古事記 / 下巻・赤猪子の返歌と吉野の童女
爾赤猪子之泣淚。悉濕其所服之丹摺袖。答其大御歌而歌曰。美母呂爾。都久夜多麻加岐。都岐阿麻斯。多爾加母余良牟。加徵能美夜比登。又歌曰。久佐迦延能。伊理延能波知須。波那婆知須。徵能佐加理毘登。登母志岐呂加母。爾多祿給其老女以。返遣也。故此四歌者。志都歌也。天皇幸行吉野宮之時。吉野川之濱。有童女。其形姿美麗。故婚是童女而。還坐於宮。後更亦幸行吉野之時。留其童女之所遇。於其處立大御呉床而。坐其御呉床。彈御琴。令爲儛其孃子。爾因其孃子之好儛。作御歌。其歌曰。阿具良韋能。加徵能美豆母知。比久許登爾。麻比須流袁美那。登許余爾母加母。即幸阿岐豆野而。御獵之時。天皇坐御呉床。爾蝱咋御腕。即蜻蛉來。咋其蝱而飛。(訓蜻蛉云阿岐豆)於是作御歌。
新字:爾赤猪子之泣涙。悉湿其所服之丹摺袖。答其大御歌而歌曰。美母呂爾。都久夜多麻加岐。都岐阿麻斯。多爾加母余良牟。加徴能美夜比登。又歌曰。久佐迦延能。伊理延能波知須。波那婆知須。徴能佐加理毘登。登母志岐呂加母。爾多禄給其老女以。返遣也。故此四歌者。志都歌也。天皇幸行吉野宮之時。吉野川之浜。有童女。其形姿美麗。故婚是童女而。還坐於宮。後更亦幸行吉野之時。留其童女之所遇。於其処立大御呉床而。坐其御呉床。弾御琴。令為儛其嬢子。爾因其嬢子之好儛。作御歌。其歌曰。阿具良韋能。加徴能美豆母知。比久許登爾。麻比須流袁美那。登許余爾母加母。即幸阿岐豆野而。御猟之時。天皇坐御呉床。爾蝱咋御腕。即蜻蛉来。咋其蝱而飛。(訓蜻蛉云阿岐豆)於是作御歌。
書き下し
ここに赤猪子の泣く涙、悉くその服せる丹摺の袖を湿らしつ。その大御歌に答へて歌ひて曰く、「みもろに 築くや玉垣 築き余し 誰にかも依らむ 神の宮人」。また歌ひて曰く、「日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも」。ここに多祿をその老女に給ひて、返し遣はしたまひき。故、この四つの歌は志都歌なり。天皇、吉野宮に幸行でましし時、吉野川の浜に、童女有り。その形姿美麗し。故、この童女を婚ひて、宮に還り坐しき。後に更にまた吉野に幸行でましし時、その童女の遇ひし所に留まりて、その処に大御呉床を立てて、その御呉床に坐して、御琴を弾きて、その嬢子に儛せしめたまひき。ここにその嬢子の好く儛ふに因りて、御歌を作りたまひき。その歌に曰く、「呉床居の 神の御手もち 弾く琴に 舞する女 常世にもがも」。即ち阿岐豆野に幸して、御獦したまふ時、天皇、御呉床に坐しき。ここに蝱、御腕を咋ひき。即ち蜻蛉来て、その蝱を咋ひて飛びき。(蜻蛉を訓みて阿岐豆と云ふ。)ここに御歌を作りたまひき。
現代語訳
赤猪子の流す涙は、着ていた赤く染めた袖をすっかり濡らしました。そして天皇の御歌に答えて歌いました。「三諸の山に築く玉垣は、築き余して(出来上がっても)、誰に頼ればよいのでしょう、神の宮人(天皇)よ」。また歌いました。「日下江の入江の蓮の花、その花のように身の盛りにある人が羨ましいことです」。天皇は多くの褒美をその老女に与え、帰らせました。この四つの歌は志都歌です。天皇が吉野宮にお出かけになった時、吉野川の浜に一人の少女がいました。その姿はたいへん美しかったので、この少女と結婚して宮に帰りました。のちにまた吉野に行った時、その少女に会った場所に留まり、そこに大きな床几を立てて座り、琴を弾いて、その乙女に舞わせました。乙女が上手に舞ったので、天皇は歌を作りました。「あぐらに座る神の御手で弾く琴に合わせて舞う乙女よ、永遠であってほしいものだ」。そして阿岐豆野にお出かけになり、狩りをなさる時、天皇は床几に座っていました。そこへ虻が天皇の腕に食いつきました。すると蜻蛉が来てその虻を食って飛んでいきました。(蜻蛉を阿岐豆と読みます。)