古事記 / 下巻・二王の逃亡と玉釧の露見
天皇聞此歌。即興軍欲殺。爾速總別王。女鳥王。共逃退而。騰于倉椅山。於是。速總別王歌曰。波斯多豆能。久艮波斯夜麻袁。佐賀志美登。伊波迦伎加泥豆。和賀豆登艮須母。又歌曰。波斯多豆能。久艮波斯夜麻波。佐賀斯祁杼。伊毛登能煩禮波。佐賀斯玖母阿艮受。故自其地逃亡。到宇陀之蘇邇時。御軍追到而殺也。其將軍山部大楯連。取其女鳥王所纒御手之玉釧。而。與己妻。此時之後。將爲豐樂之時。氏氏之女等皆朝參。爾大楯連之妻。以其王之玉釧。纒于己手而參赴。於是。大后石之日賣命自取大御酒柏。賜諸氏氏之女等。爾大后。見知其玉釧。不賜御酒柏。乃引退。召出其夫大楯連以。詔之。其王等因无禮而退。是者無異事耳。夫之奴乎。所纒己君之御手玉釧。於膚煌剝持來。即與己妻。乃給死刑也。
新字:天皇聞此歌。即興軍欲殺。爾速総別王。女鳥王。共逃退而。騰于倉椅山。於是。速総別王歌曰。波斯多豆能。久艮波斯夜麻袁。佐賀志美登。伊波迦伎加泥豆。和賀豆登艮須母。又歌曰。波斯多豆能。久艮波斯夜麻波。佐賀斯祁杼。伊毛登能煩礼波。佐賀斯玖母阿艮受。故自其地逃亡。到宇陀之蘇邇時。御軍追到而殺也。其将軍山部大楯連。取其女鳥王所纒御手之玉釧。而。与己妻。此時之後。将為豊楽之時。氏氏之女等皆朝参。爾大楯連之妻。以其王之玉釧。纒于己手而参赴。於是。大后石之日売命自取大御酒柏。賜諸氏氏之女等。爾大后。見知其玉釧。不賜御酒柏。乃引退。召出其夫大楯連以。詔之。其王等因无礼而退。是者無異事耳。夫之奴乎。所纒己君之御手玉釧。於膚煌剥持来。即与己妻。乃給死刑也。
書き下し
天皇、この歌を聞きて、即ち軍を興して殺さむと欲ひたまひき。ここに速総別王、女鳥王、共に逃げ退きて、倉椅山に騰りましき。ここに速総別王歌ひて曰く、「梯立の 倉椅山を 嶮しみと 岩かきかねて 吾が手取らすも」。また歌ひて曰く、「梯立の 倉椅山は 嶮しけど 妹と登れば 嶮しくもあらず」。故、その地より逃げ亡せて、宇陀の蘇邇に到りし時、御軍追ひ到りて殺しき。その将軍山部大楯連、その女鳥王の纏ける御手の玉釧を取りて、己が妻に与へき。この時の後、豊楽せむとする時、氏氏の女等、皆朝参りき。ここに大楯連の妻、その王の玉釧を以て己が手に纏きて参り赴きき。ここに大后石之日売命、自ら大御酒の柏を取りて、諸の氏氏の女等に賜ひき。ここに大后、その玉釧を見知りて、御酒の柏を賜はずして、乃ち引き退けて、その夫大楯連を召し出でて、詔りたまひしく、「その王等、無礼に因りて退けらえつ。これは異なる事無きのみ。夫れ奴や、己が君の御手に纏ける玉釧を、膚も煌かに剥ぎ持ち来て、即ち己が妻に与へつ」とのりたまひて、即ち死刑に給ひき。
現代語訳
天皇はこの歌を聞くとすぐに軍を起こして殺そうとしました。速総別王と女鳥王は共に逃げて倉椅山に登りました。速総別王は歌いました。「梯子を立てたような倉椅山が険しいので、岩を攀じ登れず、私の手をおとりになる(あなた)よ」。また歌いました。「倉椅山は険しいけれど、愛しい人と登れば険しくもない」。そこからも逃げて宇陀の蘇邇に着いた時、追ってきた軍が二人を殺しました。その将軍、山部大楯連は、女鳥王が手に巻いていた玉の腕飾りを取り、自分の妻に与えました。その後、宴の時に、諸氏族の女たちが朝廷に参上しました。大楯連の妻は、その王の玉の腕飾りを自分の手に巻いて参りました。石之日売命(大后)は、自ら酒を受ける柏の葉を手に取って諸氏の女たちに賜りましたが、その腕飾りに気づき、柏を与えずに退け、夫の大楯連を召し出して言いました。「あの王たちは無礼ゆえに退けられたのであり、これは他意のないことだ。