国語 / 周語上
襄王使邵公過及內史過賜晉惠公命,呂甥、郤芮相晉侯不敬,晉侯執玉卑,拜不稽首。 內史過歸,以告王曰:「晉不亡,其君必無後。且呂、郤將不免。」王曰:「何故?」對曰:「《夏書》有之曰:『衆非元后,何戴?后非衆,無與守邦。』在《湯誓》曰:『余一人有罪,無以萬夫;萬夫有罪,在余一人。』在《盤庚》曰:『國之臧,則惟女衆。國之不臧,則惟余一人,是有逸罰。』如是則長衆使民,不可不慎也。民之所急在大事,先王知大事之必以衆濟也,是故祓除其心,以和惠民。考中度衷以蒞之,昭明物則以訓之,制義庶孚以行之。祓除其心,精也;考中度衷,忠也;昭明物則,禮也;制義庶孚,信也。然則長衆使民之道,非精不和,非忠不立,非禮不順,非信不行。今晉侯即位而背外內之賂,虐其處者,棄其信也;不敬王命,棄其禮也;施其所惡,棄其忠也;以惡實心,棄其精也。四者皆棄,則遠不至而近不和矣,將何以守國?
新字:襄王使邵公過及内史過賜晋恵公命,呂甥、郤芮相晋侯不敬,晋侯執玉卑,拝不稽首。 内史過帰,以告王曰:「晋不亡,其君必無後。且呂、郤将不免。」王曰:「何故?」対曰:「《夏書》有之曰:『衆非元后,何戴?后非衆,無与守邦。』在《湯誓》曰:『余一人有罪,無以万夫;万夫有罪,在余一人。』在《盤庚》曰:『国之臧,則惟女衆。国之不臧,則惟余一人,是有逸罰。』如是則長衆使民,不可不慎也。民之所急在大事,先王知大事之必以衆済也,是故祓除其心,以和恵民。考中度衷以莅之,昭明物則以訓之,制義庶孚以行之。祓除其心,精也;考中度衷,忠也;昭明物則,礼也;制義庶孚,信也。然則長衆使民之道,非精不和,非忠不立,非礼不順,非信不行。今晋侯即位而背外内之賂,虐其処者,棄其信也;不敬王命,棄其礼也;施其所悪,棄其忠也;以悪実心,棄其精也。四者皆棄,則遠不至而近不和矣,将何以守国?
書き下し
襄王邵公過(しょうこうか)及び内史過をして晋の恵公に命を賜わしむ。呂甥(りょせい)・郤芮(げきぜい)晋侯を相(たす)けて敬せず。晋侯玉を執ること卑く、拝して稽首(けいしゅ)せず。 内史過帰り、以て王に告げて曰く、「晋亡びずんば、其の君必ず後無からん。且つ呂・郤将に免れざらんとす」と。王曰く、「何の故ぞ」と。対えて曰く、「夏書に之有りて曰く、『衆は元后に非ずんば、何をか戴かん。后は衆に非ずんば、与に邦を守る無し』と。湯誓に在りて曰く、『余一人罪有らば、万夫を以てする無かれ。万夫罪有らば、余一人に在り』と。盤庚に在りて曰く、『国の臧(よ)きは、則ち惟れ女(なんじ)衆なり。国の臧からざるは、則ち惟れ余一人、是れ逸罰有り』と。是くの如くなれば則ち衆に長として民を使うは、慎まざる可からざるなり。民の急とする所は大事に在り。先王は大事の必ず衆を以て済すを知る。是の故に其の心を祓除して、以て民を和恵す。中を考え衷を度(はか)りて以て之に莅(のぞ)み、物則を昭明して以て之を訓え、義を制し庶(もろもろ)孚(まこと)にして以て之を行う。其の心を祓除するは、精なり。中を考え衷を度るは、忠なり。物則を昭明するは、礼なり。義を制し庶孚にするは、信なり。然らば則ち衆に長として民を使うの道は、精に非ずんば和せず、忠に非ずんば立たず、礼に非ずんば順わず、信に非ずんば行われず。今晋侯即位して外内の賂(まいない)に背き、其の処(お)る者を虐ぐ、其の信を棄つるなり。王命を敬せず、其の礼を棄つるなり。其の悪む所を施す、其の忠を棄つるなり。悪を以て心に実(み)つ、其の精を棄つるなり。四者皆棄つれば、則ち遠きは至らずして近きは和せず、将に何を以て国を守らんとするか。
現代語訳
