近思録 / 巻11 教学
非是先傳以近小而後不教以遠大者。伊川先生曰:說書必非古意。轉使人薄。學者須是潛心積慮、優遊涵養、使之自得。今一日說盡、只是教得薄。至如漢時說、下帷講誦、猶未必說書。古者八歲入小學、十五入大學。擇其才可教者聚之、不肖者復之農畝。蓋士農不易業、既入學則不治農、然後士農判。在學之養、若士大夫之子、則不慮無養。雖庶人之子、既入學則亦必有養。古之士者、自十五入學、至四十方仕。中間自有二十五年學。又無利可趨、則所志可知。須去趨善、便自此成德。後之人、自童稚間已有汲汲趨利之意。何由得向善?故古人必使四十而仕、然後志定。只營衣食、卻無害。惟利祿之誘最害人。天下有多少才、只爲道不明於天下、故不得有所成就。且古者「興於詩、立於禮、成於樂」。如今人怎生會得?古人於詩、如今人歌曲一般。雖閭巷童稚、皆習聞其說而曉其義。故能興起於詩。後世老師宿儒、尚不能曉其義。怎生責得學者?是不得興於詩也。古禮既廢、人倫不明。以至治家、皆無法度。是不得立於禮也。古人有歌詠以養其性情、聲音以養其耳目、舞蹈以養其血脈。今皆無之、是不得成於樂也。古之成材也易、今之成材也難。
新字:非是先伝以近小而後不教以遠大者。伊川先生曰:説書必非古意。転使人薄。学者須是潜心積慮、優遊涵養、使之自得。今一日説尽、只是教得薄。至如漢時説、下帷講誦、猶未必説書。古者八歳入小学、十五入大学。択其才可教者聚之、不肖者復之農畝。蓋士農不易業、既入学則不治農、然後士農判。在学之養、若士大夫之子、則不慮無養。雖庶人之子、既入学則亦必有養。古之士者、自十五入学、至四十方仕。中間自有二十五年学。又無利可趨、則所志可知。須去趨善、便自此成徳。後之人、自童稚間已有汲汲趨利之意。何由得向善?故古人必使四十而仕、然後志定。只営衣食、却無害。惟利禄之誘最害人。天下有多少才、只為道不明於天下、故不得有所成就。且古者「興於詩、立於礼、成於楽」。如今人怎生会得?古人於詩、如今人歌曲一般。雖閭巷童稚、皆習聞其説而暁其義。故能興起於詩。後世老師宿儒、尚不能暁其義。怎生責得学者?是不得興於詩也。古礼既廃、人倫不明。以至治家、皆無法度。是不得立於礼也。古人有歌詠以養其性情、声音以養其耳目、舞蹈以養其血脈。今皆無之、是不得成於楽也。古之成材也易、今之成材也難。
書き下し
是れ先ず伝うるに近小を以てして後に教うるに遠大を以てせざる者に非ず。伊川先生曰く、書を説くは必ず古の意に非ず。転(うた)た人をして薄からしむ。学者は須らく是れ潜心積慮し、優遊涵養して、之をして自得せしむべし。今一日に説き尽くさば、只だ是れ教えて薄きを得るのみ。漢の時の説の如きに至りても、帷を下して講誦するも、猶お未だ必ずしも書を説かず。古は八歳にして小学に入り、十五にして大学に入る。其の才の教うべき者を択びて之を聚め、不肖の者は之を農畝に復す。蓋し士農は業を易えず、既に学に入れば則ち農を治めず、然る後に士農判(わか)る。学に在るの養は、士大夫の子の若きは、則ち養無きを慮らず。庶人の子と雖も、既に学に入れば則ち亦必ず養有り。古の士たる者は、十五にして学に入りてより、四十にして方(まさ)に仕う。中間自ら二十五年の学有り。又利の趨くべき無ければ、則ち志す所知るべし。須らく善に趨くべし、便ち此より徳を成す。後の人は、童稚の間より已に汲汲として利に趨くの意有り。何に由りてか善に向かうを得ん。故に古人は必ず四十にして仕えしめ、然る後に志定まる。只だ衣食を営むは、却って害無し。惟だ利禄の誘いのみ最も人を害す。天下に多少の才有るも、只だ道の天下に明らかならざるが為に、故に成就する所有るを得ず。且つ古は「詩に興り、礼に立ち、楽に成る」。今人の如きは怎生(いかん)ぞ会し得ん。古人の詩に於けるは、今人の歌曲の如く一般なり。閭巷の童稚と雖も、皆其の説を習い聞きて其の義を暁る。故に能く詩に興起す。後世は老師宿儒すら、尚お其の義を暁る能わず。怎生ぞ学者を責め得ん。是れ詩に興るを得ざるなり。古礼既に廃れ、人倫明らかならず。以て家を治むるに至るまで、皆法度無し。是れ礼に立つを得ざるなり。古人は歌詠有りて以て其の性情を養い、声音以て其の耳目を養い、舞蹈以て其の血脈を養う。今皆之無し、是れ楽に成るを得ざるなり。古の材を成すや易く、今の材を成すや難し。