だが、お前は、自分の主君の腕に巻いていた玉の腕飾りを、肌も輝くままに剥ぎ取って来て、自分の妻に与えた」と言って、死刑に処しました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』下巻・女鳥王と速総別王ここに八田若郎女、答へて歌ひて曰く、「八田の ひともとすげは ひとり居りとも 大君し よしと聞こさば ひとり居りとも」。故、八田若郎女の御名代と為て、八田部を定めき。また天皇、その弟速総別王を以て媒と為して、庶妹女鳥王を乞ひたまひき。ここに女鳥王、速総別王に語りて曰く、「大后の強きに因りて、八田若郎女を治め賜はず。故、仕へ奉らじと思ふ。吾は汝命の妻と為らむ」といひて、即ち相婚ひたまひき。ここを以て、速総別王、復奏さざりき。ここに天皇、直に女鳥王の坐す所に幸行でまして、その殿戸の閾の上に坐しき。ここに女鳥王、機に坐して服を織りたまひき。ここに天皇歌ひて曰く、「女鳥の わが大君の 織ろす服 誰が料ろかも」。女鳥王、答へて歌ひて曰く、「高行くや 速総別の 御襲衣料」。故、天皇、その情を知りて、宮に還り入りたまひき。この時、その夫速総別王到来りし時、その妻女鳥王歌ひて曰く、「雲雀は 天に翔る 高行くや 速総別 鷦鷯取らさね」。
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『古事記』下巻・衣通王の追慕と心中故、後にまた恋ひ慕ひるに堪へずして、追ひ往く時、歌ひて曰く、「君が行き 日長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ」。(ここに山多豆と云ふは、今の造木なり。)故、追ひ到りし時、待ち懐ひて、歌ひて曰く、「隠り国の 泊瀬の山の 大峰には 幡張り立て さ小峰には 幡張り立て 大峰にし 中定める 思ひ妻 あはれ 槻弓の 臥やる臥やりも 梓弓 立てり立てりも 後も取り見る 思ひ妻 あはれ」。また歌ひて曰く、「隠り国の 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杭を打ち 下つ瀬に 真杭を打ち 斎杭には 鏡を掛け 真杭には 真玉を掛け 真玉なす 吾が思ふ妹 鏡なす 吾が思ふ妻 ありと言はばこそに 家にも行かめ 国をも偲はめ」。かく歌ひて、即ち共に自ら死にたまひき。
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『古事記』下巻・皇后の怒りと山代への旅ここに大后、大きに恨み怒りて、その御船に載せたる御綱柏は、悉に海に投げ棄てたまひき。故、その地を号けて御津前と謂ふ。すなはち宮に入り坐さずして、その御船を引き避けて、堀江に泝り、河のまにまに山代に上り幸でましき。この時歌ひて曰く、「つぎねふ 山代河を 河上り 我が上れば 河の辺に 生ひ立てる 烏草樹を 烏草樹の木 其が下に 生ひ立てる 葉広 ゆつ真椿 其が花の 照り坐し 其が葉の 広り坐すは 大君ろかも」。すなはち山代より廻りて、那良山の口に到り坐して、歌ひて曰く、「つぎねふ 山代河を 宮上り 我が上れば 青丹よし 奈良を過ぎ 小楯 倭を過ぎ 我が見が欲し国は 葛城高宮 我家のあたり」。かく歌ひて還りたまひき。暫く筒木の韓人、名は奴理能美の家に入り坐しき。天皇、大后の山代より上り幸でましつと聞こしめして、舎人、名は鳥山と謂ふ人を使はして、御歌を送りたまひき。「山代に い及け 鳥山 い及け い及け 我が愛し妻に い及き遇はむかも」。
