古事記 / 上巻・上巻の結びと御子たち
神倭伊波禮毘古命。(四柱)故御毛沼命者跳波穗。渡坐于常世國。稻氷命者。爲妣國而入坐海原也。
新字:神倭伊波礼毘古命。(四柱)故御毛沼命者跳波穂。渡坐于常世国。稲氷命者。為妣国而入坐海原也。
書き下し
神倭伊波禮毘古命(四柱)。故、御毛沼命は波の穗を跳みて、常世の國に渡り坐しき。稻氷命は、妣の國として海原に入り坐しき。
現代語訳
神倭伊波礼毘古命(のちの神武天皇)を含めて、御子は四柱でした。そのうち御毛沼命は波頭を踏んで常世の国へ渡られ、稲氷命は母の国として海原にお入りになりました。
解説
上巻の最後に置かれた、海の神の孫にあたる四柱の御子の行く末です。二柱は海や常世へ去り、残った神倭伊波礼毘古命が次の中巻で東へ向かいます。神々の時代が終わり、人の世の統治が始まる境目を、簡潔な筆で示す箇所です。母方の海の国へ戻る者と、国を治めに行く者とに分かれる点は、後継の選び方としても読めます。事業承継でいえば、全員が同じ席を目指すのではなく、それぞれの役割へ散っていくことで、継ぐ者の道が定まります。組織の次の代を考えるとき、去る者の送り方まで含めて承継を設計できているかを問い直す手がかりになります。
この章句が説くこと
承継上巻の結び稲氷命御毛沼命神倭伊波礼毘古命古事記
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