弘道館記述義 / 集衆思・衆思を集めるときの雷同と朋党の害
集衆思宣群力。以報國家無窮之恩。則臣彪謹案。天下大物也。必能任天下之賢者。用天下之能者。智者竭其思。勇者效其力。上下一體。彼此無間。而後可保鴻業於無窮矣。書曰予欲宣力四方。汝爲。諸葛亮曰。參署者集衆思廣忠益也。夫以虞舜之聖。不敢自用。必藉良弼之力。以諸葛之才。不敢獨斷。必資多士之議。而庸材之人旣不能任賢能。又自用其區區之智力。欲以圖治安之業。抑亦難矣。非唯天下之事爲然。雖一國之治。亦非一材一能所能辯也。然則凡其爲士者。各守其職勤其業。以事其長上。其爲大夫者。忘家奉公獎順其美匡救其惡。而人君集其衆思群力以治其國。君臣上下以誠相與。則孟軻所謂沛然孰能禦之者。夫然後所以報國家無窮之恩者。始可謂無遺憾已。然臣竊謂集衆思宣群力。固人君之要務。而亦有大可慮者焉。曰雷同之弊。曰朋黨之禍。小人之事君。小廉曲謹若無過失。姑息摸稜殆類中庸。枉己從人。似無意必固我者。人君發言大夫贊之。大夫建議群僚成之。不啻贊之成之。務迎合其意。脅肩諂笑無所不至。其君臣之間殆似一體無間者。於是人君大喜以爲。吾能集衆思宣群力。及一旦變起不意。君命焉大夫不奉也。大夫令焉群僚不從。甚則開門揖賊。倒戈拒後。向之贊成迎合者。悉變爲仇讎。豈不悲哉。是謂雷同之弊。君子之事君。知之不敢不言。言之不敢不盡。展布四體無有依違。其狀頗似不敬者。平居無事各陳意見不敢面從。其跡似不甚和者。及其臨大義大節。如飢渴之於飮食。不期而同揆。刀鋸鼎鑊不能奪其志。此小人奸吏之所尤忌。欲乘其有過而擠之。其人未盡有過。欲讒而去之。其人不可盡讒。於是目以朋黨。朋黨之說一行。而闔國蕩然無復君子矣。是謂朋黨之禍。故舜之命夔曰。朕聖讒說珍行震驚朕師。諸葛亮之戒後主曰。親小人遠賢臣。此後漢之所以傾頹也。由是觀之。讒說珍行。則雖有良弼。不得宣力於舜之時。而亮之所謂廣忠益者。亦不在集小人之衆思也。在上之人。豈可不深鑒哉。豈徒祖宗之志弗墜。神皇在天之靈。亦將降鑒焉。
新字:集衆思宣群力。以報国家無窮之恩。則臣彪謹案。天下大物也。必能任天下之賢者。用天下之能者。智者竭其思。勇者効其力。上下一体。彼此無間。而後可保鴻業於無窮矣。書曰予欲宣力四方。汝為。諸葛亮曰。参署者集衆思広忠益也。夫以虞舜之聖。不敢自用。必藉良弼之力。以諸葛之才。不敢独断。必資多士之議。而庸材之人既不能任賢能。又自用其区区之智力。欲以図治安之業。抑亦難矣。非唯天下之事為然。雖一国之治。亦非一材一能所能弁也。然則凡其為士者。各守其職勤其業。以事其長上。其為大夫者。忘家奉公獎順其美匡救其悪。而人君集其衆思群力以治其国。君臣上下以誠相与。則孟軻所謂沛然孰能禦之者。夫然後所以報国家無窮之恩者。始可謂無遺憾已。然臣窃謂集衆思宣群力。固人君之要務。而亦有大可慮者焉。曰雷同之弊。曰朋党之禍。小人之事君。小廉曲謹若無過失。姑息摸稜殆類中庸。枉己従人。似無意必固我者。人君発言大夫賛之。大夫建議群僚成之。不啻賛之成之。務迎合其意。脅肩諂笑無所不至。其君臣之間殆似一体無間者。於是人君大喜以為。吾能集衆思宣群力。及一旦変起不意。君命焉大夫不奉也。大夫令焉群僚不従。甚則開門揖賊。倒戈拒後。向之賛成迎合者。悉変為仇讎。豈不悲哉。是謂雷同之弊。君子之事君。知之不敢不言。言之不敢不尽。展布四体無有依違。其状頗似不敬者。平居無事各陳意見不敢面従。其跡似不甚和者。及其臨大義大節。如飢渇之於飲食。不期而同揆。刀鋸鼎鑊不能奪其志。此小人奸吏之所尤忌。欲乗其有過而擠之。其人未尽有過。欲讒而去之。其人不可尽讒。於是目以朋党。朋党之説一行。而闔国蕩然無復君子矣。是謂朋党之禍。故舜之命夔曰。朕聖讒説珍行震驚朕師。諸葛亮之戒後主曰。親小人遠賢臣。此後漢之所以傾頽也。由是観之。讒説珍行。則雖有良弼。不得宣力於舜之時。而亮之所謂広忠益者。亦不在集小人之衆思也。在上之人。豈可不深鑒哉。豈徒祖宗之志弗墜。神皇在天之霊。亦将降鑒焉。
