古事記 / 上巻・返し矢と喪屋
爾其矢自雉胸通而。逆射上。逮坐天安河之河原。天照大御神。高木神之御所。是高木神者。高御產巢日神之別名。故高木神取其矢見者。血著其矢羽。於是。高木神告之。此矢者所賜天若日子之矢。即示諸神等。詔者。或天若日子不誤命。爲射惡神之矢之至者。不中天若日子。或有邪心者。天若日子於此矢麻賀禮(此三字以音)云而。取其矢自其矢穴衝返下者。中天若日子寢胡床之高胷坂以死。此還矢可恐之本也。亦其雉不還。故於今諺曰雉之頓使本是也。故天若日子之妻下照比賣之哭聲。與風響到天。於是在天天若日子之父。天津國玉神。及其妻子聞而。降來哭悲。乃於其處作喪屋而。河鴈爲岐佐理持。(自岐下三字以音)鷺爲掃持。翠鳥爲御食人。雀爲碓女。雉爲哭女。如此行定而。日八日夜八夜以遊也。此時阿遲志貴高日子根神。(自阿下四字以音)到而。弔天若日子之喪時。自天降到天若日子之父。
新字:爾其矢自雉胸通而。逆射上。逮坐天安河之河原。天照大御神。高木神之御所。是高木神者。高御産巣日神之別名。故高木神取其矢見者。血著其矢羽。於是。高木神告之。此矢者所賜天若日子之矢。即示諸神等。詔者。或天若日子不誤命。為射悪神之矢之至者。不中天若日子。或有邪心者。天若日子於此矢麻賀礼(此三字以音)云而。取其矢自其矢穴衝返下者。中天若日子寝胡床之高胸坂以死。此還矢可恐之本也。亦其雉不還。故於今諺曰雉之頓使本是也。故天若日子之妻下照比売之哭声。与風響到天。於是在天天若日子之父。天津国玉神。及其妻子聞而。降来哭悲。乃於其処作喪屋而。河鴈為岐佐理持。(自岐下三字以音)鷺為掃持。翠鳥為御食人。雀為碓女。雉為哭女。如此行定而。日八日夜八夜以遊也。此時阿遅志貴高日子根神。(自阿下四字以音)到而。弔天若日子之喪時。自天降到天若日子之父。
書き下し
ここにその矢、雉の胸より通りて、逆(さかさま)に射上げて、天の安の河原に坐す天照大御神・高木神の御所に逮(いた)りき。この高木神は、高御産巣日神の別の名なり。故、高木神、その矢を取りて見たまへば、血その矢の羽に著きたり。ここに高木神、告りたまひしく、「この矢は、天若日子に賜へる矢ぞ」とのりたまひて、すなはち諸の神等に示して詔りたまひしく、「もし天若日子、命を誤たず、悪しき神を射る矢の至れるならば、天若日子に中らざれ。もし邪き心あらば、天若日子、この矢に麻賀礼(まがれ)」と云ひて、その矢を取りて、その矢の穴より衝き返し下したまへば、天若日子が胡床に寝たる高胸坂に中りて死にき。(これ還し矢の恐るべき本なり。)またその雉は還らず。故、今に諺に「雉の頓使(ひたつかひ)」といふ本これなり。故、天若日子の妻下照比売の哭く声、風と響きて天に到りき。ここに天にある天若日子の父、天津国玉神、及びその妻子聞きて、降り来て哭き悲しみて、すなはちそこに喪屋を作りて、河雁を岐佐理持(きさりもち)とし、鷺を掃持(ははきもち)とし、翠鳥(そにどり)を御食人(みけびと)とし、雀を碓女(うすめ)とし、雉を哭女(なきめ)とし、かく行ひ定めて、日八日夜八夜を以ちて遊びき。この時、阿遅志貴高日子根神、到りて、天若日子の喪を弔ひたまふ時、天より降り到れる天若日子の父、
現代語訳
その矢は雉の胸を貫き、逆さまに射上げられて、天の安の河原においでになる天照大御神と高木神のもとに届きました。この高木神は、高御産巣日神の別名です。高木神がその矢を取って見ると、矢の羽に血がついていました。高木神は言いました。「この矢は、天若日子に授けた矢だ」。そして神々に示して言いました。「もし天若日子が命令に背かず、悪い神を射た矢が届いたのなら、天若日子には当たるな。もし邪な心があるなら、天若日子は、この矢にあたって災いを受けよ」。そう言って、その矢が通った穴から突き返して下すと、天若日子が胡床に寝ていた高い胸の辺りに当たり、死んでしまいました(これが返し矢の恐ろしさの由来です)。また、その雉は戻らず、今の諺で「雉の頓使」というのは、これが始まりです。さて、天若日子の妻の下照比売の泣く声が、風にのって天まで届きました。天にいる天若日子の父の天津国玉神とその妻子はそれを聞き、降りて来て泣き悲しみ、その場に喪屋を作りました。河の雁を食物を持つ役、鷺を箒持ち、翠鳥を食事を作る役、雀を米つき女、雉を泣き女として役を定め、八日八晩にわたって弔いの遊びをしました。このとき、阿遅志貴高日子根神が来て、天若日子の喪を弔っていると、天から降りてきた天若日子の父が、
解説
この章句が説くこと
