近思録 / 巻10 政事
因論口將言而囁嚅云:若合開口時、要他頭也須開口。須是「聽其言也厲」。須是就事上學蠱、「振民育德」然有所知後、方能如此。何必讀書、然後爲學?先生見一學者忙迫。問其故、曰:「欲了幾處人事。」曰:某非不欲周旋人事者。曷嘗似賢急迫?安定之門人、往往知稽古愛民矣。則「於爲政者何有」!門人有曰:吾與人居、視其有過而不告、則於心有所不安。告之而人不受、則奈何?曰:與之處而不告其過、非忠也。要使誠意之交通、在於未言之前、則言出而人信矣。又曰:責善之道、要使誠有餘而言不足。則於人有益、而在我者無自辱矣。職事不可以巧免。「居是邦、不非其大夫。」此理最好。克勤小物最難。欲當大任、須是篤實。凡爲人言者、理勝則事明、氣忿則招拂。居今之時、不安今之法令、非義也。若論爲治、不爲則已。如復爲之、須於今之法度內處得其當、方爲合義。若須更改而後爲、則何義之有?今之監司、多不與州縣一體。監司專欲伺察、州縣專欲掩蔽。不若推誠心與之共治。有所不逮、可教者教之、可督者督之。至於不聽、擇其甚者去一二、使足以警衆可也。伊川先生曰:人惡多事、或人憫之。世事雖多、儘是人事。人事不教人做、更責誰做?
新字:因論口将言而囁嚅云:若合開口時、要他頭也須開口。須是「聴其言也厲」。須是就事上学蠱、「振民育徳」然有所知後、方能如此。何必読書、然後為学?先生見一学者忙迫。問其故、曰:「欲了幾処人事。」曰:某非不欲周旋人事者。曷嘗似賢急迫?安定之門人、往往知稽古愛民矣。則「於為政者何有」!門人有曰:吾与人居、視其有過而不告、則於心有所不安。告之而人不受、則奈何?曰:与之処而不告其過、非忠也。要使誠意之交通、在於未言之前、則言出而人信矣。又曰:責善之道、要使誠有余而言不足。則於人有益、而在我者無自辱矣。職事不可以巧免。「居是邦、不非其大夫。」此理最好。克勤小物最難。欲当大任、須是篤実。凡為人言者、理勝則事明、気忿則招払。居今之時、不安今之法令、非義也。若論為治、不為則已。如復為之、須於今之法度内処得其当、方為合義。若須更改而後為、則何義之有?今之監司、多不与州県一体。監司専欲伺察、州県専欲掩蔽。不若推誠心与之共治。有所不逮、可教者教之、可督者督之。至於不聴、択其甚者去一二、使足以警衆可也。伊川先生曰:人悪多事、或人憫之。世事雖多、儘是人事。人事不教人做、更責誰做?
書き下し
因りて口将に言はんとして囁嚅するを論じて云ふ、若し口を開くべき時に合へば、他の頭を要むるとも也須らく口を開くべし。須らく是れ「其の言を聴くや厲し」なるべし。須らく是れ事上に就きて蠱を学び、「民を振ひ徳を育ふ」、然して知る所有りて後、方に能く此くの如くなるべし。何ぞ必ずしも書を読みて、然る後に学と為さんや。先生一学者の忙迫なるを見る。其の故を問へば、曰く、「幾処の人事を了せんと欲す。」曰く、某人事に周旋することを欲せざるに非ず。曷ぞ嘗て賢の急迫なるに似んや。安定の門人、往往にして古を稽へ民を愛することを知る。則ち「政を為すに於て何か有らん」。門人に曰ふ者有り、吾人と居り、其の過有るを視て告げざれば、則ち心に於て安からざる所有り。之に告げて人受けざれば、則ち奈何せん。曰く、之と処りて其の過を告げざるは、忠に非ざるなり。誠意の交通をして、未だ言はざるの前に在らしむることを要す、則ち言出でて人信ず。又曰く、責善の道は、誠有余にして言不足ならしむることを要す。則ち人に於て益有りて、我に在る者は自ら辱めらるること無し。職事は巧みを以て免るべからず。「是の邦に居りては、其の大夫を非らず。」此の理最も好し。克く小物を勤むるは最も難し。大任に当らんと欲せば、須らく是れ篤実なるべし。凡そ人の為に言ふ者は、理勝てば則ち事明らかに、気忿れば則ち拂を招く。今の時に居りて、今の法令に安んぜざるは、義に非ざるなり。若し治を為すを論ぜば、為さざれば則ち已む。如し復た之を為さば、須らく今の法度の内に於て処して其の当を得べし、方に義に合ふと為す。若し須らく更改して而る後に為すべくんば、則ち何の義か之れ有らん。今の監司、多く州県と一体ならず。監司は専ら伺察せんと欲し、州県は専ら掩蔽せんと欲す。誠心を推して之と共に治むるに若かず。逮ばざる所有れば、教ふべき者は之を教へ、督すべき者は之を督す。聴かざるに至りては、其の甚だしき者一二を択びて去り、以て衆を警むるに足らしめて可なり。伊川先生曰く、人多事を悪む、或人之を憫む。世事多しと雖も、尽く是れ人事なり。人事人をして做さしめずんば、更に誰を責めて做さしめん。
現代語訳