書き下し
衆思を集め群力を宣べ、以て国家無窮の恩に報ゆ。則ち臣彪謹んで案ずるに、天下は大物なり。必ず能く天下の賢者に任じ、天下の能者を用ひ、智者は其の思ひを竭くし、勇者は其の力を效し、上下一体、彼此間無くして、而る後鴻業を無窮に保つべし。書に曰く、予四方に力を宣べんと欲す、汝為せと。諸葛亮曰く、参署とは衆思を集め忠益を広むるなりと。夫れ虞舜の聖なるを以てすら敢へて自ら用ひず、必ず良弼の力を藉る。諸葛の才を以てすら敢へて独断せず、必ず多士の議に資る。而るに庸材の人は既に賢能に任ずること能はず、又其の区区の智力を自ら用ひて、以て治安の業を図らんと欲す。抑も亦難し。唯に天下の事のみ然るに非ず、一国の治と雖も、亦一材一能の弁ずべき所に非ず。然らば則ち凡そ其の士たる者は、各其の職を守り其の業に勤め、以て其の長上に事へ、其の大夫たる者は、家を忘れ公に奉じ、其の美を奨順し其の悪を匡救し、而して人君は其の衆思群力を集めて以て其の国を治め、君臣上下誠を以て相与にせば、則ち孟軻の所謂「沛然として孰か能く之を禦がん」。夫れ然る後に国家無窮の恩に報ゆる所以の者、始めて遺憾無しと謂ふべきのみ。然れども臣竊かに謂へらく、衆思を集め群力を宣ぶるは、固より人君の要務なり、而して亦大いに慮るべき者有り。曰く雷同の弊、曰く朋党の禍。小人の君に事ふるや、小廉曲謹にして過失無きが若く、姑息模稜にして殆ど中庸に類し、己を枉げ人に従ひ、意必固我無きに似たり。人君言を発すれば大夫之を賛し、大夫議を建つれば群僚之を成す。啻に之を賛し之を成すのみならず、務めて其の意に迎合し、脅肩諂笑至らざる所無し。其の君臣の間は殆ど一体間無き者に似たり。是に於いて人君大いに喜び、以為へらく、吾能く衆思を集め群力を宣ぶと。一旦変の不意に起こるに及び、君命ずるも大夫奉ぜず、大夫令するも群僚従はず、甚だしきは門を開きて賊に揖し、戈を倒して後を拒ぐ。向の賛成迎合する者、悉く変じて仇讐と為る。豈に悲しからずや。是れを雷同の弊と謂ふ。君子の君に事ふるや、之を知れば敢へて言はずんばあらず、之を言へば敢へて尽くさずんばあらず。四体を展布して依違有ること無し。其の状は頗る不敬に似たり。平居事無ければ各意見を陳べて敢へて面従せず。其の跡は甚だ和せざるに似たり。其の大義大節に臨むに及びては、飢渇の飲食に於けるが如く、期せずして揆を同じくし、刀鋸鼎鑊も其の志を奪ふこと能はず。此れ小人奸吏の尤も忌む所にして、其の過ち有るに乗じて之を擠さんと欲す。其の人未だ尽くは過ち有らざれば、讒して之を去らんと欲するも、其の人尽くは讒すべからず。是に於いて目するに朋党を以てす。朋党の説一たび行はれて、闔国蕩然として復た君子無し。是れを朋党の禍と謂ふ。故に舜の夔に命ずるや曰く、朕、讒説の珍行して朕が師を震驚するを聖む。諸葛亮の後主を戒むるや曰く、小人に親しみ賢臣を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽せし所以なりと。此に由りて之を観れば、讒説珍行は、則ち良弼有りと雖も、舜の時に力を宣ぶるを得ず。而して亮の所謂忠益を広むるも、亦小人の衆思を集むるに在らざるなり。上に在る人、豈に深く鑒みざるべけんや。豈に徒に祖宗の志墜ちざるのみならんや、神皇在天の霊も、亦将に降り鑒みたまはんとす。
現代語訳
