古事記 / 下巻・犬の贈り物と赤猪子
故令止其著火。即幸行其若日下部王之許。賜入其犬。令詔。是物者。今日得道之奇物。故都摩杼比(此四字以音)之物云而。賜入也。於是。若日下部王。令奏天皇。背日幸行之事。甚恐。故己直參上而仕奉。是以還上坐於宮之時。行立其山之坂上。歌曰。久佐加辨能。許知能夜麻登。多多美許母。幣具理能夜麻能。許知碁知能。夜麻能賀比爾。多知邪加由流。波毘呂久麻加斯。母登爾波。伊久美陀氣淤斐。須惠幣爾波。多斯美陀氣淤斐。伊久美陀氣。伊久美波泥受。多斯美陀氣。多斯爾波韋泥受。能知母久美泥牟。曾能淤母比豆麻。阿波禮。即令持此歌而。返使也。亦一時。天皇遊行。到於美和河之時。河邊有洗衣童女。其容姿甚麗。天皇問其童女。汝者誰子。答白。己名謂引田部赤猪子。
新字:故令止其著火。即幸行其若日下部王之許。賜入其犬。令詔。是物者。今日得道之奇物。故都摩杼比(此四字以音)之物云而。賜入也。於是。若日下部王。令奏天皇。背日幸行之事。甚恐。故己直参上而仕奉。是以還上坐於宮之時。行立其山之坂上。歌曰。久佐加弁能。許知能夜麻登。多多美許母。幣具理能夜麻能。許知碁知能。夜麻能賀比爾。多知邪加由流。波毘呂久麻加斯。母登爾波。伊久美陀気淤斐。須恵幣爾波。多斯美陀気淤斐。伊久美陀気。伊久美波泥受。多斯美陀気。多斯爾波韋泥受。能知母久美泥牟。曽能淤母比豆麻。阿波礼。即令持此歌而。返使也。亦一時。天皇遊行。到於美和河之時。河辺有洗衣童女。其容姿甚麗。天皇問其童女。汝者誰子。答白。己名謂引田部赤猪子。
書き下し
故、その火を著くることを止めしめたまひき。即ちその若日下部王の許に幸行でまして、その犬を賜ひ入れて、令詔りたまひしく、「この物は、今日道に得つる奇しき物なり。故、都摩杼比(この四字は音を以てす)の物」と云ひて、賜ひ入れたまひき。ここに若日下部王、天皇に奏さしめたまひしく、「日に背きて幸行でましし事、甚恐し。故、己直に参上りて仕へ奉らむ」とまをさしめたまひき。ここを以て宮に還り上り坐す時、その山の坂の上に行き立ちて、歌ひて曰く、「日下辺の こちの山と 畳薦 平群の山の こちごちの 山の峡に 立ち栄ゆる 葉広熊樫 本には 生く美竹生ひ 末辺には たし美竹生ひ 生く美竹 いくみは寝ず たし美竹 たしには率寝ず 後も組み寝む その思ひ妻 あはれ」。即ちこの歌を持たしめて、使を返したまひき。また一時、天皇遊行でまして、美和河に到りし時、河の辺に衣洗ふ童女有り。その容姿甚麗しかりき。天皇、その童女に問ひたまひしく、「汝は誰が子ぞ」とのりたまひき。答へて白さく、「己が名は引田部赤猪子と謂ふ」とまをしき。
現代語訳
そこで天皇は火をつけるのをやめさせました。そしてすぐに若日下部王のもとへ行き、その犬を与えて、「これは今日、道で手に入れた珍しい物だ。だから都摩杼比(求婚の贈り物)にしよう」と言って、お与えになりました。若日下部王は天皇に申し上げさせました。「日を背にしてお出かけになったことは、たいへん恐れ多いことです。私のほうから直接参上してお仕えいたします」。そこで天皇は宮に戻る時、その山の坂の上に行って立ち、歌いました。「日下の此方の山と、平群の山の、あちこちの山の谷間に立ち栄える葉の広い熊樫の、根元には生き生きとした竹が生え、先のほうには盛んな竹が生えている。その生き生きとした竹のようには寝ず、盛んな竹のようには寝られなかったが、のちには共に寝よう。その思う妻よ、ああ」。この歌を持たせて、使いを返しました。またある時、天皇が出かけて美和河に着くと、河のほとりに衣を洗う少女がいました。その容姿はたいへん美しいものでした。天皇が少女に、「おまえは誰の子か」とお尋ねになると、「私の名は引田部赤猪子と申します」と答えました。
解説
この章句が説くこと
