古事記 / 中巻・出雲参拝と肥長比売
故到於出雲。拜訖大神。還上之時。肥河之中。作黑樔橋。仕奉假宮而坐。爾出雲國造之祖。名岐比佐都美。飾青葉山而。立其河下。將獻大御食之時。其御子詔言。是於河下。如青葉山者。見山非山。若坐出雲之石硐之曾宮。葦原色許男大神以伊都玖之祝大廷平問賜也。爾所遣御伴王等。聞歡見喜而。御子者坐檳榔之長穗宮而。貢上驛使。爾其御子一宿婚肥長比賣。故竊伺其美人者蛇也。即見畏遁逃。爾其肥長比賣患。光海原。自船追來故。益見畏以。自山多和(此二字以音)引越御船。逃上行也。於是覆奏言。因拜大神。大御子物詔。故參上來。故天皇歡喜。即返菟上王。令造神宮。於是。天皇因其御子。定鳥取部。鳥甘部。品遲部。大湯坐。若湯坐。又隨其后之白。喚上美知能宇斯王之女等。比婆須比賣命。
新字:故到於出雲。拝訖大神。還上之時。肥河之中。作黒樔橋。仕奉仮宮而坐。爾出雲国造之祖。名岐比佐都美。飾青葉山而。立其河下。将献大御食之時。其御子詔言。是於河下。如青葉山者。見山非山。若坐出雲之石硐之曽宮。葦原色許男大神以伊都玖之祝大廷平問賜也。爾所遣御伴王等。聞歓見喜而。御子者坐檳榔之長穂宮而。貢上駅使。爾其御子一宿婚肥長比売。故窃伺其美人者蛇也。即見畏遁逃。爾其肥長比売患。光海原。自船追来故。益見畏以。自山多和(此二字以音)引越御船。逃上行也。於是覆奏言。因拝大神。大御子物詔。故参上来。故天皇歓喜。即返菟上王。令造神宮。於是。天皇因其御子。定鳥取部。鳥甘部。品遅部。大湯坐。若湯坐。又随其后之白。喚上美知能宇斯王之女等。比婆須比売命。
書き下し
かれ出雲に到りて、大神を拝み訖(を)へて、還り上る時に、肥河(ひのかは)の中に黒き樔橋(すばし)を作り、仮宮を仕へ奉りて坐さしめき。爾して出雲国造の祖、名は岐比佐都美(きひさつみ)、青葉の山を飾りて、その河下に立て、大御食を献らむとせし時に、その御子詔りたまはく、「この河下にある、青葉の山のごときは、山と見えて山にあらず。もし出雲の石硐(いはくま)の曾宮(そのみや)に坐す葦原色許男大神を、斎(いつ)き祭る祝(はふり)の大庭(おほには)か」と問ひたまひき。爾して遣はされし御伴の王等、聞きて歓び見て喜び、御子は檳榔(あぢまさ)の長穂宮に坐さしめて、駅使(はゆまづかひ)を貢(たてまつ)り上らしめき。爾してその御子、一宿(ひとよ)肥長比売に婚(あ)ひたまひき。かれ竊(ひそ)かにその美人(をとめ)を伺へば蛇なりき。即ち見て畏み逃げたまひき。爾してその肥長比売患(うれ)へて、海原を光(て)らして、船より追ひ来たりき。かれ益々見て畏み、山の多和(たわ)(この二字は音をもちてす)より御船を引き越して、逃げ上り行きたまひき。ここに覆奏(かへりごとまを)して言さく、「大神を拝むによりて、大御子ものを詔りたまひき。かれ参上り来つ」とまをしき。かれ天皇歓喜(よろこ)びたまひて、即ち菟上王を返して、神の宮を造らしめたまひき。ここに天皇、その御子によりて、鳥取部、鳥甘部、品遅部、大湯坐、若湯坐を定めたまひき。また、その后の白したまひし随(まにま)に、美知能宇斯王の女等、比婆須比売命、
現代語訳
一行は出雲に着いて大神を拝み終え、帰る途中、肥の河の中に黒木の橋を架け、仮の宮を建てて御子をお迎えしました。出雲国造の祖で岐比佐都美という人が、青葉で飾った山のような作り物を河下に立て、食事を献上しようとしたとき、御子は言いました。「この河下にある青葉の山のようなものは、山に見えて山ではない。もしや出雲の石の洞窟の宮にいらっしゃる葦原色許男大神をお祭りする、神官たちの祭場なのだろうか」。お供の王たちはこれを聞いて喜びました。そして御子を檳榔の長穂宮にお迎えし、早馬の使いを朝廷に送りました。その間、御子は一夜、肥長比売と結ばれました。ところが、ひそかにその美女をのぞいてみると蛇でした。御子は見て恐れ、逃げ出しました。肥長比売はこれを悲しみ、海原を光らせて船で追ってきました。御子はますます恐れ、山の峠から舟を引き越して、逃げ上りました。お供の者が朝廷に報告しました。「大神を拝んだことで、御子様が言葉を話されました。それで帰って参りました」。天皇は大いに喜び、菟上王を出雲に戻して神の宮を造らせました。さらに天皇は、御子のために、鳥取部、鳥甘部、品遅部、大湯坐、若湯坐を定めました。また、后が申し上げたとおりに、美知能宇斯王の娘たち、比婆須比売命、