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『古事記』上巻・天若日子と鳴女また何れの神を使はさば吉けむ」ととひたまひき。ここに思金神答へ白ししく、「天津国玉神の子、天若日子を遣はすべし」とまをしき。故ここに天の麻迦古弓(まかこゆみ)・天の波波矢(ははや)を天若日子に賜ひて遣はしき。ここに天若日子、その国に降り到りて、すなはち大国主神の女、下照比売を娶り、またその国を獲むと慮(おも)ひて、八年に至るまで復奏さざりき。故ここに天照大御神・高御産巣日神、また諸の神等に問ひたまひしく、「天若日子、久しく復奏さず。また曷(いか)なる神を遣はして、天若日子が淹留(とどま)れる所由(ゆゑ)を問はむ」ととひたまひき。ここに諸の神及び思金神、答へ白ししく、「雉、名は鳴女を遣はすべし」とまをしき。時に詔りたまひしく、「汝行きて、天若日子に問はむ状(さま)は、『汝を葦原中国に使はせる所以(ゆゑ)は、その国の荒振る神等を言趣け和せとなり。何ぞ八年に至るまで復奏さざる』ととへ」とのりたまひき。故ここに鳴女、天より降り到りて、天若日子が門の湯津楓(ゆつかつら)の上に居て、言ふこと委曲(つばら)に天つ神の詔命のごとくなりき。ここに天佐具売(あめのさぐめ)、この鳥の言を聞きて、天若日子に語りて言ひしく、「この鳥は、その鳴く音いと悪し。故、射殺すべし」と云ひて進めしかば、すなはち天若日子、天つ神の賜へる天の波士弓(はじゆみ)・天の加久矢(かくや)を持ちて、その雉を射殺しき。
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『神皇正統記』巻一 地神第三代 瓊々杵尊第三代、天津彦々火瓊々杵尊。天孫とも皇孫とも申。皇祖天照太神・高皇産霊尊いつきめぐみましましき。葦原の中州の主として天降給はんとす。こゝに其国邪神あれてたやすく下給ことかたかりければ、天稚彦と云神をくだしてみせしめ給しに、大汝の神の女、下照姫にとつぎて、返こと申さず。みとせになりぬ。よりて名なし雉をつかはしてみせられしを、天稚彦いころしつ。其矢天上にのぼりて太神の御まへにあり。血にぬれたりければ、あやめ給て、なげくだされしに、天稚彦新嘗てふせりけるむねにあたりて死す。世に返し矢をいむは此故也。さらに又くださるべき神をえらばれし時、経津主の命武甕槌の神みことのりをうけてくだりましけり。出雲国にいたり、はかせる剣をぬきて、地につきたて、其上にゐて、大汝の神に太神の勅をつげしらしむ。その子都波八重事代主神あひともに従申。又次の子健御名方刀美の神したがはずして、にげ給しを、すはの湖までおひてせめられしかば、又したがひぬ。
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『古事記』上巻・天の石屋戸に籠もる又、離田(あはなち)の畔(あ)を埋め溝(みぞ)を(略)、「地(つち)を阿多良斯(あたらし)と許曾(こそ)、我がなせの命はかくしつらめ」と詔りたまへども、なほその悪(あ)しき態(わざ)止まずて転(うたて)あり。天照大御神、忌服屋(いみはたや)に坐して、神御衣(かむみそ)を織らしめたまふ時、その服屋の頂(むね)を穿(うが)ち、天の斑馬(ふちこま)を逆剥(さかは)ぎに剥ぎて堕(おと)し入るる時、天の衣織女(みそおりめ)見驚きて、梭(ひ)に陰上(ほと)を衝きて死にき。故ここに天照大御神見畏(かしこ)み、天の石屋戸を閉(さ)して刺し許母理(こもり)坐しき。ここに高天原皆暗く、葦原中国ことごとに闇し。これによりて常夜(とこよ)往く。ここに万(よろづ)の神の声は、狭蠅(さばへ)なす皆満ち、万(よろづ)の妖(わざはひ)ことごとに発(おこ)りき。ここをもちて八百万の神、天の安の河原に神集ひ集ひて、高御産巣日神の子思金神に思はしめて、常世の長鳴鳥を集めて鳴かしめて、天の安河の河上の天の堅石を取り、天の金山の鉄(くろがね)を取りて、鍛人(かぬち)天津麻羅を求めて、伊斯許理度売命に科(おほ)せて鏡を作らしめ、玉祖命に科せて八尺の勾璁(まがたま)の五百津の御須麻流(みすまる)の珠を作らしめて、天見屋命・布刀玉命を召して、天の香山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて、天の香山の天の波波迦(ははか)を取りて、占(うら)へ合はしめて、天の香山の五百津真賢木(まさかき)を根こじにこじて、上枝(ほつえ)に八尺の勾璁の五百津の御須麻流の玉を取り着け、中つ枝に八尺の鏡を取り繋け、下枝(しづえ)に白丹寸手(しらにきて)・青丹寸手(あをにきて)を取り垂(し)でて、この種々(くさぐさ)の物は、
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人生を、一行の式にしてみた。
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