古事記 / 中巻・倭比売の囊と野の火
天皇既所以思吾死乎。何擊遣西方之惡人等而。返參上來之間。未經幾時。不賜軍衆。今更平遣東方十二道之惡人等。因此思惟。猶所思看吾既死焉。患泣罷時。倭比賣命。賜草那藝劒。(那藝二字以音)亦賜御囊而詔。若有急事。解茲囊口。故到尾張國。入坐尾張國造之祖。美夜受比賣之家。乃雖思將婚。亦思還上之時將婚。期定而幸于東國。悉言向和平山河荒神。及不伏人等。故爾到相武國之時。其國造詐白。於此野中有大沼。住是沼中之神。甚道速振神也。於是看行其神。入坐其野。爾其國造火著其野。故知見欺而。解開其姨倭比賣命之所給囊口而見者。火打有其裏。於是。先以其御刀刈撥草。以其火打而。打出火。著向火而燒退還出。皆切滅其國造等。即著火燒。
新字:天皇既所以思吾死乎。何撃遣西方之悪人等而。返参上来之間。未経幾時。不賜軍衆。今更平遣東方十二道之悪人等。因此思惟。猶所思看吾既死焉。患泣罷時。倭比売命。賜草那芸劒。(那芸二字以音)亦賜御嚢而詔。若有急事。解茲嚢口。故到尾張国。入坐尾張国造之祖。美夜受比売之家。乃雖思将婚。亦思還上之時将婚。期定而幸于東国。悉言向和平山河荒神。及不伏人等。故爾到相武国之時。其国造詐白。於此野中有大沼。住是沼中之神。甚道速振神也。於是看行其神。入坐其野。爾其国造火著其野。故知見欺而。解開其姨倭比売命之所給嚢口而見者。火打有其裏。於是。先以其御刀刈撥草。以其火打而。打出火。著向火而焼退還出。皆切滅其国造等。即著火焼。
書き下し
「天皇、既に吾を死ねと思ほすゆゑか。何ぞ西の方の悪しき人等を撃ちに遣はして、返り参上り来し間、未だ幾時も経ぬに、軍衆(いくさびと)を賜はずて、今更に東の方十二道の悪しき人等を平らげに遣はすらむ。これによりて思惟(おもひ)みるに、なほ吾既に死ねと思ほし看すなり」と患ひ泣きて罷りたまふ時に、倭比売命、草那芸剣を賜ひ、また御囊を賜ひて詔りたまはく、「もし急かなる事あらば、この囊の口を解け」とのりたまひき。かれ尾張国に到りて、尾張国造の祖、美夜受比売の家に入り坐しき。乃ち婚はむと思ほせども、また還り上らむ時に婚はむと思ほして、期(ちぎ)り定めて東国に幸でまし、悉く山河の荒ぶる神、また伏ろはぬ人等を言向け和平したまひき。かれここに相武国に到りし時に、その国造詐りて白さく、「この野の中に大沼あり。この沼の中に住む神、甚だ道速振る神なり」とまをしき。ここにその神を看に行きたまひて、その野に入り坐しき。爾してその国造、その野に火を著けき。かれ欺かれたりと知りて、その姨倭比売命の給へる囊の口を解き開けて見たまへば、火打ちその裏にありき。ここに先づその御刀をもちて草を刈り撥ひ、その火打ちをもちて火を打ち出して、向火(むかへび)を著けて焼き退け、還り出でて、皆その国造等を切り滅ぼし、即ち火を著けて焼きたまひき。
現代語訳
「天皇は、すでに私に死ねとお思いなのだろうか。西の悪い者たちを討ちに遣わし、戻ってきてまだいくらも経たないのに、兵も与えず、さらに東の十二の国の悪い者たちを平らげに遣わすとは。これを思うと、やはり天皇は私に死ねとお思いなのだ」。そう言って悲しみ泣きながら出発するとき、倭比売命は草那芸剣を与え、また袋を授けて言いました。「もし急な事があったら、この袋の口を開けなさい」。倭建命は尾張国に着いて、尾張国造の祖である美夜受比売の家に入りました。すぐに結婚しようと思いましたが、戻る時に結婚しようと思い直し、固く約束して東国へ向かい、山河の荒ぶる神々や従わない人々を、すべて言葉で従わせ平定しました。さて相武国に着いたとき、その国造が偽って言いました。「この野の中に大きな沼があります。沼に住む神は、たいそう荒々しい神です」。そこで倭建命はその神を見に行こうとして、野の中に入りました。すると国造は野に火をつけました。倭建命は欺かれたと知り、叔母の倭比売命がくれた袋の口を開けて見ると、火打ち石が入っていました。そこで先に剣で草を刈り払い、火打ちで火を打ち出して向かい火をつけ、焼き退けて外へ出ました。