現代語訳
(前からの続き)これは、先に身近で小さなことを伝えて、そのあと遠大なことを教えないという意味ではない。程頤(伊川先生)は言う。経書を講釈することは、決して古の意図ではない。かえって人を浅はかにする。学ぶ者は心を沈め思いを重ね、ゆったりと浸り養って、自分で会得するようにさせなければならない。いま一日で説明し尽くしてしまえば、教えて浅くさせるだけである。漢代の講説でさえ、帷を下ろして講じ誦したが、それでも必ずしも書を講釈したわけではない。古は八歳で小学に入り、十五歳で大学に入った。才能があり教えるに足る者を選んで集め、そうでない者は農地に帰した。思うに士と農は職業を取り替えず、ひとたび学校に入れば農業をしないので、そこで士と農が分かれたのである。学校にいる間の生活の糧は、士大夫の子であれば心配はない。庶民の子であっても、ひとたび学校に入れば必ず養われた。古の士は、十五歳で学校に入ってから四十歳でようやく仕官した。その間に二十五年の学びがあった。しかも追い求めるべき利益がないのだから、志すところは明らかである。必ず善に向かい、そこから徳を完成させた。後世の人は、幼い頃からすでにあくせくと利益を追う気持ちがある。どうして善に向かうことができようか。だから古人は必ず四十歳で仕官させ、それで志が定まったのである。ただ衣食を営むことは、かえって害がない。ただ俸禄の誘惑だけが最も人を損なう。天下には多くの才能があるのに、道が天下に明らかでないために、成し遂げることができないのである。また古には『論語』に言う「詩によって奮い立ち、礼によって立ち、楽によって完成する」があった。今の人にどうしてそれができようか。古人にとって詩は、今の人にとっての歌曲と同じであった。路地の子どもでさえ、みなその言葉を聞き覚え、その意味がわかった。だから詩によって奮い立つことができた。後世は老練な師や大学者でさえ、その意味がわからない。どうして学ぶ者を責められようか。これが詩によって奮い立つことができないということである。古の礼がすでに廃れ、人倫が明らかでない。家を治めることに至るまで、どれも規範がない。これが礼によって立つことができないということである。古人は歌を詠じて性情を養い、音楽で耳目を養い、舞で血脈を養った。今はそれがみなない。これが楽によって完成することができないということである。昔は人材を育てるのがたやすく、今は人材を育てるのが難しい。
解説
この章句が説くこと
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『近思録』巻11 教学而して己を以て之に処するは、独り夫の資の下なる者をして、勉めて企及を思わしむるのみならず。而して才の高き者も、亦敢えて近きを易(あなど)らず。明道先生曰く、子弟の軽俊なる者を憂えば、只だ教うるに経学念書を以てし、文字を作らしむるを得ず。子弟凡百の玩好は皆志を奪う。書札に至りては、儒者の事に於いて最も近し。然れども一向に好み著(つ)くれば、亦自ら志を喪う。王・虞・顔・柳の輩の如きは、誠に好人たること則ち之れ有り。曾て善書の者の道を知るを見るや否や。平生の精力を此に用うれば、惟だ徒らに時日を廃するのみに非ず、道に於いて便ち妨ぐる処有り。以て志を喪うを知るに足る。胡安定湖州に在りて治道斎を置く。学者の治道を明らかにせんと欲する者有れば、之を中に講ず。