解説
この章句が説くこと
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『古事記』中巻・出雲の祟りと曙立王の誓約爾して祟りは出雲大神(杵築の大社に坐す)の御心なりき。かれその御子をして、その大神の宮を拝ましめむとして遣はさむ時に、誰人を副(そ)へしめば吉(よ)けむとする。爾して曙立王(あけたつのみこ)卜(うら)に食(あ)ひき。かれ曙立王に科(おほ)せて、宇気比(うけひ)白さしめたまひき。(宇気比の三字は音をもちてす。)「ここに大神を拝むによりて、まことに験(しるし)あらば、この鷺巣池の樹に住む鷺よ、宇気比に落ちよ」とかく詔りたまふ時に、その鷺、宇気比のままに地に墮ちて死にき。また詔りたまはく「宇気比に活きよ」と。爾して更に活きき。また甜白檮(あまかし)(高市)の前に在る葉広熊白檮(はびろくまかし)を、宇気比に枯らし、また宇気比に生かしき。爾してその曙立王に名を賜ひて、倭者師木登美豊朝倉曙立王(やまとにはしきとみのとよあさくらのあけたつのみこ)と謂ふ。(登美の二字は音をもちてす。)即ち曙立王、菟上王(うなかみのみこ)の二王を、その御子に副へて遣はす時に、那良戸(ならと)より行かば跛(あしなへ)、盲(めしひ)に遇はむ。大坂戸よりもまた跛、盲に遇はむ。ただ木(き)(紀)戸のみぞ、これ腋月(わきつき)の吉き戸ならむと卜(うら)ひて、出で行きたまふ時、坐(ま)す地ごとに品遅部(ほむぢべ)を定めたまひき。
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『古事記』上巻・大蛇退治と須賀の宮故、告りたまひしまにまに、かく備へ設けて待つ時、その八俣遠呂智、まことに言のごとく来つ。すなはち船ごとに己(おの)が頭を垂れ入れてその酒を飲みき。ここに飲み酔ひて、死に伏し寝たり。ここに速須佐之男命、その御佩(は)かせる十拳劒(とつかのつるぎ)を抜きて、その蛇を切り散(はふ)りたまひしかば、肥の河、血に変りて流れき。故、その中の尾を切りたまふ時、御刀の刃毀(こぼ)れき。ここに怪しと思ほして、御刀の前(さき)もちて刺し割きて見たまへば、都牟刈(つむがり)の大刀ありき。故、この大刀を取りて、異(あや)しき物と思ほして、天照大御神に白し上げたまひき。こは草那藝(くさなぎ)の大刀なり。故、ここをもちてその速須佐之男命、宮を造るべき地を出雲国に求ぎたまひき。ここに須賀の地に到り坐して詔りたまひしく、「吾、此地に来て、我が御心すがすがし」とのりたまひて、その地に宮を作りて坐しき。故、その地は、今に須賀といふ。この大神、初めて須賀の宮を作りたまふ時、その地より雲立ち騰りき。ここに御歌を作りたまひき。その歌に曰く、 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
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『古事記』中巻・垂仁の御子と沙本毘古また鳥取(和泉日根郡)の河上宮に坐しまして、横刀一千口を作らしめき。これを石上神宮に奉納めき。すなはちその宮に坐しまして、河上部を定めたまひき。次に大中津日子命は、(山辺(大和郡名)の別、三枝の別、稲木の別、阿太の別、尾張国の三野(中島郡)別、吉備の石无別、許呂母の別、高巣鹿の別、飛島君、牟礼の別らの祖なり。)次に倭比売命は、(伊勢大神宮を拝き祭りたまひき。)次に伊許婆夜和気王は、(沙本の穴太部の別の祖なり。)次に阿邪美都比売命は、(稲瀬毘古王に嫁ぎたまひき。)次に落別王は、(小月の山君、三川の衣君の祖なり。)次に五十日帯日子王は、(春日山君、高志の池君、春日部君の祖なり。)次に伊登志和気王は、(子無きに因りて、子代として、伊登志部を定めたまひき。)次に石衝別王は、(羽咋君、三尾君の祖なり。)次に布多遅能伊理毘売命は、(倭建命の后と為りたまひき。)この天皇、沙本毘売命を以ちて后と為したまひし時に、沙本毘売命の兄、沙本毘古王、その伊呂妹に問ひて曰く、「夫と兄と孰れか愛しき」と。答へて曰く、「兄を愛しぶ」と。
