近思録 / 巻14 観聖賢
雖高才明智、膠於見聞、醉生夢死、不自覺也。是皆正路之蓁蕪、聖門之蔽塞、闢之而後可以入道。」先生進將覺斯人、退將明之書。不幸早世、皆未及也。其辨析精微、稍見於世者、學者之所傳耳。先生之門、學者多矣。先生之言平易易知。賢愚皆獲其益。如群飲於河、各充其量、先生教人、自致知至於知止、誠意至於平天下、洒掃應對至於窮理盡性、循循有序。病世之學者、捨近而趨遠、處下而闚高。所以輕自大而卒無得也。先生接物、辨而不問、感而能通。教人而人易從、怒人而人不怨。賢愚善惡、咸得其心。狡僞者獻其誠、暴慢者致其恭。聞風者誠服、覿德者心醉。雖小人以趨向之異、顧於利害、時見排斥。退而省其私、未有不以先生爲君子也。先生爲政、治惡以寬、處煩以裕。當法令繁密之際、未嘗從衆爲應文逃責之事。人皆病於拘礙、而先生處之綽然。衆憂以爲甚難、而先生爲之沛然。雖當倉卒、不動聲色。方監司競爲嚴急之時、其待先生率皆寬厚。設施之際、有所賴焉。先生所爲綱條法度、人可效而爲也。至其道之而從、動之而和。不求物而物應、未施信而民信、則人不可及也。明道先生曰:周茂叔窓前草不除去。
新字:雖高才明智、膠於見聞、酔生夢死、不自覚也。是皆正路之蓁蕪、聖門之蔽塞、闢之而後可以入道。」先生進将覚斯人、退将明之書。不幸早世、皆未及也。其弁析精微、稍見於世者、学者之所伝耳。先生之門、学者多矣。先生之言平易易知。賢愚皆獲其益。如群飲於河、各充其量、先生教人、自致知至於知止、誠意至於平天下、洒掃応対至於窮理尽性、循循有序。病世之学者、捨近而趨遠、処下而闚高。所以軽自大而卒無得也。先生接物、弁而不問、感而能通。教人而人易従、怒人而人不怨。賢愚善悪、咸得其心。狡偽者献其誠、暴慢者致其恭。聞風者誠服、覿徳者心酔。雖小人以趨向之異、顧於利害、時見排斥。退而省其私、未有不以先生為君子也。先生為政、治悪以寛、処煩以裕。当法令繁密之際、未嘗従衆為応文逃責之事。人皆病於拘礙、而先生処之綽然。衆憂以為甚難、而先生為之沛然。雖当倉卒、不動声色。方監司競為厳急之時、其待先生率皆寛厚。設施之際、有所頼焉。先生所為綱条法度、人可効而為也。至其道之而従、動之而和。不求物而物応、未施信而民信、則人不可及也。明道先生曰:周茂叔窓前草不除去。
書き下し
高才明智と雖も、見聞に膠し、酔生夢死して、自ら覚らざるなり。是れ皆正路の蓁蕪(しんぶ)、聖門の蔽塞なり、之を闢きて後に以て道に入るべし。」先生進みては将に斯の人を覚さんとし、退きては将に之を書に明らかにせんとす。不幸にして早世し、皆未だ及ばざるなり。其の弁析精微にして、稍〻世に見わるる者は、学者の伝うる所のみ。先生の門、学者多し。先生の言は平易にして知り易し。賢愚皆其の益を獲たり。群れて河に飲み、各〻其の量を充たすが如し。先生人を教うるに、致知よりして知止に至り、誠意よりして平天下に至り、洒掃応対よりして窮理尽性に至るまで、循循として序有り。世の学者の、近きを捨てて遠きに趨き、下に処りて高きを闚(うかが)うを病む。軽々しく自ら大にして卒に得る無き所以なり。先生物に接するに、弁じて問わず、感じて能く通ず。人を教えて人従い易く、人を怒りて人怨みず。賢愚善悪、咸(みな)其の心を得たり。狡偽の者も其の誠を献じ、暴慢の者も其の恭を致す。風を聞く者は誠服し、徳を覿(み)る者は心酔す。小人の趨向の異なるを以て、利害を顧みて、時に排斥せらると雖も、退きて其の私を省みれば、未だ先生を以て君子と為さざるもの有らず。