治民・治兵・水利・算数の類の如し。嘗て劉彝は水利を治むるに善しと言う、後に累りに政を為し、皆水利を興して功有り。凡そ言を立つるは意思を涵蓄して、徳を知る者をして厭わしめず、徳無き者をして惑わしめざらんことを欲す。人を教えて未だ意趣を見ざれば、必ず学を楽しまず。且く之に歌舞を教えんと欲す。古詩三百篇の如き、皆古人之を作る。関雎の類の如きは、家を正すの始めなり。故に之を郷人に用い、之を邦国に用い、日に人をして之を聞かしむ。此等の詩は其の言簡奥にして、今人未だ暁り易からず。別に詩を作り、略〻童子に洒掃応対・長に事うるの節を言い、朝夕之を歌わしめんと欲す、当に助け有るべきに似たり。子厚礼を以て学者に教うるは最も善し、学者をして先ず拠守する所有らしむ。学者に語るに見る所の未だ到らざるの理を以てすれば、惟だ聞く所深澈ならざるのみならず、反って理を将(もっ)て低く看了す。舞射すれば便ち人の誠を見る。古の人を教うるは、之をして己を成さしむるに非ざるは莫し。洒掃応対の上よりして、便ち聖人の事に到るべし。「幼子には常に誑(あざむ)く無きを視(しめ)す」より以上は、便ち是れ教うるに人に事うることを以てするなり。「先ず伝えて後に倦む」とは、君子人を教うるに序有り、先ず伝うるに小なる者近き者を以てし、而る後に教うるに大なる者遠き者を以てす。
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『近思録』巻2 為学経義を求むるが如きは、皆栽培の意なり。昔周茂叔に受学せしとき、毎に顔子仲尼の楽しむ処、楽しむ所は何事なるかを尋ねしむ。見る所期する所は、遠く且つ大ならざるべからず、然れども之を行ふは亦た須らく力を量りて漸有るべし。志大にして心労し、力小にして任重ければ、恐らくは終に事を敗らん。朋友の講習は、更に「相観て善くす」の工夫の多きに如くは莫し。須らく是れ其の心を大にして、開闊ならしむべし。譬へば九層の台を為るが如し、須らく大いに脚を做して始めて得べし。明道先生曰く、舜の畎畝の中より発(おこ)り、百里奚の市より挙げらるるに至るまで、若し熟せんことを要せば、也た須らく這裏より過ぐべし。参や、竟に魯を以て之を得たり。明道先生記誦博識を以て「物を玩びて志を喪ふ」と為す。礼楽は只だ進反の間に在り、便ち性情の正を得。父子君臣は、天下の定理にして、天地の間に逃るる所無し。安んじて天分を得、私心有らざれば、則ち一不義を行ひ、一不辜を殺して、為さざる所有り。分毫の私有れば、便ち是れ王者の事ならず。性を論じて気を論ぜざれば、備はらず。気を論じて性を論ぜざれば、明らかならず。之を二つにすれば則ち是ならず。学を論ずれば便ち理を明らかにせんことを要し、治を論ずれば便ち須らく体を識るべし。曾点漆雕開は已に大意を見る、故に聖人之に与す。根本は須らく是れ先づ培壅すべし、然る後に趨向を立つべきなり。趨向既に正しければ、造る所の浅深は、則ち勉むると勉めざるとに由るなり。敬義夾持して、直ちに上りて天徳に達するは此よりす。懈意一たび生ずれば、便ち是れ自棄自暴なり。学ばざれば便ち老いて衰ふ。人の学の進まざるは、只だ是れ勇ならざればなり。学者の気に勝たれ、習に奪はるるは、只だ志を責むべし。内重ければ則ち以て外の軽きに勝つべく、得ること深ければ則ち以て誘ひの小なるを見るべし。董仲舒謂ふ、「其の義を正して、其の利を謀らず。其の道を明らかにして、其の功を計らず」と。孫思邈曰く、「胆は大ならんことを欲して心は小ならんことを欲し、智は円ならんことを欲して行ひは方ならんことを欲す」と。以て法と為すべし。
