神皇正統記 / 巻一 序
かの国よりは倭と書たれど、返牒には日本とも倭とものせられず。是より上代には牒ありともみえざる也。唐の咸亨の比は天智の御代にあたりたれば、実には件の比より日本と書て送られけるにや。又此国をば秋津州といふ。神武天皇国のかたちをめぐらしのぞみ給て、「蜻蛉の臀舐の如くあるかな。」との給しより、此名ありきとぞ。しかれど、神代に豊秋津根と云名あれば、神武にはじめざるにや。此外もあまた名あり。細戈の千足国とも、磯輪上の秀真の国とも、玉垣の内国ともいへり。又扶桑国と云名もあるか。「東海の中に扶桑の木あり。日の出所なり。」とみえたり。日本も東にあれば、よそへていへるか。此国に彼木ありと云事きこえねば、たしかなる名にはあらざるべし。凡内典の説に須弥と云山あり。此山をめぐりて七の金山あり。其中間は皆香水海なり。金山の外に四大海あり。此海中に四大州あり。州ごとに又二の中州あり。南州をば贍部と云。是は樹の名なり。南州の中心に阿耨達と云山あり。山頂に池あり。池の傍に此樹あり。迊七由旬高百由旬なり。
書き下し
かの国よりは倭と書たれど、返牒には日本とも倭とものせられず。是より上代には牒ありともみえざる也。唐の咸亨の比は天智の御代にあたりたれば、実には件の比より日本と書て送られけるにや。又此国をば秋津州といふ。神武天皇国のかたちをめぐらしのぞみ給て、「蜻蛉の臀舐の如くあるかな。」との給しより、此名ありきとぞ。しかれど、神代に豊秋津根と云名あれば、神武にはじめざるにや。此外もあまた名あり。細戈の千足国とも、磯輪上の秀真の国とも、玉垣の内国ともいへり。又扶桑国と云名もあるか。「東海の中に扶桑の木あり。日の出所なり。」とみえたり。日本も東にあれば、よそへていへるか。此国に彼木ありと云事きこえねば、たしかなる名にはあらざるべし。凡内典の説に須弥と云山あり。此山をめぐりて七の金山あり。其中間は皆香水海なり。金山の外に四大海あり。此海中に四大州あり。州ごとに又二の中州あり。南州をば贍部と云。是は樹の名なり。南州の中心に阿耨達と云山あり。山頂に池あり。池の傍に此樹あり。迊七由旬高百由旬なり。
現代語訳
あの国からは倭と書いてきたけれども、返書には日本とも倭とも載せられなかった。これより前の時代には国書のやりとりがあったとも見えない。唐の咸亨の頃は天智天皇の御代にあたるので、実際にはその頃から日本と書いて送られたのであろうか。またこの国を秋津州という。神武天皇が国の形を巡り望まれて、「蜻蛉(とんぼ)が尾をなめ合って輪になっているような形であるなあ」とおっしゃったことから、この名があるという。しかし神代に豊秋津根という名があるのだから、神武天皇に始まったのではないのだろう。このほかにも多くの名がある。細戈の千足る国(くわしほこのちだるくに)とも、磯輪上の秀真の国(しわかみのほつまのくに)とも、玉垣の内つ国ともいった。また扶桑国という名もあるのか。「東の海の中に扶桑の木がある。日の出る所である」と見える。日本も東にあるので、それになぞらえて言ったのか。この国にその木があるということは聞かないので、確かな名ではあるまい。およそ仏典の説では須弥(しゅみ)という山がある。この山をめぐって七つの金山がある。その間はみな香水の海である。金山の外に四つの大海がある。この海の中に四つの大州がある。州ごとにまた二つの中州がある。南の州を贍部(せんぶ)という。これは樹の名である。南州の中心に阿耨達(あのくだつ)という山がある。山頂に池がある。池のほとりにこの樹がある。周囲は七由旬、高さは百由旬である。
解説
関連する章句
-
『神皇正統記』巻一 序大日本とも大倭とも書ことは、此国に漢字伝て後、国の名をかくに字をば大日本と定てしかも耶麻土とよませたるなり。大日孁のしろしめす御国なれば、其義をもとれるか、はた日の出る所にちかければしかいへるか。義はかゝれども字のまゝ日のもとゝはよまず。耶麻土と訓ぜり。我国の漢字を訓ずること多く如此。おのづから日の本などいへるは文字によれるなり。国の名とせるにあらず。又古より大日本とも若は大の字をくはへず、日本ともかけり。州の名を大日本豊秋津といふ。懿徳・孝霊・孝元等の御謚みな大日本の字あり。垂仁天皇の御女大日本姫と云ふ。これみな大の字あり。天神饒速日尊、天の磐船にのり大虚をかけりて「虚空見日本の国」との給。神武の御名神日本磐余彦と号したてまつる。孝安を日本足、開化を稚日本とも号、景行天皇の御子小碓の皇子を日本武の尊となづけ奉る。是は大を加ざるなり。彼此同くやまとゝよませたれど大日孁の義をとらば、おほやまとゝ読てもかなふべきか。