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『古事記』下巻・赤猪子の返歌と吉野の童女ここに赤猪子の泣く涙、悉くその服せる丹摺の袖を湿らしつ。その大御歌に答へて歌ひて曰く、「みもろに 築くや玉垣 築き余し 誰にかも依らむ 神の宮人」。また歌ひて曰く、「日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも」。ここに多祿をその老女に給ひて、返し遣はしたまひき。故、この四つの歌は志都歌なり。天皇、吉野宮に幸行でましし時、吉野川の浜に、童女有り。その形姿美麗し。故、この童女を婚ひて、宮に還り坐しき。後に更にまた吉野に幸行でましし時、その童女の遇ひし所に留まりて、その処に大御呉床を立てて、その御呉床に坐して、御琴を弾きて、その嬢子に儛せしめたまひき。ここにその嬢子の好く儛ふに因りて、御歌を作りたまひき。その歌に曰く、「呉床居の 神の御手もち 弾く琴に 舞する女 常世にもがも」。即ち阿岐豆野に幸して、御獦したまふ時、天皇、御呉床に坐しき。ここに蝱、御腕を咋ひき。即ち蜻蛉来て、その蝱を咋ひて飛びき。(蜻蛉を訓みて阿岐豆と云ふ。)ここに御歌を作りたまひき。
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『古事記』下巻・赤猪子の八十年ここに令詔りたまひしく、「汝は夫に嫁はざれ。今喚してむ」とのりたまひて、宮に還り坐しき。故、その赤猪子、天皇の命を仰ぎ待ちて、既に八十歳を経たり。ここに赤猪子以為へらく、「命を望ぎし間に、已に多くの年を経て、姿体痩せ萎みて、更に恃む所無し。然れども待てる情を顕さずは、悒きに忍びじ」とおもひて、百取の机代の物を持たしめて、参ゐ出でて貢献りき。然れども天皇、既に先に命ぜしことを忘れて、その赤猪子に問ひて曰く、「汝は誰が老女ぞ。何の由にか参ゐ来し」とのりたまひき。ここに赤猪子、答へて白さく、「その年その月、天皇の命を被りて、大命を仰ぎ待ちて、今日に至るまで八十歳を経たり。今は容姿既に耆いて、更に恃む所無し。然れども己が志を顕し白さむとして、参ゐ出でしのみ」とまをしき。ここに天皇、大きに驚きて曰く、「吾は既に先のことを忘れき。然れども汝は志を守り命を待ちて、徒に盛りの年を過ぐしつ。これ甚愛しく悲し」とのりたまひて、心の裏に婚はむと欲ひたまへども、その極めて老いたるを憚りて、婚ひを成すこと得ずして、御歌を賜ひき。その歌に曰く、「みもろの 厳白檮が下 ゆゆしきかも 白檮原嬢子」。また歌ひて曰く、「引田の 若栗栖原 若くへに 率寝てましもの 老いにけるかも」。
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『古事記』下巻・雄略の后妃と大県主大長谷若建命、長谷の朝倉宮に坐して、天下を治らしめしき。天皇、大日下王の妹、若日下部王を娶したまひしが、子无し。また都夫良意富美の女、韓比売を娶して、生みませる御子、白髪命、次に妹若帯比売命、二柱。故、白髪太子の御名代と為て、白髪部を定め、また長谷部の舎人を定め、また河瀬の舎人を定めたまひき。この時、呉人参ゐ渡り来つ。その呉人を呉原に安置きたまひき。故、その地を号けて呉原と謂ふ。初め大后の日下に坐しし時、日下の直越の道より、河内に幸行でましき。ここに山の上に登りて、国内を望みたまへば、上堅魚を作れる舎屋の家有りき。天皇、その家を問はしめて云ひしく、「その上堅魚を作れる舎は、誰が家ぞ」とのりたまひき。答へて白さく、「志幾の大県主が家なり」とまをしき。ここに天皇詔りたまひしく、「奴や、己が家を、天皇の御舎に似せて造れり」とのりたまひて、即ち人を遣はして、その家を焼かしめたまふ時、その大県主、懼り畏みて、稽首きて白さく、「奴にあれば、奴のまにまに覚らずして過ち作れり。甚畏し。故、能美の御幣物(能美の二字は音を以てす)を献らむ」とまをして、布を白き犬に繋けて、鈴を著けて、己が族、名は腰佩と謂ふ人をして、その犬の縄を取らしめて献上りき。
