古事記 / 中巻・出雲の祟りと曙立王の誓約
爾祟出雲大神(坐杵築大社)之御心。故其御子。令拜其大神宮。將遣之時。令副誰人者吉。爾曙立王食卜。故科曙立王。令宇氣比白。(宇氣比三字以音)因拜此大神。誠有驗者。住是鷺巢池之樹鷺乎。宇氣比落。如此詔之時。「宇氣比」其鷺墮地死。又詔之「宇氣比活」。爾者。更活。又在甜白檮(高市)之前。葉廣熊白檮。令宇氣比枯。亦令宇氣比生。爾名賜其曙立王。謂倭者師木登美豐朝倉曙立王。(登美二字以音)即曙立王。菟上王。二王。副其御子遣時。自那良戶遇跛盲。自大坂戶。亦遇跛盲。唯木(【仰/伊】紀)戶是腋月之吉戶卜而。出行之時。毎到坐地。定品遲部也。
新字:爾祟出雲大神(坐杵築大社)之御心。故其御子。令拝其大神宮。将遣之時。令副誰人者吉。爾曙立王食卜。故科曙立王。令宇気比白。(宇気比三字以音)因拝此大神。誠有験者。住是鷺巣池之樹鷺乎。宇気比落。如此詔之時。「宇気比」其鷺堕地死。又詔之「宇気比活」。爾者。更活。又在甜白檮(高市)之前。葉広熊白檮。令宇気比枯。亦令宇気比生。爾名賜其曙立王。謂倭者師木登美豊朝倉曙立王。(登美二字以音)即曙立王。菟上王。二王。副其御子遣時。自那良戸遇跛盲。自大坂戸。亦遇跛盲。唯木(【仰/伊】紀)戸是腋月之吉戸卜而。出行之時。毎到坐地。定品遅部也。
書き下し
爾して祟りは出雲大神(杵築の大社に坐す)の御心なりき。かれその御子をして、その大神の宮を拝ましめむとして遣はさむ時に、誰人を副(そ)へしめば吉(よ)けむとする。爾して曙立王(あけたつのみこ)卜(うら)に食(あ)ひき。かれ曙立王に科(おほ)せて、宇気比(うけひ)白さしめたまひき。(宇気比の三字は音をもちてす。)「ここに大神を拝むによりて、まことに験(しるし)あらば、この鷺巣池の樹に住む鷺よ、宇気比に落ちよ」とかく詔りたまふ時に、その鷺、宇気比のままに地に墮ちて死にき。また詔りたまはく「宇気比に活きよ」と。爾して更に活きき。また甜白檮(あまかし)(高市)の前に在る葉広熊白檮(はびろくまかし)を、宇気比に枯らし、また宇気比に生かしき。爾してその曙立王に名を賜ひて、倭者師木登美豊朝倉曙立王(やまとにはしきとみのとよあさくらのあけたつのみこ)と謂ふ。(登美の二字は音をもちてす。)即ち曙立王、菟上王(うなかみのみこ)の二王を、その御子に副へて遣はす時に、那良戸(ならと)より行かば跛(あしなへ)、盲(めしひ)に遇はむ。大坂戸よりもまた跛、盲に遇はむ。ただ木(き)(紀)戸のみぞ、これ腋月(わきつき)の吉き戸ならむと卜(うら)ひて、出で行きたまふ時、坐(ま)す地ごとに品遅部(ほむぢべ)を定めたまひき。
現代語訳
占ってみると、祟りは出雲の大神(杵築の大社にいらっしゃる)の御心によるものでした。そこで御子にその大神の宮を拝ませるために遣わすとき、誰を付き添わせるのがよいか占いました。すると曙立王が占いにかなったので、曙立王に誓約をさせました。「この大神を拝むことで本当に効験があるなら、この鷺巣池の木に住む鷺よ、誓約のとおり地に落ちよ」。そう言うと、その鷺は誓約のとおり地に落ちて死にました。続けて「誓約のとおり生き返れ」と言うと、鷺はまた生き返りました。また甘樫(高市)の前にある、葉の広い大きな樫の木を、誓約によって枯らし、また生き返らせました。そこでこの曙立王に名を与え、倭者師木登美豊朝倉曙立王と呼びました。曙立王と菟上王の二人の王を御子に付き添わせて遣わすとき、奈良の道から行けば足の不自由な者や盲人に会うだろう、大坂の道からもまた足の不自由な者や盲人に会うだろう、ただ紀伊の道だけが縁起のよい道だろうと占って、出発しました。御子の一行が滞在した土地ごとに、御子の養育のための品遅部を定めました。
解説
この章句が説くこと
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