古事記 / 下巻・多遅比野から石上神宮へ
爾阿知直白。墨江中王。火著大殿。故率逃於倭。爾天皇歌曰。多遲比怒邇。泥牟登斯理勢婆。多都碁母母。母知氏。許麻志母能。泥牟登斯理勢婆。到於波邇賦坂(在河內國丹南郡)。望見難波宮。其火猶炳。爾天皇亦歌曰。波邇布邪迦。和賀多知美禮婆。迦藝漏肥能。毛由流伊幣牟良。都麻賀伊幣能阿多理。故到幸大坂山口之時。遇一女人。其女人白之。持兵人等。多塞玆山。自當岐麻道。廻應越幸。爾天皇歌曰。淤富佐迦邇。阿布夜袁登賣。美知尋閇婆。多陀邇波能良受。當藝麻知袁能流。故上幸。坐石上神宮也。於是。其伊呂弟水齒別命參赴。令謁。爾天皇令詔。吾疑汝命。若與墨江中王同心乎。故不相言。答白。僕者無穢邪心。亦不同墨江中王。
新字:爾阿知直白。墨江中王。火著大殿。故率逃於倭。爾天皇歌曰。多遅比怒邇。泥牟登斯理勢婆。多都碁母母。母知氏。許麻志母能。泥牟登斯理勢婆。到於波邇賦坂(在河内国丹南郡)。望見難波宮。其火猶炳。爾天皇亦歌曰。波邇布邪迦。和賀多知美礼婆。迦芸漏肥能。毛由流伊幣牟良。都麻賀伊幣能阿多理。故到幸大坂山口之時。遇一女人。其女人白之。持兵人等。多塞玆山。自当岐麻道。廻応越幸。爾天皇歌曰。淤富佐迦邇。阿布夜袁登売。美知尋閇婆。多陀邇波能良受。当芸麻知袁能流。故上幸。坐石上神宮也。於是。其伊呂弟水歯別命参赴。令謁。爾天皇令詔。吾疑汝命。若与墨江中王同心乎。故不相言。答白。僕者無穢邪心。亦不同墨江中王。
書き下し
ここに阿知直、白さく、「墨江中王、火を大殿に著けつ。故、率て倭に逃げ幸でます」とまをしき。ここに天皇歌ひて曰く、「多遅比野に 寝むと知りせば 立薦も 持ちて来ましもの 寝むと知りせば」。波邇賦坂(河内国丹南郡に在り)に到りて、難波宮を望み見たまへば、その火なほ炳なりき。ここに天皇また歌ひて曰く、「波邇布坂 吾が立ち見れば かぎろひの 燃ゆる家群 妻が家のあたり」。故、大坂山口に幸し到りし時、一人の女人に遇ひたまひき。その女人の白さく、「兵を持てる人等、多にこの山に塞けり。当岐麻道より廻りて越え幸でますべし」とまをしき。ここに天皇歌ひて曰く、「大坂に 遇ふや嬢子を 道問へば 直には告らず 当芸麻路を告る」。故、上り幸でまして、石上神宮に坐しき。ここにその伊呂弟水歯別命、参赴きて謁さむと令めたまひき。ここに天皇、令詔りたまひしく、「吾、汝命を疑ふ。もし墨江中王と心を同じくせるか。故、相言はじ」とのりたまひき。答へて白さく、「僕は穢き邪き心無し。また墨江中王と同じからず」とまをしき。
現代語訳
阿知直が申し上げました。「墨江中王が大殿に火をつけたので、お連れして倭へ逃げているのです」。天皇は歌われました。「多遅比野で寝ると知っていたら、敷き物を持って来たのに。寝ると知っていたら」。波邇賦坂に着いて難波宮を望むと、まだ火が盛んに燃えていました。天皇はまた歌われました。「波邇賦坂に立って見ると、陽炎のように燃える家々がある。それは妻の家のあたりだ」。大坂山の入り口に着いた時、一人の女に会いました。女は、「武器を持った人たちが、多くこの山をふさいでいます。当岐麻道を回って越えなさい」と申し上げました。天皇は歌われました。「大坂で出会った乙女に道を尋ねると、まっすぐには教えず、当芸麻道を教えてくれた」。こうして山を上って、石上神宮にとどまりました。そこへ弟の水歯別命が参上して拝謁を求めましたが、天皇は、「私はおまえを疑っている。墨江中王と同心ではないのか。だから会わない」と言われました。水歯別命は、「私に汚い悪い心はありません。墨江中王とも同じではありません」と答えました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』下巻・仁徳崩御と墨江中王の乱その音、七里に響みき。