古事記 / 下巻・崇峻・推古と古事記の結び
長谷部若雀天皇。坐倉椅柴垣宮。治天下肆歲。(壬子年十一月十三日崩也。)御陵在倉椅岡上也。豐御食炊屋比賣命。坐小治田宮。治天下參拾漆歲。(戊子歲三月十五日癸丑日崩也。)御陵在大野岡上。後遷科長大陵也。
新字:長谷部若雀天皇。坐倉椅柴垣宮。治天下肆歳。(壬子年十一月十三日崩也。)御陵在倉椅岡上也。豊御食炊屋比売命。坐小治田宮。治天下参拾漆歳。(戊子歳三月十五日癸丑日崩也。)御陵在大野岡上。後遷科長大陵也。
書き下し
長谷部若雀天皇、倉椅の柴垣宮に坐して、天下を治めたまふこと肆歳なり。(壬子の年の十一月十三日に崩りたまひき。)御陵は倉椅の岡の上にあり。豊御食炊屋比売命、小治田宮に坐して、天下を治めたまふこと参拾漆歳なり。(戊子の歳の三月十五日、癸丑の日に崩りたまひき。)御陵は大野の岡の上にあり。後に科長の大陵に遷しき。
現代語訳
長谷部若雀天皇(崇峻天皇)は、倉椅の柴垣宮にいらして、四年間天下を治められました。壬子の年の十一月十三日にお亡くなりになりました。御陵は倉椅の岡の上にあります。豊御食炊屋比売命(推古天皇)は、小治田宮にいらして、三十七年間天下を治められました。戊子の歳の三月十五日、癸丑の日にお亡くなりになりました。御陵は大野の岡の上にあり、後に科長の大陵に移されました。
解説
古事記はここで、崇峻天皇と推古天皇の治世と崩御、御陵を記して全巻を閉じます。崇峻は四年、推古は三十七年と、長さの違う治世が淡々と並びます。神代の始まりから続く長い物語は、物語的な叙述を離れ、年月と宮と御陵という記録で終わります。起伏のある事績よりも、誰がどこで何年治めたかという事実の積み重ねが、国の歴史を支える骨格になります。組織の長は、自分の治世を後の人が確かめられる形で残す責任を意識すべきでしょう。
この章句が説くこと
崇峻天皇推古天皇古事記の結び治世御陵記録
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