古事記 / 中巻・神武、東へ向かう決意
神倭伊波禮毘古命(【神武/武神】)。(自伊下五字以音)與其伊呂(「上」伊呂二字以音)兄五瀨命二柱。坐高千穗宮而議云。坐何地者。平聞看天下之政。猶思東行。即自日向發。幸行筑紫。
新字:神倭伊波礼毘古命(【神武/武神】)。(自伊下五字以音)与其伊呂(「上」伊呂二字以音)兄五瀨命二柱。坐高千穂宮而議云。坐何地者。平聞看天下之政。猶思東行。即自日向発。幸行筑紫。
書き下し
神倭伊波禮毘古命(神武)。(伊より下の五字は音を以てす)其の伊呂兄五瀬命と二柱、高千穗宮に坐して議りて云ひしく、「何れの地に坐さば、平らけく天の下の政を聞こしめさむ。猶し東に行かむと思ふ」といひて、即ち日向より發ちて筑紫に幸行しき。
現代語訳
神倭伊波礼毘古命は、同母の兄である五瀬命と二人で高千穂の宮におられ、相談して言いました。「どの地にいれば、安らかに天下の政をおさめられるだろうか。やはり東へ行こうと思う」。そして日向を出発し、筑紫へ向かわれました。
解説
中巻の始まりで、のちの神武天皇が兄の五瀬命と相談し、天下を治めるのにふさわしい土地を求めて東へ向かうと決める場面です。ここで語られるのは武力による征服の宣言ではなく、どこにいれば政を安らかに行えるかという問いです。拠点を選ぶことが統治の出発点にある、と古事記は示します。兄と二人で議していることにも注目できます。大きな決断を一人で下さず、近しい相手と話し合って方向を定める姿です。事業の拠点や進出先を決めるとき、規模や勢いよりも、人々が安らかに暮らし働ける条件を軸にできているかを考える材料になります。
この章句が説くこと
東征神武天皇五瀬命高千穂拠点選び古事記
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