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『古事記』下巻・多遅比野から石上神宮へここに阿知直、白さく、「墨江中王、火を大殿に著けつ。故、率て倭に逃げ幸でます」とまをしき。ここに天皇歌ひて曰く、「多遅比野に 寝むと知りせば 立薦も 持ちて来ましもの 寝むと知りせば」。波邇賦坂(河内国丹南郡に在り)に到りて、難波宮を望み見たまへば、その火なほ炳なりき。ここに天皇また歌ひて曰く、「波邇布坂 吾が立ち見れば かぎろひの 燃ゆる家群 妻が家のあたり」。故、大坂山口に幸し到りし時、一人の女人に遇ひたまひき。その女人の白さく、「兵を持てる人等、多にこの山に塞けり。当岐麻道より廻りて越え幸でますべし」とまをしき。ここに天皇歌ひて曰く、「大坂に 遇ふや嬢子を 道問へば 直には告らず 当芸麻路を告る」。故、上り幸でまして、石上神宮に坐しき。ここにその伊呂弟水歯別命、参赴きて謁さむと令めたまひき。ここに天皇、令詔りたまひしく、「吾、汝命を疑ふ。もし墨江中王と心を同じくせるか。故、相言はじ」とのりたまひき。答へて白さく、「僕は穢き邪き心無し。また墨江中王と同じからず」とまをしき。
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『古事記』下巻・黒日売の歌と八田若郎女ここに大御羹を羞めむと為て、その地の菘菜を採む時、天皇、その嬢子の菘を採む処に到り坐して、歌ひて曰く、「山県に 蒔ける菘菜も 吉備人と 共にし摘めば 楽しくもあるか」。天皇、上り幸でます時、黒日売、御歌を献りて曰く、「大和辺に 西風吹き上げて 雲離れ 退き居りとも 我忘れめや」。また歌ひて曰く、「大和辺に 行くは誰が夫 隠り処の 下よ延へつつ 行くは誰が夫」。この後の時、大后、豊楽をせむと為て、御綱柏を採りに、木の国に幸行でます間に、天皇、八田若郎女を婚ひたまひき。ここに大后、御綱柏を御船に積み盈てて、還り幸でます時、氷取の司に駆使はれたる、吉備の国の児島の仕丁、これ己が国に退るに、難波の大渡にて、後れたる倉人女の船に遇ひき。乃ち語りて云はく、「天皇は、皆八田若郎女を婚ひて、昼夜戯れ遊びたまふ。若し大后、この事を聞こしめさぬか。静かに遊び幸行でます」といひき。ここにその倉人女、この語言を聞き、すなはち御船に追ひ近づきて、白す状、具さに仕丁の言の如し。
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『古事記』下巻・大日下王の殺害と目弱王故、この二つの歌は読歌なり。穴穂御子、石上の穴穂宮に坐して、天下を治らしめしき。天皇、伊呂弟大長谷王子の為に、坂本臣等の祖、根臣を、大日下王の許に遣はして、詔らしめしく、「汝命の妹、若日下王を、大長谷王子に婚はせむと欲ふ。故、貢るべし」とのりたまひき。ここに大日下王、四たび拝みて白さく、「もしかかる大命有らむかと疑ひき。故、外に出ださずして置きつ。これ恐し。大命のまにまに奉進らむ。然れども言を以て白さむは、その思ふこと无礼なり」とまをして、即ちその妹の礼物として、押木の玉縵を持たしめて貢献りき。根臣、即ちその礼物の玉縵を盗み取りて、大日下王を讒して曰く、「大日下王は、勅命を受けずして曰く、『己が妹を、等しき族の下席と為むや』と言ひて、横刀の手上を取りて怒りぬ」といひき。故、天皇大きに怒りて、大日下王を殺して、その王の嫡妻長田大郎女を取り持ち来て、皇后と為したまひき。これより後、天皇、神牀に坐して、昼寝したまひき。ここにその后に語りて曰く、「汝、思ふ所有りや」とのりたまひき。答へて曰く、「天皇の敦き沢を被りて、何か思ふ所有らむ」とまをしき。ここにその大后の先の子目弱王、この年七歳なり。この王、その時に当たりて、その殿の下に遊びき。

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