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近思録 / 巻14 観聖賢

伊川先生撰明道先生行狀曰:先生資稟既異、而充養有道。純粹如精金、溫潤如良玉。寬而有制、和而不流。忠誠貫於金石、孝悌通於神明。視其色、其接物也、如春陽之溫。聽其言、其入人也、如時雨之潤。胸懷洞然、徹視無間。測其蘊、則浩乎若滄溟之無際。極其德、美言蓋不足以形容。先生行己、內主於敬、而行之以恕。見善若出諸己、不欲弗施於人。居廣居而行大道、言有物而動有常。先生爲學、自十五六時、聞汝南周茂叔論道、遂厭科舉之業、慨然有求道之志。未知其要、泛濫於諸家、出入於老釋者幾十年。返求諸六經而後得之。明於庶物、察於人倫。知盡性至命、必本於孝悌。窮神知化、由通於禮樂。辨異端似是之非、開百代未明之惑。秦漢而下、未有臻斯理也。謂孟子沒而聖學不傳、以興起斯文爲己任。其言曰:「道之不明、異端害之也。昔之害近而易知、今之害深而難辨。昔之惑人也乘其迷暗、今之入人也因其高明。自謂之窮神知化、而不足以開物成務。言爲無不周遍、實則外於倫理。窮深極微、而不可以入堯舜之道。天下之學、非淺陋固滯、則必入於此。自道之不明也、邪誕妖異之說競起、塗生民之耳目、溺天下於污濁。

新字:伊川先生撰明道先生行状曰:先生資稟既異、而充養有道。純粋如精金、温潤如良玉。寛而有制、和而不流。忠誠貫於金石、孝悌通於神明。視其色、其接物也、如春陽之温。聴其言、其入人也、如時雨之潤。胸懐洞然、徹視無間。測其蘊、則浩乎若滄溟之無際。極其徳、美言蓋不足以形容。先生行己、内主於敬、而行之以恕。見善若出諸己、不欲弗施於人。居広居而行大道、言有物而動有常。先生為学、自十五六時、聞汝南周茂叔論道、遂厭科舉之業、慨然有求道之志。未知其要、泛濫於諸家、出入於老釈者幾十年。返求諸六経而後得之。明於庶物、察於人倫。知尽性至命、必本於孝悌。窮神知化、由通於礼楽。弁異端似是之非、開百代未明之惑。秦漢而下、未有臻斯理也。謂孟子没而聖学不伝、以興起斯文為己任。其言曰:「道之不明、異端害之也。昔之害近而易知、今之害深而難弁。昔之惑人也乗其迷暗、今之入人也因其高明。自謂之窮神知化、而不足以開物成務。言為無不周遍、実則外於倫理。窮深極微、而不可以入堯舜之道。天下之学、非浅陋固滞、則必入於此。自道之不明也、邪誕妖異之説競起、塗生民之耳目、溺天下於汚濁。

書き下し

伊川先生明道先生の行状を撰して曰く、先生は資稟既に異にして、充養道有り。純粋なること精金の如く、温潤なること良玉の如し。寛にして制有り、和して流れず。忠誠は金石を貫き、孝悌は神明に通ず。其の色を視れば、其の物に接するや、春陽の温の如し。其の言を聴けば、其の人に入るや、時雨の潤の如し。胸懐洞然として、徹視して間無し。其の蘊を測れば、則ち浩乎として滄溟の際無きが若し。其の徳を極むれば、美言も蓋し以て形容するに足らず。先生己を行うに、内は敬を主として、之を行うに恕を以てす。善を見ては己より出づるが若くし、欲せざるは人に施さず。広居に居りて大道を行い、言に物有りて動に常有り。先生学を為すに、十五六の時より、汝南の周茂叔の道を論ずるを聞き、遂に科挙の業を厭い、慨然として道を求むるの志有り。未だ其の要を知らず、諸家に泛濫し、老釈に出入すること幾(ほと)んど十年。返りて諸を六経に求めて後に之を得たり。庶物に明らかにして、人倫を察す。尽性至命は、必ず孝悌に本づくを知る。窮神知化は、礼楽に通ずるに由る。異端の是に似たるの非を弁じ、百代未だ明らかならざるの惑いを開く。秦漢よりして下、未だ斯の理に臻る有らざるなり。孟子没して聖学伝わらずと謂い、斯文を興起するを以て己が任と為す。其の言に曰く、「道の明らかならざるは、異端之を害すればなり。昔の害は近くして知り易く、今の害は深くして弁じ難し。昔の人を惑わすや其の迷暗に乗じ、今の人に入るや其の高明に因る。自ら之を窮神知化と謂えども、以て物を開き務めを成すに足らず。言は周遍せざる無しと為せども、実は則ち倫理に外る。深きを窮め微を極むれども、以て堯舜の道に入るべからず。天下の学は、浅陋固滞に非ずんば、則ち必ず此に入る。道の明らかならざるよりして、邪誕妖異の説競い起こり、生民の耳目を塗り、天下を汚濁に溺らす。

