして、其の位を得たり。亹亹(びび)怵惕(じゅってき)し、保任戒懼するも、猶お未だしと曰う。若し将に其の心を広くして其の鄰を遠ざけ、其の民を陵(しの)ぎて其の上を卑しめば、将に何を以て固く守らんとするか。 「夫れ玉を執ること卑きは、其の贄を替(す)つるなり。拝して稽首せざるは、其の王を誣(し)うるなり。贄を替つれば鎮無く、王を誣うれば民無し。夫れ天の事は恒に象(しめ)す。任重く享大なる者は必ず速やかに及ぶ。故に晋侯王を誣うれば、人も亦将に之を誣いんとす。其の鎮を替てんと欲すれば、人も亦将に之を替てんとす。大臣其の禄を享けて、諫めずして之に阿(おもね)る、亦必ず及ばん」と。 襄王三年にして晋侯を立て、八年にして韓に隕(お)ち、十六年にして晋人懐公を殺す。懐公冑(ちゅう)無く、秦人子金・子公を殺す。
現代語訳
「昔、先王は天下を保つと、さらに天帝や明らかな神々を尊んで祭り、つつしんで仕えました。そこで春分に日を拝し秋分に月を拝する礼を設け、民に君に仕えることを教えたのです。諸侯は春と秋に王から職務を受けて民に臨み、大夫と士は毎日朝廷の定まった位置でつつしんで勤めて自らの職務を戒め、庶民・職人・商人はそれぞれの生業を守って上に奉仕しました。それでもなお務めを怠り失うことを恐れたので、車や衣服、旗や紋章を作って身分を明らかにし、手土産の贄や幣、瑞玉や割符を作って重みを与え、爵位の序列と貴賤の別を作って並べ、よい評判と誉れを作って名を広めました。それでもなお、離散し、持ち場を離れ、怠けて刑罰の記録に名を残し、辺境に流される者がいました。こうして蛮・夷の国に落ちる者があり、斧や鉞による死刑や、額に入れ墨をされる刑を受ける民があったのです。ましてや君主が自分の身を思うままにしてよいはずがありましょうか。 「そもそも晋侯は正統な嫡子ではないのに、その位を得ました。懸命に努めおそれつつしみ、職を守って戒め懼れても、なお足りないというべきです。それなのに欲をほしいままにして隣国(秦)を遠ざけ、民を虐げて王をないがしろにするならば、何によって位を固く守れましょうか。 「瑞玉を低く持ったのは、贄を捧げる礼を捨てたということです。拝礼して額を地につけなかったのは、王を欺いたということです。贄の礼を捨てれば自らの重みを失い、王を欺けば民を失います。そもそも天は、人の行いの善し悪しに応じて常に吉凶のしるしを示します。任が重く受ける禄の大きい者ほど、禍は速やかに及びます。だから晋侯が王を欺けば、人もまた晋侯を欺くでしょうし、自らの重みを捨てようとすれば、人もまた彼を捨てるでしょう。大臣が禄を受けながら諫めもせずに君に阿るならば、禍は彼らにも必ず及びます」 襄王の三年に晋侯(恵公)が立ち、八年には韓原の戦いで秦に敗れて捕らえられ、十六年には晋の人々が懐公(恵公の子)を殺した。懐公には跡継ぎがなく、秦の人々は子金(呂甥)と子公(郤芮)を殺した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尚書・皐陶謨天典有るを敘(つい)づ、我が五典を勑(ただ)して五つながら惇(あつ)くせんかな。天礼有るを秩(つい)づ、我が五礼に自(よ)りて五つながら庸(もち)ゐんかな。寅(つつしみ)を同じくし恭を協(あは)せ衷(ちゆう)を和せんかな。天徳有るに命ず、五服五章あらんかな。天罪有るを討つ、五刑五用あらんかな。政事懋(つと)めんかな懋めんかな。
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『春秋左氏伝』僖公二十三年 天の興す所、誰か廃せん子玉之を殺さんと請ふ。楚子曰く、「晉の公子は廣くして儉、文にして禮有り。其の從者は肅にして寬、忠にして能く力む。晉侯親無く、外內之を惡む。吾聞く、姬姓は唐叔の後、其の後に衰ふる者なりと。其れ將に晉の公子に由らんか。天將に之を興さんとす、誰か能く之を廢せん。天に違へば必ず大咎有り」と。乃ち諸を秦に送る。秦伯女五人を納る、懷嬴與る。匜を奉じて沃盥す、既にして之を揮ふ。怒りて曰く、「秦・晉は匹なり、何を以て我を卑しむる」と。公子懼れ、服を降して囚す。他日、公之を享す。子犯曰く、「吾衰の文なるに如かず、請ふ衰をして從はしめん」と。公子《河水》を賦し、公《六月》を賦す。趙衰曰く、「重耳賜を拜せよ」と。公子降りて、拜稽首す。公一級を降りて辭す。衰曰く、「君天子を佐くる所以の者を稱げて重耳に命ず、重耳敢へて拜せざらんや」と。