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『古事記』上巻・葦原中国平定と天菩比神天照大御神の命もちて、「豊葦原の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂国は、我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国ぞ」と言依(ことよ)さし賜ひて、天降したまひき。ここに天忍穂耳命、天の浮橋に多多志(たたし)て、詔りたまひしく、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、いたく佐夜芸豆(さやぎて)有祁理(ありけり)」と告りたまひて、更に還り上りて、天照大御神に請ひたまひき。ここに高御産巣日神・天照大御神の命もちて、天の安の河原に、八百万の神を神集へ集へて、思金神に思はしめて、詔りたまひしく、「この葦原中国は、我が御子の知らす国と言依さし賜へる国なり。故、この国に道速振る荒振る国つ神等の多にあると以為(おも)ふ。これ何れの神を使はしてか言趣(ことむ)けむ」とのりたまひき。ここに思金神及び八百万の神、議りて白ししく、「天菩比神、これ遣はすべし」とまをしき。故、天菩比神を遣はししかば、すなはち大国主神に媚び附きて、三年に至るまで復奏(かへりごとまを)さざりき。ここをもちて、高御産巣日神・天照大御神、また諸の神等に問ひたまひしく、「葦原中国に遣はせる天菩比神、久しく復奏さず。
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『古事記』上巻・国作りの始まりまた河の瀬に追ひ撥(はら)ひて、意礼(おれ)、大国主神となり、また宇都志国玉神となりて、その我が女須世理毘売を嫡妻(むかひめ)として、宇迦の山の山本に、底つ石根に宮柱ふとしり、高天原に氷椽(ひぎ)たかしりて居れ。この奴(やつこ)」とのりたまひき。故、その大刀・弓を持ちて、その八十神を追ひ避(さ)くる時、坂の御尾ごとに追ひ伏せ、河の瀬ごとに追ひ撥ひて、始めて国を作りたまひき。故、その八上比売は、先の期(ちぎり)のごとく、美刀阿多波志つ。故、その八上比売は率て来ましつれども、その嫡妻須世理毘売を畏みて、その生める子をば、木の俣に刺し挟みて返りき。故、その子を名づけて木俣神と云ひ、また名は御井神と謂ふ。
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『古事記』上巻・須佐之男命の勝ちさび故、この後に生れませる五柱の子の中に、天菩比命の子、建比良鳥命は、(これ出雲国造、无邪志国造、上菟上国造、下菟上国造、伊自牟国造、津島県直、遠江国造等の祖なり。)次に天津日子根命は、(凡川内国造、額田部湯坐連、茨木国造、倭田中直、山代国造、馬来田国造、道尻岐閇国造、周芳国造、倭淹知造、高市県主、蒲生稲寸、三枝部造等の祖なり。)ここに速須佐之男命、天照大御神に白さく、「我が心清く明し。故、我が生める子は手弱女を得つ。此れに因りて言はば、自ら我勝ちぬ」と云ひて、勝ちさびに(この二字は音を以てす)、天照大御神の営田の阿(この阿の字は音を以てす)を離ち、その溝を埋め、亦その大嘗を聞こしめす殿に屎まり(この二字は音を以てす)散らしき。故、然為れども、天照大御神は咎めずて告りたまはく、「屎なすは、酔ひて吐き散らすとこそ(この三字は音を以てす)、我がなせの命かくしつらめ。

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