現代語訳

程頤(伊川先生)が兄の程顥(明道先生)の行状(伝記)を著して言う。先生は生まれつきの資質がすでに人と異なり、それを満たし養う道があった。その純粋さは精錬した金のようであり、温かく潤いのあることは良い玉のようであった。寛大であって節度があり、和やかであって流されなかった。忠誠は金石をも貫き、孝悌は神々にも通じた。その顔色を見れば、人や物に接するさまは、春の日ざしの温かさのようであった。その言葉を聴けば、人の心に入るさまは、ほどよく降る雨の潤いのようであった。胸の内はからりと開けて、奥まで見通しても隔てがなかった。その内に蓄えたものを測れば、広々として大海に果てがないようであった。その徳を極めようとすれば、美しい言葉でも形容するには足りなかった。先生が自分の身を行うには、内では敬を主とし、外に行うには恕(思いやり)をもってした。人の善を見れば自分から出たことのように喜び、自分が望まないことは人にしなかった。天下の広い住まい(仁)に住み、大いなる道(義)を行い、言葉には中身があり、行動には一貫性があった。先生の学問は、十五、六歳のとき、汝南の周茂叔(周敦頤)が道を論じるのを聞いて、科挙の受験勉強を嫌い、奮い立って道を求める志をもった。まだその要点がわからず、諸家の説に広く浸り、老荘や仏教に出入りすること十年近くであった。そこから返って六経に求め、はじめてそれを得た。もろもろの物事に明らかで、人倫をよく察した。性を尽くし天命に至ることは、必ず孝悌に基づくことを知った。神妙を窮め変化を知ることは、礼楽に通じることによることを知った。異端の、正しいように見えて実は誤っているところを見分け、百代にわたって明らかでなかった惑いを開いた。秦漢以降、この理に至った者はいなかった。孟子が没して聖人の学は伝わらなかったと考え、この学問を興すことを自分の任務とした。先生の言葉に言う。「道が明らかでないのは、異端がそれを害するからである。昔の害は身近で知りやすかったが、今の害は深くて見分けにくい。昔は人の迷いや無知につけこんで惑わしたが、今は人の高い聡明さにつけこんで入り込む。自分では神妙を窮め変化を知ると言っているが、それで物事を開き務めを成し遂げるには足りない。言葉はどこにでも行きわたっているようだが、実は人倫の外にある。深いところを窮め微細なところを極めているが、それで尭舜の道に入ることはできない。天下の学問は、浅はかで凝り固まったものでなければ、必ずここに入り込む。道が明らかでなくなってから、よこしまででたらめな怪しい説が競い起こり、人々の耳目をふさぎ、天下を汚れと濁りに溺れさせている。

解説

程頤が兄程顥のために書いた行状の一部である。精金・良玉、春陽の温・時雨の潤といった比喩で、程顥の人柄が温かく、しかも節度を失わなかったことを描く。内は敬を主とし外は恕で行うという要約は、朱子学の修養の型そのものである。学問の遍歴も率直で、周敦頤に触れて科挙の勉強を捨て、老荘や仏教に十年近く出入りしたのち六経に返って道を得たとする。最後に引く程顥の言葉は、昔の異端は無知につけこんだが、今の異端は聡明さにつけこむという洞察である。賢い人ほど精緻な理屈に惹かれて足元の人倫を見失う。頭のよい人材が集まる組織ほど、この落とし穴に気をつけたい。

この章句が説くこと

明道行状居敬恕異端

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