襄王は邵公過(周の卿士)と内史過を遣わして、晋の恵公(献公の子、夷吾)に諸侯としての命を授けさせた。呂甥と郤芮(ともに晋の大夫)が晋侯を補佐したが、その態度は不敬であった。晋侯は瑞玉を捧げ持つ手を低くし、拝礼しても額を地につけなかった。 内史過は帰ると王に告げた。「晋はたとえ滅びなくとも、その君主には必ず跡継ぎが続かないでしょう。また呂甥と郤芮も禍を免れないでしょう」。王が「なぜか」と問うと、内史過は答えた。「『夏書』にこうあります。『民は君主がいなければ、誰を戴こうか。君主は民がいなければ、ともに国を守る者がない』と。『湯誓』にはこうあります。『わたし一人に罪があれば、それを万民のせいにしてはならない。万民に罪があれば、その責めはわたし一人にある』と。『盤庚』にはこうあります。『国がよく治まるのは、ひとえにおまえたち民の力である。国が治まらないのは、ひとえにわたし一人の責めであり、わたしが罰を免れたことになる』と。このように、民の長となって民を使うことは、慎まずにはいられないものなのです。民にとって切実なのは大事であり、先王は大事が必ず民の力によって成し遂げられることを知っていました。だからまず自分の心を清めて、民を和ませ恵みを施しました。心の内の中正を考え量って民に臨み、物事の法則を明らかにして民を教え、義にかなう定めを作ってすべてを誠にして実行したのです。心を清めるのが精であり、中正を考え量るのが忠であり、物事の法則を明らかにするのが礼であり、義を定めて誠を尽くすのが信です。ですから民の長として民を使う道は、精でなければ和まず、忠でなければ立たず、礼でなければ従わず、信でなければ行われないのです。いま晋侯は即位すると、国外(秦)と国内の者に約束した贈り物を反故にし、国に留まっていた臣下を虐げました。これは信を棄てたものです。王命を敬わないのは、礼を棄てたものです。自分が人にされたくないことを施すのは、忠を棄てたものです。悪い心で胸を満たしているのは、精を棄てたものです。この四つをすべて棄てれば、遠くの者はやって来ず、近くの者は和みません。何によって国を守るというのでしょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公十三年 存亡の道君苟くも信有らば、諸侯貳せず、何をか患へん。之に告ぐるに文辭を以ってし、之を董すに武師を以ってせば、齊許さずと雖も、君の庸多からん。天子の老、請ふ王賦を帥ゐて、元戎十乘、以って先づ行を啟かん。遲速は唯だ君のままなり」と。叔向齊に告げて曰く、「諸侯盟を求めて、已に此に在り。今君利とせず、寡君以って請ふと為す」と。對へて曰く、「諸侯貳を討たば、則ち尋盟有り。若し皆命を用ひば、何の盟をか之れ尋めん」と。叔向曰く、「國家の敗るるは、事有りて業無ければ、事則ち經ならず。業有りて禮無ければ、經則ち序あらず。禮有りて威無ければ、序則ち共ならず。威有りて昭らかならざれば、共則ち明らかならず。明らかならずして共を棄つれば、百事終はらず、傾覆する所由なり。是の故に明王の制、諸侯をして歲ごとに聘して以って業を志し、間朝して以って禮を講じ、再朝して會して以って威を示し、再會して盟ひて以って昭明を顯さしむ。業を好に志し、禮を等に講じ、威を眾に示し、明を神に昭らかにす。古より以來、未だ之を或いは失はざるなり。存亡の道、恆に是に由りて興る。晉禮もて盟を主る、
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『韓非子』外儲說左下第三十三魯の哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く古者夔一足有りと、其れ果して信に一足有るか。」孔子対へて曰く、「不なり、夔は一足に非ざるなり。夔は忿戾悪心にして、人多く説喜せざるなり。然りと雖も、其の以て人の害を免るるを得る所以の者は、其の信を以てなり。人皆曰く、独り此の一あれば、足れり、と。夔は一足に非ざるなり、一にして足るなり。」哀公曰く、「審かに而り、固より足れり。」