古事記 / 上巻・少名毘古那神と久延毘古
右件。自八島士奴美神以下。遠津山岬帶神以前。稱十七世神。故大國主神坐出雲之御大之御前時。自波穗乘天之羅摩船而。內剝鵝皮剝爲衣服。有歸來神。爾雖問其名不答。且雖問所從之諸神。皆白不知。爾多邇具久白言。(自多下四字以音)此者久延毘古必知之。即召久延毘古問。時答白。此者神產巢日神之御子。少名毘古那神。(自毘下三字以音)故爾白上於神產巢日御祖命者。答告。此者實我子也。於子之中自我手俁久岐斯子也。(自久下三字以音)故與汝葦原色許男命。爲兄弟而。作堅其國。故自爾。大穴牟遲與少名毘古那二柱神。相並作堅此國。然後者。其少名毘古那神者度于常世國也。故顯白其少名毘古那神。所謂久延毘古者。於今者山田之曾富騰者也。此神者。足雖不行。盡知天下之事神也。
新字:右件。自八島士奴美神以下。遠津山岬帯神以前。称十七世神。故大国主神坐出雲之御大之御前時。自波穂乗天之羅摩船而。内剥鵝皮剥為衣服。有帰来神。爾雖問其名不答。且雖問所従之諸神。皆白不知。爾多邇具久白言。(自多下四字以音)此者久延毘古必知之。即召久延毘古問。時答白。此者神産巣日神之御子。少名毘古那神。(自毘下三字以音)故爾白上於神産巣日御祖命者。答告。此者実我子也。於子之中自我手俁久岐斯子也。(自久下三字以音)故与汝葦原色許男命。為兄弟而。作堅其国。故自爾。大穴牟遅与少名毘古那二柱神。相並作堅此国。然後者。其少名毘古那神者度于常世国也。故顕白其少名毘古那神。所謂久延毘古者。於今者山田之曽富騰者也。此神者。足雖不行。尽知天下之事神也。
書き下し
右の件、八島士奴美神より以下、遠津山岬帯神より以前を、十七世の神と称ふ。故、大国主神、出雲の御大(みほ)の御前に坐す時、波の穂より天の羅摩船(かがみぶね)に乗りて、鵝(ひむし)の皮を内剥ぎに剥ぎて衣服(きもの)に為て、帰り来る神あり。ここにその名を問へども答へず、また従へる諸の神に問へども、皆「知らず」と白しき。ここに多邇具久(たにぐく)白言(まを)ししく、「こは久延毘古(くえびこ)必ず知りたらむ」とまをしき。すなはち久延毘古を召して問ひたまふ時、答へ白ししく、「こは神産巣日神の御子、少名毘古那神ぞ」とまをしき。故ここに神産巣日御祖命に白し上げしかば、答へ告りたまひしく、「こは実に我が子ぞ。子の中に、我が手俣(たなまた)より漏(く)きし子ぞ。故、汝葦原色許男命と兄弟(はらから)と為りて、その国を作り堅めよ」とのりたまひき。故、それより、大穴牟遅と少名毘古那と、二柱の神相並ばして、この国を作り堅めたまひき。然て後は、その少名毘古那神は、常世国に度りましき。故、その少名毘古那神を顕はし白しし、いはゆる久延毘古は、今には山田の曾富騰(そほど)といふ者なり。この神は、足は行かねども、尽く天の下の事を知れる神なり。
現代語訳
以上、八島士奴美神から遠津山岬帯神までを、十七世の神といいます。さて、大国主神が出雲の御大の岬におられたとき、波の上から天の羅摩の船に乗り、蛾の皮をそっくり剥いで衣服にして、近づいて来る神がありました。名を尋ねても答えず、お供の神々に尋ねても、みな知らないと言いました。そこでヒキガエルの多邇具久が申しました。「これはきっと久延毘古が知っているでしょう」。久延毘古を呼んで尋ねると、「これは神産巣日神の御子の少名毘古那神です」と答えました。そこで神産巣日御祖命に申し上げると、「これは確かに私の子です。子の中で、私の手の指の間からこぼれ落ちた子です。おまえ葦原色許男命と兄弟となって、その国を作り堅めなさい」と答えられました。それ以来、大穴牟遅と少名毘古那の二柱の神は並んで、この国を作り堅めました。その後、少名毘古那神は常世の国へ渡って行きました。少名毘古那神の名を明らかにした久延毘古とは、今の山田の案山子(そほど)のことです。この神は、足は歩かないけれども、天下のことをすべて知っている神です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『古事記』上巻・神世七代と国生みの始まり上の件の五柱の神は、別天神。