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『近思録』巻9 制度乞ふらくは皇帝宮中に在りて、言動服食、皆経筵官をして之を知らしめんことを。翦桐の戯有れば、則ち事に随ひて箴規す。持養の方に違へば、則ち時に応じて諫止す。伊川先生三学の条制を看詳して云ふ、旧制は公私試補、蓋し虚月無し。学校は礼義相先んずるの地なるに、月に之をして争はしむ、殊に教養の道に非ず。請ふ試を改めて課と為さん。未だ至らざる所有れば、則ち学官召して之を教ふ。更に高下を考定せず。尊賢堂を制して以て天下の道徳の士を延く。及び待賓吏師斎を置き、士人の行検を検察する等の法を立つ。又云ふ、元豊より後利誘の法を設け、国学の解額を増して五百人に至る。来る者奔湊す。父母の養を捨て、骨肉の愛を忘る。道路を往来し、他土に旅寓す。人心日に偸く、士風日に薄し。今量りて一百人を留めんと欲す。余の四百人は、州郡の解額窄き処に分在せしむ。自然に士人各郷土に安んず。其の孝愛の心を養ひ、其の奔趨流浪の志を息めん。風俗も亦当に稍厚かるべし。又云ふ、三舎升補の法、皆文を案じ迹を責む。有司の事にして、庠序の材を育て秀を論ずるの道に非ず。蓋し朝廷法を授くるに、必ず下に達す。長官法を守りて為すこと有るを得ず。是を以て事下に成りて、下以て其の上を制するを得。此れ後世の治まらざる所以なり。或ひと曰く、「長貳人を得れば則ち善し。或は其の人に非ずんば、防閑詳密にして循守すべきに若かず」と。殊に知らず先王の法を制するは、人を待ちて行ふ。未だ人を得ざるの法を立つるを聞かざるなり。苟も長貳其の人に非ずんば、教育の道を知らず、徒らに虚文密法を守るとも、果して以て人才を成すに足らんや。
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『近思録』巻11 教学此の巻は人を教うるの道を論ず。蓋し君子進めば則ち斯の道を推して以て天下を覚し、退けば則ち斯の道を明らかにして以て其の徒を淑(よ)くす。所謂英才を得て之を教育するは、即ち「新民」の事なり。濂渓先生曰く、剛の善は義と為し、直と為し、断と為し、厳毅と為し、幹固と為す。悪は猛と為し、隘と為し、強梁と為す。柔の善は慈と為し、順と為し、巽と為す。悪は懦弱と為し、無断と為し、邪佞と為す。惟だ中なる者は、和なり、節に中るなり、天下の達道なり、聖人の事なり。故に聖人教えを立て、人をして自ら其の悪を易え、自ら其の中に至りて止まらしむ。伊川先生曰く、古人子を生めば、能く食い能く言うときに之を教う。大学の法は、豫(あらかじ)めするを以て先と為す。人の幼きや、知思未だ主とする所有らず、便ち当に格言至論を以て日に前に陳ぶべし。未だ暁知せずと雖も、且く当に薫聒(くんかつ)すべし。耳に盈ち腹に充たしむれば、久しくして自ら安んじ習い、固より之を有するが若し。他言を以て之を惑わすと雖も、入る能わざるなり。若し之を為すこと豫めせずして、稍長ずるに及べば、私意偏好内に生じ、衆口弁言外に鑠(と)かす。其の純完を欲するも、得べからざるなり。観の上九に曰く、「其の生を観る、君子なれば咎無し。」象に曰く、「其の生を観るとは、志未だ平らかならざるなり。」伝に曰く、君子は位に在らずと雖も、然れども人其の徳を観て、用て儀法と為す。故に当に自ら慎み省みるべし。其の生ずる所を観て、常に君子たるを失わざれば、則ち人望む所を失わずして之に化す。位に在らざるを以て、故に安然として意を放ち事とする所無かるべからざるなり。聖人の道は天の如く然り、衆人の識と甚だ殊邈(しゅばく)なり。門人弟子既に親炙して、而る後に益〻其の高遠を知る。既に及ぶべからざるが若くならば、則ち趨望の心怠る。故に聖人の教えは、常に俯して之に就く。上に事え喪に臨みては、敢えて勉めずんばあらず。君子の常行にして、酒に困しまずは、尤も其の近きなり。
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