天皇は歌を作りました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』下巻・蜻蛉の歌と葛城山の猪その歌に曰く、「みえしのの 小室が嶽に 猪鹿伏すと 誰ぞ 大前に申す やすみしし 吾が大君の 猪鹿待つと 呉床に坐し 白妙の 袖着具ふ 手腓に 虻掻き着き その虻を 蜻蛉早咋ひ かくの如 名に負はむと そらみつ 倭の国を 蜻蛉島とふ」。故、その時より、その野を号けて阿岐豆野と謂ふ。また一時、天皇、葛城の山の上に登り幸でましき。ここに大猪出でたり。即ち天皇、鳴鏑を以てその猪を射たまふ時、その猪怒りて、宇多岐依り来。(宇多岐の三字は音を以てす)。故、天皇その宇多岐を畏みて、榛の上に登り坐しき。ここに歌ひて曰く、「やすみしし 吾が大君の 遊ばしし 猪の 病み猪の うたき畏み 吾が逃げ登りし 在り丘の 榛の木の枝」。また一時、天皇、葛城山に登り幸でましし時、百官の人等、悉に紅き紐著けたる青摺の衣服を給はりき。その時、その向かひし山の尾より、山の上に登る人あり。既に天皇の鹵簿に等しかりき。
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『古事記』下巻・赤猪子の八十年ここに令詔りたまひしく、「汝は夫に嫁はざれ。今喚してむ」とのりたまひて、宮に還り坐しき。故、その赤猪子、天皇の命を仰ぎ待ちて、既に八十歳を経たり。ここに赤猪子以為へらく、「命を望ぎし間に、已に多くの年を経て、姿体痩せ萎みて、更に恃む所無し。然れども待てる情を顕さずは、悒きに忍びじ」とおもひて、百取の机代の物を持たしめて、参ゐ出でて貢献りき。然れども天皇、既に先に命ぜしことを忘れて、その赤猪子に問ひて曰く、「汝は誰が老女ぞ。何の由にか参ゐ来し」とのりたまひき。ここに赤猪子、答へて白さく、「その年その月、天皇の命を被りて、大命を仰ぎ待ちて、今日に至るまで八十歳を経たり。今は容姿既に耆いて、更に恃む所無し。然れども己が志を顕し白さむとして、参ゐ出でしのみ」とまをしき。ここに天皇、大きに驚きて曰く、「吾は既に先のことを忘れき。然れども汝は志を守り命を待ちて、徒に盛りの年を過ぐしつ。これ甚愛しく悲し」とのりたまひて、心の裏に婚はむと欲ひたまへども、その極めて老いたるを憚りて、婚ひを成すこと得ずして、御歌を賜ひき。その歌に曰く、「みもろの 厳白檮が下 ゆゆしきかも 白檮原嬢子」。また歌ひて曰く、「引田の 若栗栖原 若くへに 率寝てましもの 老いにけるかも」。
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『古事記』下巻・犬の贈り物と赤猪子故、その火を著くることを止めしめたまひき。即ちその若日下部王の許に幸行でまして、その犬を賜ひ入れて、令詔りたまひしく、「この物は、今日道に得つる奇しき物なり。故、都摩杼比(この四字は音を以てす)の物」と云ひて、賜ひ入れたまひき。ここに若日下部王、天皇に奏さしめたまひしく、「日に背きて幸行でましし事、甚恐し。故、己直に参上りて仕へ奉らむ」とまをさしめたまひき。ここを以て宮に還り上り坐す時、その山の坂の上に行き立ちて、歌ひて曰く、「日下辺の こちの山と 畳薦 平群の山の こちごちの 山の峡に 立ち栄ゆる 葉広熊樫 本には 生く美竹生ひ 末辺には たし美竹生ひ 生く美竹 いくみは寝ず たし美竹 たしには率寝ず 後も組み寝む その思ひ妻 あはれ」。即ちこの歌を持たしめて、使を返したまひき。また一時、天皇遊行でまして、美和河に到りし時、河の辺に衣洗ふ童女有り。その容姿甚麗しかりき。天皇、その童女に問ひたまひしく、「汝は誰が子ぞ」とのりたまひき。答へて白さく、「己が名は引田部赤猪子と謂ふ」とまをしき。
