古事記 / 上巻・阿遅志貴高日子根神の怒り
亦其妻皆哭云。我子者不死有祁理。(此二字以音、下效此)我君者不死坐祁理云。取懸手足而哭悲也。其過所以者。此二柱神之容姿。甚能相似。故是以過也。於是阿遲志貴高日子根神大怒曰。我者愛友故弔來耳。何吾比穢死人云而。拔所御佩之十掬劔。切伏其喪屋。以足蹶離遣。此者在美濃國藍見河之河上。喪山之者也。其持所切大刀名謂大量。亦名謂神度劔。(度字以音)故阿治志貴高日子根神者。忿而飛去之時。其伊呂妹高比賣命(下照)思顯其御名。故。歌曰。阿米那流夜。淤登多那婆多能。宇那賀世流。多麻能美須麻流。美須麻流邇。阿那陀麻波夜。美多邇。布多和多良須。阿治志貴。多迦比古泥能。迦微曾也。此歌者夷振也。
新字:亦其妻皆哭云。我子者不死有祁理。(此二字以音、下効此)我君者不死坐祁理云。取懸手足而哭悲也。其過所以者。此二柱神之容姿。甚能相似。故是以過也。於是阿遅志貴高日子根神大怒曰。我者愛友故弔来耳。何吾比穢死人云而。抜所御佩之十掬剣。切伏其喪屋。以足蹶離遣。此者在美濃国藍見河之河上。喪山之者也。其持所切大刀名謂大量。亦名謂神度剣。(度字以音)故阿治志貴高日子根神者。忿而飛去之時。其伊呂妹高比売命(下照)思顕其御名。故。歌曰。阿米那流夜。淤登多那婆多能。宇那賀世流。多麻能美須麻流。美須麻流邇。阿那陀麻波夜。美多邇。布多和多良須。阿治志貴。多迦比古泥能。迦微曽也。此歌者夷振也。
書き下し
またその妻、皆哭きて云ひしく、「我が子は死なずて有祁理(ありけり)。我が君は死なずて坐祁理(ましけり)」と云ひて、手足に取り懸りて哭き悲しみき。その過ちし所以は、この二柱の神の容姿、いと能く相似たり。故、これをもちて過ちき。ここに阿遅志貴高日子根神、大きに怒りて曰ひしく、「我は愛しき友なるが故に弔ひ来つらくのみ。何ぞ吾を穢き死人に比ふる」と云ひて、佩かせる十掬(とつか)の剣を抜きて、その喪屋を切り伏せ、足もちて蹶(く)ゑ離ち遣りき。こは美濃国の藍見河の河上なる喪山といふ者なり。その持ちて切れる大刀の名は大量(おほはかり)と謂ひ、またの名は神度剣(かむどのつるぎ)と謂ふ。故、阿治志貴高日子根神は、忿りて飛び去りましし時、その伊呂妹高比売命(下照)、その御名を顕はさむと思ひき。故、歌ひたまひしく、 天なるや 弟棚機(おとたなばた)の 項(うな)がせる 玉の御統(みすまる) 御統に 穴玉はや み谷 二渡らす 阿治志貴 高日子根の 神ぞ この歌は夷振(ひなぶり)なり。
現代語訳
また天若日子の妻は皆、泣きながら言いました。「私の子は死んでいなかった。私の夫は死んでいらっしゃらなかった」。そう言って、阿遅志貴高日子根神の手足にすがって泣き悲しみました。このように間違えた理由は、二柱の神の姿がとてもよく似ていたからです。それで間違えたのです。すると阿遅志貴高日子根神は大いに怒って言いました。「私は親しい友だからこそ弔いに来たのだ。それなのに、どうして私を汚らわしい死人と比べるのか」。そして腰の十握の剣を抜いて喪屋を切り倒し、足で蹴り飛ばしました。これが美濃国の藍見河の河上にある喪山です。そのとき持って切った大刀の名は大量といい、またの名を神度剣といいます。阿遅志貴高日子根神は怒って飛び去りました。そのとき、妹の高比売命(下照比売)は、兄の名を世に知らせたいと思い、歌いました。 天にいる若い機織り女が首にかけている玉の首飾り、その首飾りにつながる穴の開いた玉のように、谷を二つ渡って輝く、阿遅志貴高日子根の神ですよ。 この歌は夷振です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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