「衆思(多くの人の考え)を集め、群力(多くの人の力)を広げ、国家の無窮の恩に報いる」についてです。臣の彪が謹んで考えます。天下は大きなものです。天下の賢者に任せ、天下の有能な者を用い、知恵のある者はその思慮を尽くし、勇気のある者はその力を尽くし、上下が一体となって、あちらこちらに隔たりがなくなってはじめて、大きな事業を永く保てます。『書経』に「私は四方に力を広げたい。あなたたちが行え」とあります。諸葛亮は「参署(多くの者が参与して署名すること)とは、衆思を集めて忠言と益を広めることだ」と言いました。聖人の舜でさえ、あえて自分だけで事を行わず、必ず良き補佐の力を借りました。諸葛亮の才をもってしても、あえて独断せず、必ず多くの士の議論に頼りました。凡庸な人は賢者や有能な者に任せることができず、自分の小さな知恵と力を用いて、安定した治世を図ろうとします。それは難しいことです。天下の事だけでなく、一国の治めも、一人の才や一つの能力で成し遂げられるものではありません。そうであるなら、士たる者は、それぞれの職を守り業に励んで長上に仕え、大夫たる者は、家を忘れて公に尽くし、長所を励まし従い、悪を正し救い、君主は衆思と群力を集めて国を治める。君臣上下が誠をもって交われば、孟子のいう「勢いよく流れる水を誰が防げようか」というようになります。そうなってはじめて、国家の無窮の恩に報いる道に、悔いがないと言えるのです。 しかし私はひそかに思います。衆思を集め群力を広げることは、もとより君主の大事な務めですが、大いに心配すべきことがあります。一つは雷同の弊害、もう一つは朋党の災いです。小人は君に仕えるとき、小さな清廉さや細かな慎みで過失がないように見せ、場当たりで曖昧な態度は中庸のようで、己を曲げて人に従い、独断も固執もないように見えます。君主が発言すれば大夫が賛成し、大夫が議を立てれば同僚が成就させます。賛成し成就させるだけでなく、努めて君主の意に迎合し、肩をすぼめてへつらい笑うことをしないことはありません。君臣の間は、ほとんど一体で隙がないように見えます。そこで君主は大いに喜び、「私は衆思を集め群力を広げられている」と思います。ところが突然予想外の変事が起こると、君主が命じても大夫は奉じず、大夫が命じても同僚は従わず、ひどい場合は門を開いて賊に挨拶し、戈を逆さに持って後ろを防ぐ(味方を攻撃する)。先に賛成し迎合した者たちが、ことごとく仇敵に変わるのです。悲しいことではありませんか。これを雷同の弊害といいます。 君子が君に仕えるときは、知っていれば言わないことはなく、言うからには尽くさないことはありません。全身を広げて(率直に)、どちらつかずの態度をとりません。その様子は不敬のように見えます。平時には事無く各自意見を述べ、決して面従しません。その形跡は、あまり和していないように見えます。しかし大義や大節に臨むと、飢えて渇いた人が飲食に向かうように、期せずして心が一致し、刀や鋸、釜ゆでの刑でもその志を奪えません。これは小人や奸吏が最も忌むところで、過ちがあればそれに乗じて陥れようとします。過ちがなければ、讒言で追い出そうとしますが、全員を讒言することはできません。そこで朋党というレッテルを貼ります。朋党の説が一度行われれば、国中は崩れ、もう君子はいなくなります。これを朋党の災いといいます。そこで舜が夔に命じて言いました。「私は、讒言が珍しい行いをして私の民を驚かすことを憎む」と。諸葛亮が後主(劉禅)を戒めて言いました。「小人に親しみ賢臣を遠ざけたことが、後漢の傾き衰えた理由である」と。こうしてみると、讒言と珍行があれば、良い補佐がいても、舜の時代に力を広げることはできません。諸葛亮のいう「忠益を広める」ことも、小人たちの考えを集めることではないのです。上に立つ人は、どうして深く鑑みないでよいでしょうか。祖先の志が墜ちないだけでなく、天皇の在天の霊も、必ずお降りになってご覧になるでしょう。
解説
この章句が説くこと
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