そして国造たちをみな切り滅ぼし、火をつけて焼きました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』中巻・弟橘比売の入水と東の嘆きかれその地は、今に焼遺(やきづ)と謂ふ。その入り幸でましし自(よ)り、走水の海を渡りたまふ時に、その渡の神、浪を興(おこ)して船を廻らし、進み渡ること得ざりき。爾してその后、名は弟橘比売命白したまはく、「妾、御子に易(か)はりて海の中に入らむ。御子は遣はさえし政(まつりごと)を遂げて覆奏したまふべし」とまをして、海に入らむとする時に、菅畳八重、皮畳八重、絁畳八重を波の上に敷きて、その上に下り坐しき。ここにその暴き浪自ら伏し、御船進むことを得き。爾してその后の歌に曰はく、「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」。かれ七日の後に、その后の御櫛、海辺に依りき。乃ちその櫛を取りて、御陵を作りて治め置きき。その入り幸でましし自り、悉く荒夫琉蝦夷等を言向け、また山河の荒ぶる神等を平らげ和して、還り上り幸でます時に、足柄の坂本に到りて、御粮(みかれひ)を食(を)す処にて、その坂の神、白き鹿に化りて来立ちき。爾して即ちその咋ひ遺せる蒜(ひる)の片端をもちて待ち打ちたまへば、その目に中りて乃ち打ち殺したまひき。かれその坂に登り立ちて、三たび歎かして詔りたまはく、「吾妻はや」とのりたまひき。(阿より下の五字は音をもちてす。)かれその国を号けて阿豆麻と謂ふ。即ちその国より越え出でて甲斐に、酒折宮に坐しし時に、歌に曰はく、「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」。
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『古事記』中巻・老人と美夜受の歌爾してその御火焼(みひたき)の老人、御歌に続ぎて歌ひて曰はく、「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」。ここをもちてその老人を誉めて、即ち東国造を給ひき。その国より科野国に越え、乃ち科野の坂の神を言向けて、尾張国に還り来て、先の日に期(ちぎ)りし美夜受比売の許に入り坐しき。ここに大御食を献る時に、その美夜受比売、大御酒盞(おほみきさかづき)を捧げて献りき。爾してその美夜受比売、その意須比(おすひ)の襴(すそ)に月経著きき。かれその月経を見て、御歌に曰はく、「ひさかたの 天の香具山 利鎌(とがま)に さ渡る鵠(くび) ひはぼそ たわや腕(がひな)を 枕(ま)かむとは 我はすれど さ寝むとは 我は思へど 汝が著せる 襲衣(おすひ)の襴に 月立ちにけり」。爾して美夜受比売、御歌に答へて曰はく、「高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経(きふ)れば あらたまの 月は来経往く 諾(うべ)な諾な 君待ちがたに 我が著せる 襲衣の襴に 月立たなむよ」。
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『古事記』中巻・出雲建を欺くかれその時より、御名を称へて倭建命と謂ふ。然して還り上りし時に、山の神、河の神、また穴戸の神、皆言向け和して参上りたまひき。即ち出雲国に入り坐して、その出雲建を殺さむと欲(おも)ひて、到りて即ち友を結びたまひき。かれ竊かに赤檮(いちひ)をもちて詐刀(いつはりたち)を作り、御佩(はか)しとなして、共に肥河に沐(ゆあみ)したまひき。爾して倭建命、河より先に上り、出雲建の解き置きし横刀を取りて佩き、「刀を易へむ」と詔りたまひき。かれ後に出雲建、河より上りて、倭建命の詐刀を佩きき。ここに倭建命、誂(あつら)へて云はく、「いざ刀合はせむ」とのりたまひき。爾して各々その刀を拔く時に、出雲建、詐刀を拔くこと得ず。