近思録 / 巻11 教学
孔子教人、不憤不啓、不悱不發。蓋不待憤悱而發、則知之不固。待憤悱而後發、則沛然矣。學者須是深思之。思而不得、然後爲他說便好。初學者須是且爲他說。不然、非獨他不曉、亦止人好問之心也。
新字:孔子教人、不憤不啓、不悱不発。蓋不待憤悱而発、則知之不固。待憤悱而後発、則沛然矣。学者須是深思之。思而不得、然後為他説便好。初学者須是且為他説。不然、非独他不暁、亦止人好問之心也。
書き下し
孔子の人を教うるや、憤せずんば啓せず、悱せずんば発せず。蓋し憤悱を待たずして発すれば、則ち知ること固からず。憤悱を待ちて後に発すれば、則ち沛然たり。学者は須らくこれを深く思うべし。思いて得ざれば、然る後に他が為に説くこと便ち好し。初学の者は須らく且く他が為に説くべし。然らずんば、独り他の暁らざるのみに非ず、亦た人の問いを好む心を止むるなり。
現代語訳
孔子が人を教えるときは、相手が奮い立って求めるまで開いてやらず、言い表せずにもどかしがるまで言ってやらなかった。奮い立つのを待たずに言ってやれば、その知識は固まらない。待ってから言えば、勢いよく通じる。学ぶ者は深く考えねばならない。考えても得られなければ、そのとき説いてやるのがよい。ただし初学の者には、まずは説いてやるべきである。そうしないと、その者が分からないだけでなく、人の問おうとする心まで止めてしまう。
解説
論語の「憤せずんば啓せず」を教える側の技術として展開した一条である。先に答えを渡せば知識は固まらない、待ってから渡せば一気に通る。だから待て、と。ここまでは教育論としてよく知られる。値打ちは後半にある。初学者には先に説いてやれ、という例外を置いていることだ。理由も明快で、そうしないと本人が分からないだけでなく、問おうとする気持ち自体を潰してしまうから。待つ教え方は、ある程度育った相手にしか効かない。相手の段階を見誤ると、育てるつもりが芽を摘む。
この章句が説くこと
憤せずんば啓せず待ちて後に発すれば沛然たり初学には説く問いを好む心
関連する章句
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論語・述而篇子曰わく、憤せざれば啓せず、悱せざれば発せず。一隅を挙げて三隅を以て反さざれば、則ち復せず。
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『近思録』巻11 教学学記に曰く、「進みてその安きを顧みず、人をしてその誠に由らしめず、人を教うるにその材を尽くさず」と。人未だこれに安んぜざるに、又たこれを進め、未だ喩らざるに、又たこれに告ぐ。徒らに人をしてこの節目を生ぜしむ。材を尽くさず、安きを顧みず、誠に由らざるは、皆なこれ施すことの妄なり。人を教うるは至難なり。必ず人の材を尽くして、乃ち人を誤らず。及ぶべき処を観て、然る後にこれに告ぐ。聖人の教えは、直に庖丁の牛を解くが若し。皆なその隙を知り、刃を余地に投じて全牛無し。人の才、以て為す有るに足る。但だその誠に由らざるを以て、則ちその才を尽くさず。若し勉率してこれを為すと曰わば、則ち豈に誠に由ること有らんや。
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伝習録・黄省曾録先生曰く、「孔子、鄙夫の来たりて問う有り。未だ嘗て先に知識有りて以て之に応ぜず。其の心は只だ空空たるのみ。但だ他の自ら知る所の是非の両端を叩き、之と一たび剖決すれば、鄙夫の心は便ち已に了然たり。鄙夫の自ら知る所の是非は、便ち是れ他の本来の天則なり。聖人の聡明と雖も、如何ぞ与に一毫を増減し得べけんや。他は只だ自ら信ずる能わず。夫子、之と一たび剖決すれば、便ち已に竭尽して余無し。若し夫子、鄙夫と言う時、些子の知識を留め得て在らば、便ち是れ他の良知を竭くす能わず。道体は即ち二有らん」と。
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伝習録・黄以方録問う、「孔子曰く、『回や我を助くる者に非ざるなり』と。是れ聖人、果たして相い助くるを以て門弟子に望むや否や」と。先生曰く、「亦た是れ実話なり。此の道は本と窮尽無し。問難、愈々多ければ、則ち精微、愈々顕る。聖人の言は、本と自ら周遍なり。但だ問難する的の人、胸中に窒礙有り。聖人、他の一難を被りて、発揮すること愈々加えて精神あり。若し顔子は一を聞きて十を知り、胸中、了然たり。如何ぞ問難するを得んや。故に聖人も亦た寂然として動かず、発揮する所無し。故に『助くるに非ず』と曰う」と。
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『近思録』巻3 致知義理に疑い有らば、則ち旧見を濯ぎ去りて、以て新意を来たせ。心中に開くる所有らば、即便ち劄記せよ。思わざれば則ち還た塞がる。更に須らく朋友の助けを得べし。一日の間、朋友論著すれば、則ち一日の間、意思差別あり。須らく日日かくの如く講論すべし。久しければ則ち自ら進むを覚ゆ。
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論語・子罕篇子曰く、吾知有らんや。知無きなり。鄙夫有りて我に問う、空空如たり。我其の両端を扣きて竭くす。