先生の政を為すや、悪を治むるに寛を以てし、煩に処するに裕を以てす。法令繁密の際に当たりて、未だ嘗て衆に従いて文に応じ責を逃るるの事を為さず。人皆拘礙に病むも、先生之に処すること綽然たり。衆憂えて以て甚だ難しと為すも、先生之を為すこと沛然たり。倉卒に当たると雖も、声色を動かさず。監司競いて厳急を為すの時に方りても、其の先生を待するは率ね皆寛厚なり。設施の際、頼る所有り。先生の為す所の綱条法度は、人効いて為すべきなり。其の之を道(みちび)きて従い、之を動かして和し、物を求めずして物応じ、未だ信を施さずして民信ずるに至りては、則ち人の及ぶべからざるなり。明道先生曰く、周茂叔は窓前の草除き去らず。
現代語訳
(程顥の言葉の続き)「才能が高く聡明な者でも、見聞きしたことに固着し、酔ったように生き夢見るように死んで、自分では気づかない。これらはみな正しい道に生い茂る雑草であり、聖人の門をふさぐものである。これを切り開いてはじめて道に入ることができる。」先生は、世に出れば人々を目覚めさせようとし、退けば道を書物に明らかにしようとしていた。不幸にも早く亡くなり、どちらもまだ果たせなかった。その精密な分析で、少し世に現れているものは、学ぶ者たちが伝えたものにすぎない。先生の門下には学ぶ者が多かった。先生の言葉は平易でわかりやすかった。賢い者も愚かな者もみなその益を得た。群れて河の水を飲み、それぞれが自分の分だけ満たすようなものであった。先生が人を教えるには、知を致すことから止まるところを知ることまで、意を誠にすることから天下を平らかにすることまで、掃除や応対から理を窮め性を尽くすことまで、順を追って秩序があった。世の学ぶ者が、身近なことを捨てて遠いことに走り、低いところにいながら高いところをのぞき見るのを憂えた。それが軽々しく自分を大きく見て、ついには何も得られない理由だからである。先生は人や物に接して、はっきり見分けながら詰問せず、感じ取ってよく通じ合った。人を教えれば人は従いやすく、人を叱っても人は恨まなかった。賢い者も愚かな者も、善人も悪人も、みなその心をつかまれた。ずるく偽る者もその誠を差し出し、乱暴で傲慢な者もその恭しさを尽くした。評判を聞いた者は心から服し、その徳を見た者は心酔した。小人が、向かうところが異なるために、利害を顧みて時に排斥することがあったが、退いて一人で省みれば、先生を君子と思わない者はいなかった。先生が政治を行うには、悪を治めるのに寛大さをもってし、煩雑な事に当たるのにゆとりをもってした。法令が細かく厳しい時代にあっても、人々に従って形式だけ整えて責任を逃れるようなことは一度もしなかった。人々はみな規則に縛られて苦しんだが、先生はゆったりとそれに処した。人々が心配してとても難しいとしたことも、先生はよどみなくやり遂げた。慌ただしい事態に当たっても、声や顔色を変えなかった。監察官たちが競って厳しく急き立てていた時でも、先生に対する扱いはおおむね寛大で手厚かった。先生の施策の際には、頼りにするところがあったのである。先生が作った規則や制度は、人がまねて行うことができる。しかし、導けば人が従い、動かせば人が和し、求めなくても物事が応じ、まだ信を示さないうちに民が信じる、というところに至っては、人の及ぶところではない。程顥(明道先生)は言う。