ここに歌ひて曰く、「枯野を 塩に焼き 其が余り 琴に作り 掻き弾くや 由良の門の 門中の 海石に 触れ立つ 浸漬の木の さやさや」。これは志都歌の返歌なり。この天皇、御年八十三歳。(丁卯の年の八月十五日に崩りましき。)御陵は毛受の耳原に在り。伊邪本和気命、伊波礼(大和の十市郡に在り)の若桜宮に坐して、天下を治らしめしき。この天皇、葛城の曽都毘古の子、葦田宿禰の女、名は黒比売命を娶して、生みませる御子、市辺之忍歯王、次に御馬王、次に妹青海郎女、またの名は飯豊郎女、三柱。本、難波宮に坐しし時、大嘗に坐して、豊明を為す時、大御酒に浮かれて、大御寝したまひき。ここにその弟墨江中王、天皇を取らむと欲ひて、火を大殿に著けき。ここに倭漢直の祖、阿知直、盗み出して、御馬に乗せて倭に幸ししめき。故、多遅比野に到りて寤めて、詔りたまひしく、「ここは何処ぞ」とのりたまひき。
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『古事記』下巻・犬の贈り物と赤猪子故、その火を著くることを止めしめたまひき。即ちその若日下部王の許に幸行でまして、その犬を賜ひ入れて、令詔りたまひしく、「この物は、今日道に得つる奇しき物なり。故、都摩杼比(この四字は音を以てす)の物」と云ひて、賜ひ入れたまひき。ここに若日下部王、天皇に奏さしめたまひしく、「日に背きて幸行でましし事、甚恐し。故、己直に参上りて仕へ奉らむ」とまをさしめたまひき。ここを以て宮に還り上り坐す時、その山の坂の上に行き立ちて、歌ひて曰く、「日下辺の こちの山と 畳薦 平群の山の こちごちの 山の峡に 立ち栄ゆる 葉広熊樫 本には 生く美竹生ひ 末辺には たし美竹生ひ 生く美竹 いくみは寝ず たし美竹 たしには率寝ず 後も組み寝む その思ひ妻 あはれ」。即ちこの歌を持たしめて、使を返したまひき。また一時、天皇遊行でまして、美和河に到りし時、河の辺に衣洗ふ童女有り。その容姿甚麗しかりき。天皇、その童女に問ひたまひしく、「汝は誰が子ぞ」とのりたまひき。答へて白さく、「己が名は引田部赤猪子と謂ふ」とまをしき。
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『古事記』中巻・矢河枝比売との出会い一時、天皇、近つ淡海の国に越え幸でましし時、宇遅野の上に御立ちして、葛野を望けて、歌ひて曰く、「千葉の 葛野を見れば 百千足る 家庭も見ゆ 国の秀も見ゆ」。故、木幡の村(山城国宇治郡)に到り坐しし時、麗美しき嬢子、その道衢に遇へり。ここに天皇、その嬢子に問ひて曰く、「汝は誰が子ぞ」とのりたまへば、答へて白さく、「丸邇之比布礼能意富美の女、名は宮主矢河枝比売」とまをしき。天皇すなはちその嬢子に詔りたまはく、「吾、明日還り幸でます時、汝が家に入り坐さむ」とのりたまひき。故、矢河枝比売、委曲にその父に語りき。ここに父答へて曰く、「これは天皇にますなり。恐し。我が子仕へ奉れ」と云ひて、その家を厳餝りて候ひ待てば、明日入り坐しき。故、大御饗を献る時、その女矢河枝比売に、大御酒盞を取らしめて献りき。ここに天皇、その大御酒盞を取らしめながら、御歌に曰く、「この蟹や いづくの蟹 百伝ふ 角鹿の蟹 横去らふ いづくに至る 伊知遅島 み島に着き 鳰鳥の 潜き息づき しなだゆふ 楽浪道を すくすくと 我が行ませばや 木幡の道に 遇はしし嬢子 後方は 小楯ろかも 歯並みは 椎菱如す 櫟井の 丸邇坂の土を 初土は 膚赤らけみ 底土は 丹黒きゆゑ 三つ栗の その中つ土を 頭著く 真火には当てず 眉画き 濃に画き垂れ 遇はしし女 かもがと 我が見し子ら かくもがと 我が見し子に うたたけだに 向ひ居るかも い副ひ居るかも」。かく御合したまひき。
