古事記 / 下巻・仁賢天皇と后妃御子
意富祁命。坐石上廣高宮。治天下也。天皇。娶大長谷若建天皇之御子春日大郎女。生御子。高木郎女。次財郎女。次久須毘郎女。次手白髮郎女。次小長谷若雀命。次眞若王。又娶丸邇日爪臣之女糠若子郎女。生御子。春日山田郎女。此天皇之御子。幷七柱。此之中小長谷若雀命者。治天下也。小長谷若雀命。坐長谷之列木宮。治天下捌歲也。此天皇无太子。故爲御子代。定小長谷部也。御陵在片岡之石坏岡也。天皇既崩。無可知日繼之王。故品太天皇五世之孫。袁本杼命。自近淡海國令上坐而。合於手白髮命。授奉天下也。
新字:意富祁命。坐石上広高宮。治天下也。天皇。娶大長谷若建天皇之御子春日大郎女。生御子。高木郎女。次財郎女。次久須毘郎女。次手白髪郎女。次小長谷若雀命。次真若王。又娶丸邇日爪臣之女糠若子郎女。生御子。春日山田郎女。此天皇之御子。幷七柱。此之中小長谷若雀命者。治天下也。小長谷若雀命。坐長谷之列木宮。治天下捌歳也。此天皇无太子。故為御子代。定小長谷部也。御陵在片岡之石坏岡也。天皇既崩。無可知日継之王。故品太天皇五世之孫。袁本杼命。自近淡海国令上坐而。合於手白髪命。授奉天下也。
書き下し
意富祁命、石上の広高宮に坐して、天下を治めたまひき。天皇、大長谷若建天皇の御子、春日大郎女を娶りて、生みませる御子、高木郎女。次に財郎女。次に久須毘郎女。次に手白髪郎女。次に小長谷若雀命。次に真若王。又、丸邇の日爪臣の女、糠若子郎女を娶りて、生みませる御子、春日山田郎女。この天皇の御子、并せて七柱。この中に小長谷若雀命は、天下を治めたまひき。小長谷若雀命、長谷の列木宮に坐して、天下を治めたまふこと捌歳なり。この天皇、太子なし。故、御子代として、小長谷部を定めたまひき。御陵は片岡の石坏岡にあり。天皇既に崩りまして、日継を知らしむべき王なし。故、品太天皇の五世の孫、袁本杼命を、近つ淡海国より上り坐しめて、手白髪命に合はせて、天下を授け奉りき。
現代語訳
意富祁命(仁賢天皇)は、石上の広高宮にいらして、天下を治められました。天皇は、大長谷若建天皇(雄略)の御子、春日大郎女を妻として、御子をお生みになりました。高木郎女、次に財郎女、次に久須毘郎女、次に手白髪郎女、次に小長谷若雀命、次に真若王です。また、丸邇の日爪臣の娘、糠若子郎女を妻として、御子の春日山田郎女をお生みになりました。この天皇の御子は、合わせて七柱です。このうち小長谷若雀命(武烈天皇)が天下を治められました。小長谷若雀命は長谷の列木宮にいらして、八年間天下を治められました。この天皇には太子がいませんでした。そこで御子代として、小長谷部をお定めになりました。御陵は片岡の石坏岡にあります。天皇がすでにお亡くなりになったあと、皇位を継ぐべき王がいませんでした。そこで、品太天皇(応神)の五世の孫にあたる袁本杼命を、近つ淡海国から迎え上らせて、手白髪命と結婚させ、天下をお授け申し上げました。
解説
この章句が説くこと
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