近思録 / 巻14 観聖賢
周茂叔胸中灑落、如光風霽月。其爲政、精密嚴恕、務盡道理。
新字:周茂叔胸中灑落、如光風霽月。其為政、精密厳恕、務尽道理。
書き下し
周茂叔は胸中灑落にして、光風霽月の如し。その政を為すや、精密厳恕にして、務めて道理を尽くす。
現代語訳
周敦頤は胸の内がさっぱりと澄んでいて、晴れた日の風や、雨上がりの月のようであった。政を執るにあたっては、細やかで厳しく、しかも寛やかで、道理を尽くすことに努めた。
解説
黄庭堅が周敦頤を評した有名な一句で、「光風霽月」という言葉はここから広まった。晴れた日に吹く風、雨上がりに出る月——曇りのない人柄をこう言い表す。注目したいのは後半である。人柄がさっぱりしているだけでなく、政を執れば「精密厳恕」だった。細やかで、厳しく、しかも寛やか。この三つは普通なら両立しにくい。細かく厳しければ寛やかになりにくいからだ。近思録の巻十四「観聖賢」は、人物の伝記や評を集めた巻で、学んだ結果がどんな人格になって現れるかを示す。理屈ではなく、実在の人物の姿で締めくくる構成になっている。
この章句が説くこと
光風霽月胸中灑落精密厳恕周敦頤
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