一に曰く、哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く夔は一足なりと、信か。」曰く、「夔は、人なり、何の故に一足ならん。彼其れ他に異なること無し、而して独り声に通ず。堯曰く、夔は一にして足れり、と。楽正と為さしむ。故に君子曰く、夔は一有り、足れり、と。一足に非ざるなり。」三。文王崇を伐ち、鳳黄の虚に至る、韈の係解く、因りて自ら結ぶ。太公望曰く、「何為れぞや。」王曰く、「上は、君と処るもの皆其の師なり。中は、皆其の友なり。下は、尽く其の使なり。今皆先君の臣なり、故に使ふべきもの無きなり。」一に曰く、晋の文公楚と戦ひ、黄鳳の陵に至る、履の係解く、因りて自ら之を結ぶ。左右曰く、「以て人を使ふべからざるか。」公曰く、「吾聞く、上は、君の与に居る所、皆其の畏るる所なり。中は、君の与に居る所、皆其の愛する所なり。下は、君の与に居る所、皆其の侮る所なり。寡人不肖なりと雖も、先君の人皆在り、是を以て之を難るなり。」季孫士を好み、終身荘にして、居処衣服常に朝廷の如し。而して季孫適ま懈り、過失有り、而して長く為すこと能はざるなり。故に客以て己を厭易すと為し、相与に之を怨み、遂に季孫を殺す。故に君子は泰を去り甚を去る。一に曰く、南宮敬子顔涿聚に問ひて曰く、「季孫孔子の徒を養ひ、朝服して与に坐する所の者十を以て数ふるに賊に遇ふは、何ぞや。」
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司馬法・仁本天下既に平らぎ、天子大いに愷(がい)し、春は蒐(しゅう)し秋は獮(せん)す。諸侯は春に旅を振い、秋に兵を治む。戦を忘れざる所以なり。古は、奔るを逐うこと百歩を過ぎず、綏(すい)を縦(お)うこと三舎を過ぎず、是を以て其の礼を明らかにす。不能を窮めずして傷病を哀憐す、是を以て其の義を明らかにす。列を成して皷(こ)す、是を以て其の信を明らかにす。
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論語・学而篇有子曰く、「信義に近ければ、言復む可きなり。恭礼に近ければ、恥辱に遠ざかるなり。因りて其の親を失わざれば、亦宗とす可きなり。」
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『慎思録』巻之一凡そ人倫に接するの道は、愛敬を以て心と為す。愛敬は親に事ふるに始まる。豈に啻だ父母に施すのみならんや。愛すれば則ち敢へて人を悪まず。之を拡むれば則ち博く施して衆を済ふに至る。仁の行なり。敬すれば則ち敢へて人を慢らず。之を拡むれば則ち敢へて鰥寡を侮らざるに至る。礼の行なり。人に接するの道は、此に尽くるのみ。二者は、皆日用彝倫の間に常に行ふべくして、須臾も離るべからざるの道なり。然れども愛敬は信を以て本と為す。苟も信無くんば、則ち容貌恭謹、言語姁姁たりと雖も、亦以て愛敬と為すに足らざるのみ。
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『長短経』定名義なる者は、宜なり。是非を明らかにし、可否を立つる、之を義と謂う。〔又た曰く、義なる者は、人の宜しとする所なり。善を賞し悪を罰し、以て功を建て事を立つるなり。〕礼なる者は、履なり。進退度有り、尊卑分有る、之を礼と謂う。〔又た曰く、礼なる者は、人の履む所なり。夙に興き夜に寐ね、以て人君の序を成すなり。又た曰く、善を立て悪を防ぐ、之を礼と謂うなり。〕智なる者は、人の知る所なり。以て得失是非の情を定むる、之を智と謂う。信なる者は、人の承くる所なり。号を発し令を施し、以て人心を一にする、之を信と謂う。
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