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『春秋左氏伝』襄公二十三年 欒盈、曲沃に入る二十三年春、杞の孝公卒す。晉の悼夫人之を喪す。平公樂を徹せず、禮に非ざるなり。禮は鄰國の為に闕く。陳侯楚に如く。公子黃二慶を楚に愬ふ。楚人之を召す。慶樂をして往かしむ。之を殺す。慶氏陳を以って叛く。夏、屈建陳侯に從ひて陳を圍む。陳人板隊に城きて人を殺す。役人相命じて、各々其の長を殺し、遂に慶虎・慶寅を殺す。楚人公子黃を納る。君子謂ふ、「慶氏不義なり、肆にす可からず」と。故に書に曰く、「惟れ命は常に于いてせず」と。晉將に女を吳に嫁がせんとす。齊侯析歸父をして之に媵せしめ、藩を以って欒盈及び其の士を載せ、諸を曲沃に納る。欒盈夜胥午に見えて之に告ぐ。對へて曰く、「不可なり。天の廢する所、誰か能く之を興さん。子必ず免れざらん。吾死を愛しむに非ざるなり。集らざるを知るなり」と。盈曰く、「然りと雖も、子に因りて死せば、吾悔ゆること無し。我實に天ならず。子に咎無し」と。許諾す。之を伏せて曲沃の人に觴す。樂作る。午言ひて曰く、「今や欒孺子を得ば何如」と。對へて曰く、「主を得て之が為に死せば、猶ほ死せざるがごとし」と。皆歎ず。泣く者有り。爵行る。又言ふ。皆曰く、「主を得ば何の貳か之れ有らん」と。盈出でて、遍く之を拜す。
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史記 封禅書古より命を受くる帝王、曷ぞ嘗て封禅せざらん。蓋し其の応無くして事を用ふる者有り、未だ符瑞の見はるるを睹て泰山に臻らざる者有らざるなり。命を受くと雖も功至らず、梁父に至るも徳洽からず、洽きも日に給するに暇あらず、是を以て事に即くこと用て希なり。伝に曰く、「三年礼を為さざれば、礼必ず廃る。三年楽を為さざれば、楽必ず壊る」と。世の隆んなる毎に、則ち封禅もて焉に答へ、衰ふるに及びて息む。厥の曠遠なる者は千有余載、近き者は数百載、故に其の儀は闕然として堙滅し、其の詳らかなるは得て記し聞く可からずと云ふ。尚書に曰く、舜、璇璣玉衡に在りて、以て七政を斉ふ。遂に上帝に類し、六宗に禋し、山川を望し、群神に遍くす。五瑞を輯め、吉月日を択びて、四岳・諸牧に見え、瑞を還す。歳の二月、東に巡狩して、岱宗に至る。岱宗は泰山なり。柴し、山川に望秩す。遂に東后に覲ゆ。東后とは諸侯なり。時月を合せ日を正し、律・度・量・衡を同じくし、五礼を修め、五玉・三帛・二生・一死を贄とす。五月、巡狩して南岳に至る。南岳は衡山なり。八月、巡狩して西岳に至る。西岳は華山なり。十一月、巡狩して北岳に至る。北岳は恒山なり。皆岱宗の礼の如くす。中岳は嵩高なり。五載に一たび巡狩す。禹、之に遵ふ。後十四世、帝孔甲に至りて、徳に淫し神を好み、神瀆れ、二龍之を去る。其の後三世、湯、桀を伐ち、夏の社を遷さんと欲するも、可ならず、夏社を作る。後八世、帝太戊に至りて、桑穀の廷に生ずる有り、一暮にして大いに拱し、懼る。伊陟曰く、「妖は徳に勝たず」と。太戊、徳を修め、桑穀死す。伊陟、巫咸を賛し、巫咸の興ること此より始まる。後十四世、帝武丁、傅説を得て相と為し、殷復た興り、高宗と称す。雉の鼎の耳に登りて雊く有り、武丁懼る。祖己曰く、「徳を修めよ」と。武丁之に従ひ、位以て永く寧し。
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尚書・仲虺之誥嗚呼(ああ)、厥(そ)の終はりを慎むは、惟れ其の始めにあり。礼有るを殖(ふ)やし、昬暴(こんばう)を覆(くつがへ)す。天道を欽崇(きんすう)し、永く天命を保て」と。
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言志四録・言志後録 第百五十七条 養子承後邦俗の養子承後は、已むを得ざるに出づと雖も、道に於ても亦太だしくは妨げず。堯は舜を以て婿と為し、後天下を以て之に与ふ。祭法に曰く、「有虞氏は顓頊を祖として堯を宗とす」と。則ち全然養子承後と相類す。蓋し亦天なり。
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