次に成りませる神の名は、国之常立神。(訓常立も亦上の如し)次に豊雲上野神。この二柱の神も亦、独神と成りまして、身を隠したまひき。次に成りませる神の名は、宇比地邇神。次に妹須比智邇去神。(この二神の名は音を以てす)次に角杙神。次に妹活杙神。(二柱)次に意富斗能地神。次に妹大斗乃弁神。(この二神の名も亦音を以てす)次に淤母陀琉神。次に妹阿夜訶志古泥神。(この二神の名は皆音を以てす)次に伊邪那岐神。次に妹伊邪那美神。(この二神の名も亦音を以てすること上の如し)上の件、国之常立神より以下、伊邪那美神より以前を、并せて神世七代と称ふ。(上の二柱は独神各一代と云ひ、次に双べる十神は各二神を合せて一代と云ふ)ここに天つ神諸の命以ちて、伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱の神に、「この漂へる国を修め理り固め成せ」と詔りたまひて、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。故、二柱の神、天の浮橋に立たして(訓立を多多志と云ふ)、その沼矛を指し下ろして画きたまへば、塩こをろこをろに(この七字は音を以てす)画き鳴して(訓鳴を那志と云ふ)引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累り積りて嶋と成りき。これ淤能碁呂嶋なり。(淤より以下四字は音を以てす)その嶋に天降りまして、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。
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『古事記』上巻・御諸山の神と大年神の子ここに大国主神、愁へて告りたまひしく、「吾独りして何にかよくこの国を得作らむ。いづれの神か、吾とよくこの国を相作らむ」とのりたまひき。この時、海を光らして依り来る神あり。その神の言りたまひしく、「よく我が前を治めば、吾よく共に相作り成さむ。もし然あらずは、国成り難けむ」とのりたまひき。ここに大国主神曰(まを)したまひしく、「然らば治め奉る状(さま)は奈何」とまをしたまひき。答へ言りたまひしく、「吾は倭の青垣の東の山の上に伊都岐(いつき)奉れ」とのりたまひき。こは御諸山の上に坐す神なり。故、その大年神、神活須毘神の女、伊怒比売を娶りて、生める子は大国御魂神、次に韓神、次に曾富理神、次に白日神、次に聖神(五神)。また香用比売を娶りて、生める子は大香山戸臣神、次に御年神(二柱)。また天知迦流美豆比売を娶りて、生める子は奥津日子神、次に奥津比売命、またの名は大戸比売神。こは諸人もちて拝く竈神なり。次に大山咋神、またの名は山末之大主神。この神は近淡海国の日枝の山に坐し、また葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用ゐる神なり。
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『古事記』上巻・国作りの始まりまた河の瀬に追ひ撥(はら)ひて、意礼(おれ)、大国主神となり、また宇都志国玉神となりて、その我が女須世理毘売を嫡妻(むかひめ)として、宇迦の山の山本に、底つ石根に宮柱ふとしり、高天原に氷椽(ひぎ)たかしりて居れ。この奴(やつこ)」とのりたまひき。故、その大刀・弓を持ちて、その八十神を追ひ避(さ)くる時、坂の御尾ごとに追ひ伏せ、河の瀬ごとに追ひ撥ひて、始めて国を作りたまひき。故、その八上比売は、先の期(ちぎり)のごとく、美刀阿多波志つ。故、その八上比売は率て来ましつれども、その嫡妻須世理毘売を畏みて、その生める子をば、木の俣に刺し挟みて返りき。故、その子を名づけて木俣神と云ひ、また名は御井神と謂ふ。