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『古事記』中巻・矢河枝比売との出会い一時、天皇、近つ淡海の国に越え幸でましし時、宇遅野の上に御立ちして、葛野を望けて、歌ひて曰く、「千葉の 葛野を見れば 百千足る 家庭も見ゆ 国の秀も見ゆ」。故、木幡の村(山城国宇治郡)に到り坐しし時、麗美しき嬢子、その道衢に遇へり。ここに天皇、その嬢子に問ひて曰く、「汝は誰が子ぞ」とのりたまへば、答へて白さく、「丸邇之比布礼能意富美の女、名は宮主矢河枝比売」とまをしき。天皇すなはちその嬢子に詔りたまはく、「吾、明日還り幸でます時、汝が家に入り坐さむ」とのりたまひき。故、矢河枝比売、委曲にその父に語りき。ここに父答へて曰く、「これは天皇にますなり。恐し。我が子仕へ奉れ」と云ひて、その家を厳餝りて候ひ待てば、明日入り坐しき。故、大御饗を献る時、その女矢河枝比売に、大御酒盞を取らしめて献りき。ここに天皇、その大御酒盞を取らしめながら、御歌に曰く、「この蟹や いづくの蟹 百伝ふ 角鹿の蟹 横去らふ いづくに至る 伊知遅島 み島に着き 鳰鳥の 潜き息づき しなだゆふ 楽浪道を すくすくと 我が行ませばや 木幡の道に 遇はしし嬢子 後方は 小楯ろかも 歯並みは 椎菱如す 櫟井の 丸邇坂の土を 初土は 膚赤らけみ 底土は 丹黒きゆゑ 三つ栗の その中つ土を 頭著く 真火には当てず 眉画き 濃に画き垂れ 遇はしし女 かもがと 我が見し子ら かくもがと 我が見し子に うたたけだに 向ひ居るかも い副ひ居るかも」。かく御合したまひき。
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『古事記』下巻・大日下王の殺害と目弱王故、この二つの歌は読歌なり。穴穂御子、石上の穴穂宮に坐して、天下を治らしめしき。天皇、伊呂弟大長谷王子の為に、坂本臣等の祖、根臣を、大日下王の許に遣はして、詔らしめしく、「汝命の妹、若日下王を、大長谷王子に婚はせむと欲ふ。故、貢るべし」とのりたまひき。ここに大日下王、四たび拝みて白さく、「もしかかる大命有らむかと疑ひき。故、外に出ださずして置きつ。これ恐し。大命のまにまに奉進らむ。然れども言を以て白さむは、その思ふこと无礼なり」とまをして、即ちその妹の礼物として、押木の玉縵を持たしめて貢献りき。根臣、即ちその礼物の玉縵を盗み取りて、大日下王を讒して曰く、「大日下王は、勅命を受けずして曰く、『己が妹を、等しき族の下席と為むや』と言ひて、横刀の手上を取りて怒りぬ」といひき。故、天皇大きに怒りて、大日下王を殺して、その王の嫡妻長田大郎女を取り持ち来て、皇后と為したまひき。これより後、天皇、神牀に坐して、昼寝したまひき。ここにその后に語りて曰く、「汝、思ふ所有りや」とのりたまひき。答へて曰く、「天皇の敦き沢を被りて、何か思ふ所有らむ」とまをしき。ここにその大后の先の子目弱王、この年七歳なり。この王、その時に当たりて、その殿の下に遊びき。
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『古事記』下巻・奴理能美の虫と皇后の弁明また、その妹口比売、及び奴理能美、三人議りて、天皇に奏さしめて云ひしく、「大后の幸行でましし所以は、奴理能美の養ふ虫、一たびは匐ふ虫と為り、一たびは殻と為り、一たびは飛ぶ鳥と為る、三色に変はる奇しき虫有り。この虫を看行はしに入り坐ししのみ。更に異心無し」とまをしき。かく奏す時、天皇詔りたまひしく、「然らば、吾も奇し異しと思ふ。故、見に行かむと欲ふ」とのりたまひて、大宮より上り幸行でまして、奴理能美の家に入り坐しし時、その奴理能美、己が養ふ三種の虫を大后に献りき。ここに天皇、その大后の坐す殿戸に御立ちして、歌ひて曰く、「つぎねふ 山城女の 木鍬持ち 打ちし大根 さわさわに 汝が言へせこそ 打ち渡す 八桑枝なす 来入り参ゐ来れ」。この天皇と大后の歌ひたまひし六つの歌は、志都歌の返歌なり。天皇、八田若郎女を恋ひて、御歌を賜ひ遣はす。その歌に曰く、「八田の ひともとすげは 子持たず 立ちか荒れなむ あたらすが原 言をこそ すが原と言はめ あたらしすがし女」。

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