-
『神皇正統記』巻一 序神代には豊葦原千五百秋瑞穂国と云ふ。天地開闢の初より此名あり。天祖国常立尊、陽神陰神にさづけ給し勅にきこえたり。天照太神、天孫の尊に譲ましまししにも、此名あれば根本の号なりとはしりぬべし。又は大八州国と云ふ。是は陽神陰神、此国を生給しが、八の嶋なりしによつて名けられたり。又は耶麻土と云ふ。是は大八州の中国の名也。第八にあたるたび、天御虚空豊秋津根別と云神を生給ふ。これを大日本豊秋津州となづく。今は四十八け国にわかてり。中州たりし上に、神武天皇東征より代々の皇都也。よりて其名をとりて、余の七州をもすべて耶麻土と云なるべし。唐にも、周の国より出たりしかば、天下を周と云、漢の地よりおこりたれば、海内を漢と名づけしが如し。耶麻土と云へることは山迹と云也。昔天地わかれて泥のうるほひいまだかわかず、山をのみ往来として其跡おほかりければ山迹と云ふ。或古語に居住を止と云ふ。山に居住せしによりて山止なりとも云へり。
-
『神皇正統記』巻一 序此樹、州の中心にありて最も高し。よりて州の名とす。阿耨達山の南は大雪山、北は葱嶺なり。葱嶺の北は胡国、雪山の南は五天竺、東北によりては震旦国、西北にあたりては波斯国也。此贍部州は縦横七千由旬、里をもちてかぞふれば二十八万里。東海より西海にいたるまで九万里。南海より北海にいたるまで又九万里。天竺は正中によれり。よつて贍部の中国とす也。地のめぐり又九万里。震旦ひろしと云へども五天にならぶれば一辺の小国なり。日本は彼土をはなれて海中にあり。北嶺の伝教大師、南都の護命僧正は中州也としるされたり。しからば南州と東州との中なる遮摩羅と云州なるべきにや。華厳経に「東北の海中に山あり。金剛山と云ふ。」とあるは大倭の金剛山の事也とぞ。されば此国は天竺よりも震旦よりも東北の大海の中にあり。別州にして神明の皇統を伝へ給へる国也。同世界の中なれば、天地開闢の初はいづくもかはるべきならねど、三国の説各ことなり。天竺の説には、世の始りを劫初と云ふ。
-
『神皇正統記』巻一 序其後漢土より字書を伝へける時、倭と書て此国の名に用たるを、即領納して、又此字を耶麻土と訓じて、日本の如に大を加へても又のぞきても同訓に通用しけり。漢土より倭と名けゝる事は、昔此国の人はじめて彼土にいたれりしに、「汝が国の名をばいかゞ云ふ。」と問けるを、「吾国は」と云をきゝて、即倭と名づけたりとみゆ。漢書に、「楽浪の海中に倭人あり。百余国をわかてり。」と云ふ。もし前漢の時すでに通けるか。後漢書に、「大倭王は耶麻堆に居す。」とみえたり。これは若すでに此国の使人本国の例により大倭と称するによりてかくしるせるか。大倭と云ことは異朝にも領納して書伝にのせたれば此国にのみほめて称するにあらず。唐書「高宗咸亨年中に倭国の使始てあらためて日本と号す。其国東にあり。日の出所に近を云ふ。」と載たり。此事我国の古記にはたしかならず。推古天皇の御時、もろこしの隋朝より使ありて書をおくれりしに、倭皇とかく。聖徳太子みづから筆を取りて、返牒を書給しには、「東天皇敬白西皇帝。」とありき。
-
『神皇正統記』巻一 神国の名大日本者神国也。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。此故に神国と云ふ也。
-
『神皇正統記』巻一 天神七代宝山にとゞまりて不動のしるしとなりけんことや正説なるべからん。龍田も宝山ちかき所なれば、龍神を天柱国柱といへるも、深秘の心あるべきにや。日本紀・旧事本紀・古語拾遺等にのせざらん事は末学の輩ひとへに信用しがたかるべし。彼書の中猶一決せざること多し。況異書におきては正とすべからず。かくて、此二神相はからひて八の嶋をうみ給ふ。先、淡路の州をうみます。淡路穂之狭別と云ふ。次、伊与の二名の州をうみます。一身に四面あり。一を愛比売と云、これは伊与也。二を飯依比売と云、是は讃岐也。三を大宜都比売と云、これは阿波也。四を速依別と云、是は土左也。次、筑紫の州をうみます。又一身に四面あり。一を白日の別と云、是は筑紫也。後に筑前・筑後と云ふ。二を豊日別と云、これは豊国也。後に豊前・豊後と云ふ。三を昼日別と云、是は肥の国也。後に肥前・肥後と云ふ。四を豊久士比泥別と云、是は日向也。後に日向・大隅・薩摩と云。次、壱岐の国をうみます。天比登都柱と云ふ。次、対馬の州をうみます。天之狭手依比売と云ふ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る