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『古事記』上巻・大国主神へ続く系譜ここにその足名椎神を喚(め)して告りたまひしく、「汝は我が宮の首(おびと)に任(よ)さむ」とのりたまひ、また名を負せて、稲田宮主須賀之八耳神と号(なづ)けたまひき。故、その櫛名田比売をもちて、久美度邇(くみどに)に起こして、生みませる神の名は、八島士奴美神と謂ふ。また大山津見神の女、名は神大市比売を娶(めと)りて、生める子は大年神、次に宇迦之御魂神(二柱)。兄八島士奴美神、大山津見神の女、名は木花知流比売を娶りて、生める子は布波能母遅久奴須奴神。この神、淤迦美神の女、名は日河比売を娶りて、生める子は深淵之水夜礼花神。この神、天之都度閇知泥神を娶りて、生める子は淤美豆奴神。この神、布怒豆怒神の女、名は布帝耳神を娶りて、生める子は天之冬衣神。この神、刺国大神の女、名は刺国若比売を娶りて、生める子は大国主神。
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『古事記』上巻・葦原中国平定と天菩比神天照大御神の命もちて、「豊葦原の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂国は、我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国ぞ」と言依(ことよ)さし賜ひて、天降したまひき。ここに天忍穂耳命、天の浮橋に多多志(たたし)て、詔りたまひしく、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、いたく佐夜芸豆(さやぎて)有祁理(ありけり)」と告りたまひて、更に還り上りて、天照大御神に請ひたまひき。ここに高御産巣日神・天照大御神の命もちて、天の安の河原に、八百万の神を神集へ集へて、思金神に思はしめて、詔りたまひしく、「この葦原中国は、我が御子の知らす国と言依さし賜へる国なり。故、この国に道速振る荒振る国つ神等の多にあると以為(おも)ふ。これ何れの神を使はしてか言趣(ことむ)けむ」とのりたまひき。ここに思金神及び八百万の神、議りて白ししく、「天菩比神、これ遣はすべし」とまをしき。故、天菩比神を遣はししかば、すなはち大国主神に媚び附きて、三年に至るまで復奏(かへりごとまを)さざりき。ここをもちて、高御産巣日神・天照大御神、また諸の神等に問ひたまひしく、「葦原中国に遣はせる天菩比神、久しく復奏さず。
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『玉勝間』十の巻 出雲風土記意宇郡の名のゆゑをしるせる文上の件の文、いみじく古き所どころ有りて、聞え難きふしぶし多かるを、今の本、文字の誤さえ多くて、いよいよさとり難き所どころ有るを、しいて解く。国引坐とは、(坐の字座と書ける本も有り)すなわちこの文に見えたる如く、他国の余あるところを、裂き取り引き寄せ以て来て、出雲の国の足らざる所を足して、造りおえ給えるを云う。この御功をもて、この神をかく称え申せるなり。大国主の神を、天の下造らしし大神と申すが如し。八束水臣津野の命は、古事記に、淤美豆奴の神と有りて、須佐之男大神の四世の御孫にて、深淵之水夜礼花神の御子にて、大国主の大神の御祖父神なり。この風土記の中にも、所々見え給えり。狭布之堆国、堆の字は、写し誤りなるべし。遠江国の人内山の真龍、この風土記の注を作りて、稚の字なりと云えり。さも有るべし。狭布よりの続き名は、疎けれども、すべてにかけて、稚国と云いつべき事なり。古事記にも書紀にも、国稚と有れば、よし有りておぼゆ。初国、小所作とは、伊邪那岐伊邪那美二柱の大神の、初めて生成し給える時に、小さくつくり給えりとなり。そのかみこの出雲の国は、北の方足らわずして、狭布のごとく、狭く細き国なりけむ。

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