古事記 / 上巻・贈答歌と神武天皇の兄弟
其歌曰。阿加陀麻波。袁佐閇比迦禮杼。斯良多麻能。岐美何余曾比斯。多布斗久阿理祁理。爾其比古遲(三字以音)答歌曰。意岐都登理。加毛度久斯麻邇。和賀韋泥斯。伊毛波和須禮士。余能許登碁登邇。故日子穗穗手見命者。坐高千穗宮。伍佰捌拾歲。御陵者即在其高千穗山之西也。是天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命娶其姨玉依毘賣命。生御子名。五瀨命。次稻氷命。次御毛沼命。次若御毛沼命。亦名豐御毛沼命。亦名神倭伊波禮毘古命。(四柱)故御毛沼命者跳波穗。渡坐于常世國。稻氷命者。爲妣國而入坐海原也。
新字:其歌曰。阿加陀麻波。袁佐閇比迦礼杼。斯良多麻能。岐美何余曽比斯。多布斗久阿理祁理。爾其比古遅(三字以音)答歌曰。意岐都登理。加毛度久斯麻邇。和賀韋泥斯。伊毛波和須礼士。余能許登碁登邇。故日子穂穂手見命者。坐高千穂宮。伍佰捌拾歳。御陵者即在其高千穂山之西也。是天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命娶其姨玉依毘売命。生御子名。五瀨命。次稲氷命。次御毛沼命。次若御毛沼命。亦名豊御毛沼命。亦名神倭伊波礼毘古命。(四柱)故御毛沼命者跳波穂。渡坐于常世国。稲氷命者。為妣国而入坐海原也。
書き下し
その歌に曰ひしく、 あかだまは をさへひかれど しらたまの きみがよそひし たふとくありけり ここにその比古遅(三字は音を以ちてす)答へたまへる歌に曰ひしく、 おきつとり かもどくしまに わがゐねし いもはわすれじ よのことごとに 故、日子穂穂手見命は、高千穂宮に坐すこと、五百八十歳。御陵はすなはちその高千穂山の西にあり。この天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命、その姨玉依毘売命を娶して、生みませる御子の名は、五瀬命、次に稲氷命、次に御毛沼命、次に若御毛沼命、またの名は豊御毛沼命、またの名は神倭伊波礼毘古命(四柱)。故、御毛沼命は、波の穂を跳みて、常世国に渡り坐し、稲氷命は、妣の国として海原に入り坐しき。
現代語訳
その歌は次のとおりです。 赤い玉は、それを通した紐まで光るほど美しいけれど、白玉のようなあなたの装いは、それにも増して貴いものでした。 そこで夫の火遠理命が答えた歌は次のとおりです。 沖の鳥である鴨が寄り着く島で、私が共に寝た妻のことは、一生、忘れません。 こうして、日子穂穂手見命は高千穂の宮に五百八十年おられました。御陵はその高千穂山の西にあります。この天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命は、叔母にあたる玉依毘売命を妻として、生まれた御子の名は、五瀬命、次に稲氷命、次に御毛沼命、次に若御毛沼命、またの名は豊御毛沼命、またの名は神倭伊波礼毘古命の四柱です。そのうち御毛沼命は波の穂を踏んで常世の国に渡られ、稲氷命は母の国として海原にお入りになりました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』上巻・上巻の結びと御子たち神倭伊波禮毘古命(四柱)。故、御毛沼命は波の穗を跳みて、常世の國に渡り坐しき。稻氷命は、妣の國として海原に入り坐しき。
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『古事記』中巻・神武、東へ向かう決意神倭伊波禮毘古命(神武)。(伊より下の五字は音を以てす)其の伊呂兄五瀬命と二柱、高千穗宮に坐して議りて云ひしく、「何れの地に坐さば、平らけく天の下の政を聞こしめさむ。猶し東に行かむと思ふ」といひて、即ち日向より發ちて筑紫に幸行しき。
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『古事記』中巻・弟が上に立ち兄は支えるかれここにその弟神沼河耳命、その兄の持てる兵を乞ひ取りて、入りて当芸志美美を殺したまひき。かれまたその御名を称へて、建沼河耳命と謂ふ。ここに神八井耳命、弟建沼河耳命に譲りて曰く、「吾は仇を殺すこと能はず。汝命は既に仇を殺すことを得たまへり。かれ吾は兄なりと雖も、上と為るべからず。ここを以て、汝命上と為りて天の下を治らしめせ。僕は汝命を扶けて、忌人と為りて仕へ奉らむ」と。かれその日子八井命は、(茨田(河内)連、手島連の祖なり。)神八井耳命は、(意富臣、小子部連、坂合部連、火君、大分(豊後)君、阿蘇(肥後)君、筑紫三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊余国造、科野(信濃)国造、道奥石城国造、常道仲(常陸)国造、長狭(安房)国造、伊勢船木直、尾張丹羽臣、島田臣らの祖なり。)神沼河耳命は、天の下を治らしめしき。おほよそこの神倭伊波礼毘古天皇、御年一百三十七歳。御陵は畝火山の北の方、白檮尾の上にあり。
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『古事記』中巻・大和平定と饒速日命の帰順また歌ひて曰ひしく、 みつみつし くめのこが かきもとに うゑしはじかみ くちひひく われはわすれじ うちてしやまむ また歌ひて曰ひしく、 かむかぜの いせのうみの おひしに はひもとほろふ したたみの いはひもとほり うちてしやまむ また兄師木・弟師木を撃ちし時、御軍暫し疲れき。ここに歌ひて曰ひしく、 たたなめて いなさのやまの このまよも いゆきまもらひ たたかへば われはやゑぬ しまつとり うかひがとも いますけにこね 故、ここに邇芸速日命参赴きて、天つ神の御子に白ししく、「天つ神の御子天降り坐しぬと聞きし故に、追ひて参降り来つ」とまをして、即ち天津瑞を献りて仕へ奉りき。故、邇芸速日命、登美毘古の妹、登美夜毘売を娶りて生める子、宇摩志麻遅命。(こは物部連、穂積臣、采女臣の祖なり。)故、かく荒夫琉神ら(夫琉の二字は音を以ちてす)を言向け和平し、まつろはぬ人どもを退け撥ひて、畝火の白檮原宮に坐して、天の下を治めたまひき。
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