即ち倭建命、その刀を拔きて、出雲建を打ち殺したまひき。爾して御歌に曰はく、「やつめさす 出雲建が 佩ける太刀 黒葛(つづら)多(さは)巻き さ身(み)無しに あはれ」。かくして撥ひ治め、参上りて覆奏したまひき。爾して天皇、また頻りに倭建命に詔りたまひて、「東の方十二道の荒ぶる神、また伏ろはぬ人等を言向け和平せ」とのりたまひて、吉備臣等が祖、名は御鉏友耳建日子を副へて遣はす時に、比比羅木の八尋矛を給ひき。(比比羅の三字は音をもちてす。)かれ命を受けて罷り行く時に、伊勢の大御神の宮に参入りて、神の朝廷(みかど)を拝み、即ちその姨倭比売命に白したまはく、
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『神皇正統記』巻二 第十二代 景行天皇とをしへ給ける。駿河にいたるに、賊徒野に火をつけて害したてまつらんことをはかりけり。火のいきほひまぬかれがたかりけるに、はかせる叢雲の剣をみづからぬきて、かたはらの草をなぎてはらふ。これより名をあらためて草薙の剣と云ふ。又火うちをもて火を出て、むかひ火を付て、賊徒を焼ころされにき。これより船に乗給て上総にいたり、転じて陸奥国にいり、日高見の国にいたり、悉蝦夷を平げ給。かへりて常陸をへ甲斐にこえ、又武蔵・上野をへて、碓日坂にいたり、弟橘媛と云し妾をしのび給。東南の方をのぞみて、「吾嬬者耶。」との給しより、山東の諸国をあづまと云也。これより道をわけ、吉備の武彦をば越後国に遣して不順者を平しめ給。尊は信濃より尾張にいで給。かの国に宮簀媛と云女あり。尾張の稲種宿禰の妹也。此女をめして淹留給あひだ、五十葺の山に荒神ありときこえければ、剣をば宮簀媛の家にとゞめて、かちよりいでます。山神化して小蛇になりて、御道によこたはれり。
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『古事記』中巻・伊服岐の山の神と傲りかれ爾して御合(みあ)ひして、その御刀の草那芸剣を、その美夜受比売の許に置きて、伊服岐能山の神を取りに幸行でましき。ここに詔りたまはく、「この山の神は、徒手(むなで)に直(ただ)に取らむ」とのりたまひて、その山に騰りたまふ時に、白き猪、山辺に逢へり。その大きさ牛のごとし。爾して言挙げして詔りたまはく、「この白き猪に化れるは、その神の使者(つかはしめ)なり。今は殺さずとも、還らむ時に殺さむ」とのりたまひて、騰り坐しき。ここに大氷雨を零らして、倭建命を打ち惑はしき。(この白き猪に化れるは、その神の使者にあらず、その神の正身(ただみ)に当たれるなり。言挙げによりて惑はさえしなり。)かれ還り下りて坐しし、玉倉部の清泉に到りて息(いこ)ひ坐しし時に、御心稍々(やや)寤(さ)めき。かれその清泉を号けて居寤の清泉と謂ふ。その処より発ちて、当芸野の上に到りし時に、詔りたまはく、「吾が心、恒に虚(そら)より翔り行かむと念(おも)ひき。然れども今吾が足歩むこと得ず、当芸斯(たぎし)の形に成りぬ」とのりたまひき。(当より下の三字は音をもちてす。)かれその地を号けて当芸と謂ふ。その地より差し少しく幸行でましし、甚だ疲れたるによりて、御杖を衝きて稍々歩みたまひき。かれその地を号けて杖衝坂と謂ふ。尾津の前の一つ松の許に到り坐しし、先に御食(みをし)したまひし時に、その地に忘れたまひし御刀、失せずてなほ有りき。
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『古語拾遺』慎みて怠ること莫かれ日本武命をして東夷を征討せしむ。仍りて道を枉げて伊勢神宮に詣り、倭姫命に辞見す。草薙剣を以て日本武命に授けて、教えて曰く、慎みて怠ること莫かれ、と。日本武命既に東虜を平らげ、還りて尾張国に至り、宮簀媛を納れて淹留すること月を踰ゆ。剣を解きて宅に置き、徒行して膽吹山に登り、毒に中りて薨ず。

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