周茂叔(周敦頤)は窓の前の草を刈り取らなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 張耳陳余列伝貫高独り怒り罵りて曰く、「誰か公をして之を為さしめし。今王実に謀無くして、并せて王を捕ふ。公等皆死せば、誰か王の反せざるを白さん」と。乃ち轞車に膠致せられ、王と長安に詣る。張敖の罪を治む。上乃ち趙の群臣賓客に詔すらく、敢て王に従ふ有らば皆族せんと。貫高と客孟舒等十余人と、皆自ら髡鉗し、王の家奴と為りて従ひ来たる。貫高至り、獄に対へて曰く、「独り吾が属之を為す。王実に知らず」と。吏治めて榜笞すること数千、刺剟して、身に撃つべき者無きも、終に復た言はず。呂后数々言ふ、張王は魯元公主の故を以て、宜しく此れ有るべからずと。上怒りて曰く、「張敖をして天下に拠らしめば、豈に而が女を少しとせんや」と。聴かず。廷尉貫高の事の辞を以て聞す。上曰く、「壮士なり。誰か知る者ぞ。私を以て之に問へ」と。中大夫泄公曰く、「臣の邑子にして、素より之を知る。此れ固より趙国の名義を立てて侵されず、然諾を為す者なり」と。上泄公をして節を持して之に箯輿の前に問はしむ。仰ぎ視て曰く、「泄公か」と。泄公労苦すること生平の驩の如く、与に語り、張王果して計謀有りや不やを問ふ。高曰く、「人情寧ぞ各々其の父母妻子を愛せざらんや。今吾が三族皆以て死に論ぜらる。豈に王を以て吾が親に易へんや。顧ふに王実に反せず、独り吾等之を為せり」と。具に本指の為す所以と王の知らざる状とを道ふ。是に於て泄公入り、具に以て報ず。上乃ち趙王を赦す。上貫高の人と為り能く然諾を立つるを賢とし、泄公をして具に之に告げしめて曰く、「張王已に出でたり」と。因りて貫高を赦す。貫高喜びて曰く、「吾が王審らかに出でたるか」と。泄公曰く、「然り」と。泄公曰く、「上足下を多とす。故に足下を赦す」と。貫高曰く、「死せずして一身に余無き所以の者は、張王の反せざるを白さんとすればなり。今王已に出づ。吾が責已に塞がる。死すとも恨みず。且つ人臣として篡殺の名有り、何の面目ありて復た上に事へんや。縦ひ上我を殺さずとも、我心に愧ぢざらんや」と。乃ち仰ぎて骯を絶ち、
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史記 李将軍列伝広大将軍に謝せずして起ちて行き、意甚だ慍怒して部に就き、兵を引きて右将軍食其と軍を合はせて東道より出づ。軍に導亡く、或いは道を失ひ、大将軍に後る。大将軍単于と接戦し、単于遁走し、得る能はずして還る。南のかた幕を絶りて、前将軍・右将軍に遇ふ。広已に大将軍に見え、還りて軍に入る。大将軍長史をして糒醪を持ちて広に遺らしめ、因りて広・食其の道を失ひし状を問ふ。青書を上りて天子に軍の曲折を報ぜんと欲す。広未だ対へず。大将軍長史をして急に広を責めて幕府に之きて簿に対へしむ。広曰く、「諸校尉は罪無し。乃ち我自ら道を失へり。吾今自ら簿に上らん」と。莫府に至り、広其の麾下に謂ひて曰く、「広結髪より匈奴と大小七十余戦す。今幸ひに大将軍に従ひて出でて単于の兵に接す。而るに大将軍又広の部を徙して行くこと回遠にし、而して又迷ひて道を失ふ。豈に天に非ずや。且つ広は年六十余なり。終に復た刀筆の吏に対する能はず」と。遂に刀を引きて自剄す。広の軍の士大夫一軍皆哭す。百姓之を聞き、知ると知らざると、老壮と無く皆為に涕を垂る。
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