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『古事記』下巻・奴理能美の虫と皇后の弁明また、その妹口比売、及び奴理能美、三人議りて、天皇に奏さしめて云ひしく、「大后の幸行でましし所以は、奴理能美の養ふ虫、一たびは匐ふ虫と為り、一たびは殻と為り、一たびは飛ぶ鳥と為る、三色に変はる奇しき虫有り。この虫を看行はしに入り坐ししのみ。更に異心無し」とまをしき。かく奏す時、天皇詔りたまひしく、「然らば、吾も奇し異しと思ふ。故、見に行かむと欲ふ」とのりたまひて、大宮より上り幸行でまして、奴理能美の家に入り坐しし時、その奴理能美、己が養ふ三種の虫を大后に献りき。ここに天皇、その大后の坐す殿戸に御立ちして、歌ひて曰く、「つぎねふ 山城女の 木鍬持ち 打ちし大根 さわさわに 汝が言へせこそ 打ち渡す 八桑枝なす 来入り参ゐ来れ」。この天皇と大后の歌ひたまひし六つの歌は、志都歌の返歌なり。天皇、八田若郎女を恋ひて、御歌を賜ひ遣はす。その歌に曰く、「八田の ひともとすげは 子持たず 立ちか荒れなむ あたらすが原 言をこそ すが原と言はめ あたらしすがし女」。
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『古事記』中巻・矢河枝比売との出会い一時、天皇、近つ淡海の国に越え幸でましし時、宇遅野の上に御立ちして、葛野を望けて、歌ひて曰く、「千葉の 葛野を見れば 百千足る 家庭も見ゆ 国の秀も見ゆ」。故、木幡の村(山城国宇治郡)に到り坐しし時、麗美しき嬢子、その道衢に遇へり。ここに天皇、その嬢子に問ひて曰く、「汝は誰が子ぞ」とのりたまへば、答へて白さく、「丸邇之比布礼能意富美の女、名は宮主矢河枝比売」とまをしき。天皇すなはちその嬢子に詔りたまはく、「吾、明日還り幸でます時、汝が家に入り坐さむ」とのりたまひき。故、矢河枝比売、委曲にその父に語りき。ここに父答へて曰く、「これは天皇にますなり。恐し。我が子仕へ奉れ」と云ひて、その家を厳餝りて候ひ待てば、明日入り坐しき。故、大御饗を献る時、その女矢河枝比売に、大御酒盞を取らしめて献りき。ここに天皇、その大御酒盞を取らしめながら、御歌に曰く、「この蟹や いづくの蟹 百伝ふ 角鹿の蟹 横去らふ いづくに至る 伊知遅島 み島に着き 鳰鳥の 潜き息づき しなだゆふ 楽浪道を すくすくと 我が行ませばや 木幡の道に 遇はしし嬢子 後方は 小楯ろかも 歯並みは 椎菱如す 櫟井の 丸邇坂の土を 初土は 膚赤らけみ 底土は 丹黒きゆゑ 三つ栗の その中つ土を 頭著く 真火には当てず 眉画き 濃に画き垂れ 遇はしし女 かもがと 我が見し子ら かくもがと 我が見し子に うたたけだに 向ひ居るかも い副ひ居るかも」。かく御合したまひき。
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『古事記』下巻・口子臣の歌と雨中の嘆願また、丸邇臣口子を続けて遣はして、歌ひて曰く、「みもろの その高きなる 大韋子が 腹の 大韋子が 腹にある 肝向かふ 心をだにか 相思はずあらむ」。また歌ひて曰く、「つぎねふ 山城女の 木鍬持ち 打ちし大根 根白の 白腕 枕かずけばこそ 知らずとも言はめ」。故、この口子臣、この御歌を白す時、大雨降りき。ここにその雨を避けず、前の殿戸に参り伏せば後の戸に違ひ出で、後の殿戸に参り伏せば前の戸に違ひ出づ。ここに匍匐ひ進み赴きて、庭の中に跪く時、水潦腰に至りき。その臣、紅の紐著けたる青摺の衣を服たり。故、水潦、紅の紐に拂れて、青みな紅の色に変はりき。ここに口子臣の妹、口日売、大后に仕へ奉れり。故、この口日売歌ひて曰く、「山城の 筒木の宮に 物申す 吾が兄の君は 涙ぐましも」。ここに太后、その由を問ひたまふ時、答へて白さく、「僕の兄、口子臣なり」とまをしき。ここに口子臣、(原文はここで途切れる)

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