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『古事記』中巻・大和平定と饒速日命の帰順また歌ひて曰ひしく、 みつみつし くめのこが かきもとに うゑしはじかみ くちひひく われはわすれじ うちてしやまむ また歌ひて曰ひしく、 かむかぜの いせのうみの おひしに はひもとほろふ したたみの いはひもとほり うちてしやまむ また兄師木・弟師木を撃ちし時、御軍暫し疲れき。ここに歌ひて曰ひしく、 たたなめて いなさのやまの このまよも いゆきまもらひ たたかへば われはやゑぬ しまつとり うかひがとも いますけにこね 故、ここに邇芸速日命参赴きて、天つ神の御子に白ししく、「天つ神の御子天降り坐しぬと聞きし故に、追ひて参降り来つ」とまをして、即ち天津瑞を献りて仕へ奉りき。故、邇芸速日命、登美毘古の妹、登美夜毘売を娶りて生める子、宇摩志麻遅命。(こは物部連、穂積臣、采女臣の祖なり。)故、かく荒夫琉神ら(夫琉の二字は音を以ちてす)を言向け和平し、まつろはぬ人どもを退け撥ひて、畝火の白檮原宮に坐して、天の下を治めたまひき。
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『古事記』下巻・蜻蛉の歌と葛城山の猪その歌に曰く、「みえしのの 小室が嶽に 猪鹿伏すと 誰ぞ 大前に申す やすみしし 吾が大君の 猪鹿待つと 呉床に坐し 白妙の 袖着具ふ 手腓に 虻掻き着き その虻を 蜻蛉早咋ひ かくの如 名に負はむと そらみつ 倭の国を 蜻蛉島とふ」。故、その時より、その野を号けて阿岐豆野と謂ふ。また一時、天皇、葛城の山の上に登り幸でましき。ここに大猪出でたり。即ち天皇、鳴鏑を以てその猪を射たまふ時、その猪怒りて、宇多岐依り来。(宇多岐の三字は音を以てす)。故、天皇その宇多岐を畏みて、榛の上に登り坐しき。ここに歌ひて曰く、「やすみしし 吾が大君の 遊ばしし 猪の 病み猪の うたき畏み 吾が逃げ登りし 在り丘の 榛の木の枝」。また一時、天皇、葛城山に登り幸でましし時、百官の人等、悉に紅き紐著けたる青摺の衣服を給はりき。その時、その向かひし山の尾より、山の上に登る人あり。既に天皇の鹵簿に等しかりき。
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『古事記』下巻・曽婆訶理の誅殺また令詔りたまひしく、「然らば、今還り下りて、墨江中王を殺して上り来。その時、吾必ず相言はむ」とのりたまひき。故、即ち難波に還り下りて、墨江中王に近習ふ隼人、名は曽婆加理を欺きて云ひしく、「もし汝、吾が言に従はば、吾天皇と為りて、汝を大臣と作して、天下を治らしめむ。那何」といひき。曽婆訶理、答へて白さく、「命のまにまに」とまをしき。ここに多祿を其の隼人に給ひて曰く、「然らば汝の王を殺せ」といひき。ここに曽婆訶理、竊かに己が王の廁に入るを伺ひて、矛を以て刺して殺しき。故、曽婆訶理を率て、倭に上り幸でます時、大坂山口に到りて、以為へらく、「曽婆訶理、吾が為に大き功有れども、既に己が君を殺せり。これ不義なり。然れどもその功を賽はざれば、信無しと謂ひつべし。既にその信を行はば、還りてその情を惶る。故、その功を報ゆれども、その正身を滅ぼさむ」とおもほして、ここに曽婆訶理に詔りたまひしく、「今日はここに畱まりて、先づ大臣の位を給ひ、明日上り幸でむ」とのりたまひて、その山口に畱まり、即ち仮宮を造りて、忽ちに豊楽して、乃ちその隼人に大臣の位を賜ひて、百官をして拝ましめたまひき。隼人歓喜びて、志を遂げぬと以為へり。ここにその隼人に詔りたまひしく、「今日は大臣と、同じ盞の酒を飲まむ」とのりたまひて、共に飲む時、面を隠せる大鋺に、その進める酒を盛りたまひき。

人生を、一行の式にしてみた。
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