そこで、口で言おうとしながら口ごもることについて論じて言った。もし口を開くべき時にあたれば、たとえ首を取られようとも口を開かなければならない。「その言葉を聞くと厳しい」というふうでなければならない。事に即して蠱(こ、腐敗を立て直す)の卦を学び、「民を奮い立たせ徳を養う」、そうして知るところがあってはじめて、このようにできるのである。どうして必ず書物を読んでから学問とする必要があろうか。先生は一人の学者がせわしなくしているのを見た。そのわけを尋ねると、「幾つかの所の付き合いを済ませたい」と答えた。先生は言った。私も人付き合いをしたくないわけではない。だがどうしてあなたのように慌ただしくしたことがあろうか。安定(あんてい、胡瑗、北宋の教育者)の門人は、しばしば古を考え民を愛することを知っていた。それなら「政治を行うのに何の難しいことがあろう」。門人の中にこう言う者がいた。私は人と一緒にいて、その人に過ちがあるのを見て告げなければ、心に落ち着かないものがある。告げて相手が受け入れなければ、どうすればよいか。先生は言った。一緒にいてその過ちを告げないのは、忠ではない。誠意が通い合うことを、まだ言わないうちに作っておくことが大切である。そうすれば言葉が出たとき人は信じる。また言った。善を勧める道は、誠意が余るほどで言葉は足りないくらいにすることが大切である。そうすれば相手に益があり、自分の方も恥をかくことはない。職務は巧みに立ち回って逃れてはならない。「その国にいては、その国の大夫を非難しない」。この理はもっともよい。小さな事に励むことが最も難しい。大きな任務に当たろうと思えば、篤実でなければならない。およそ人のために意見を言う者は、理がまされば事は明らかになり、感情が怒れば反発を招く。今の時代にいて、今の法令に安んじないのは、義ではない。もし政治を行うことを論じるなら、行わないならそれまでである。もし行うのであれば、今の法度の中で処して適切さを得てこそ義にかなう。もし法を改めてからでなければ行えないというなら、何の義があろうか。今の監司(州県を監督する官)は、多くは州県と一体になっていない。監司はもっぱら探り調べようとし、州県はもっぱら覆い隠そうとする。誠の心を推し及ぼして、共に治めるにこしたことはない。行き届かないところがあれば、教えるべき者は教え、督促すべき者は督促する。聞き入れないに至っては、特にひどい者を一、二人選んで除き、それで皆への戒めとすればよい。伊川先生(程頤)が言う。人は事が多いのを嫌い、それを気の毒がる人もいる。世の事は多くても、すべて人の事である。人の事を人にさせないで、いったい誰にさせるというのか。
解説
この章句が説くこと
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『近思録』巻10 政事此の巻は政に臨み事を処するを論ず。蓋し治道に明らかにして治法に通ずれば、則ち政有るに施す。凡そ官に居り職事に任じ、上に事へ下を撫で、同列を待ち、賢才を選ぶ、世に処するの道具はる。伊川先生上疏して曰く、「夫れ鐘は怒りて之を撃てば則ち武なり。悲しみて之を撃てば則ち哀なり。」誠意の感じて入るなり。人に告ぐるも亦是くの如し。古人の斎戒して君に告ぐる所以なり。臣前後両たび進講することを得、未だ嘗て敢へて宿斎預戒し、潜思存誠して、上心を感動せしめんことを覬はずんばあらず。若し職事に営営とし、其の思慮を紛紛とし、上の前に至るを待ちて、然る後に其の辞説を善くせしめば、徒らに頬舌を以て人を感ぜしむ、亦浅からずや。伊川人の奏藁を示すに答ふる書に云ふ、公の意を観るに、専ら乱を畏るるを以て主と為す。頤は公の民を愛するを以て先と為さんことを欲す。力めて百姓饑ゑて且に死せんとするを言ひ、朝廷の哀憐を丐ひ、因りて将に寇乱を為さんとするを懼るるは可なり。惟だ君に告ぐるの体当に是くの如くなるべきのみならず、事勢も亦宜しく爾るべし。公は方に財を求めて以て人を活かさんとす。之を祈るに仁愛を以てすれば、則ち当に財を軽んじて民を重んずべし。之を懼れしむるに利害を以てすれば、則ち将に財を恃みて以て自ら保たんとす。古の時は、丘民を得れば則ち天下を得。後世は兵を以て民を制し、財を以て衆を聚む。財を聚むる者は能く守り、民を保つ者は迂と為す。惟だ当に誠意を以て感動せしめ、其の忍びざるの心有らんことを覬ふべきのみ。明道邑を為め、民に及ぶの事、多く衆人の所謂法の拘する所の者なり。然れども之を為して未だ嘗て大いに法に戻らず、衆も亦甚だしくは駭かず。之を其の志を伸ぶるを得と謂ふは則ち不可なり。小補を求むれば、則ち今の政を為す者に過ぐること遠し。人之を異とすと雖も、指して狂と為すに至らざるなり。之を狂と謂ふに至れば、則ち大いに駭く。誠を尽して之を為し、容れられずして而る後に去る。又何ぞ嫌はんや。
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『近思録』巻10 政事君実嘗て先生に問ひて云ふ、一人を給事中に除せんと欲す、誰か為すべき者ぞ。先生曰く、初め若し泛く人才を論ずれば、却つて可なり。今既に此くの如し、頤其の人有りと雖も、何ぞ言ふべけんや。君実曰く、公の口より出で、光の耳に入る、又何ぞ害あらん。先生終に言はず。先生云ふ、韓持国の義に服すること最も得べからず。一日、頤持国、范夷叟と潁昌の西湖に舟を泛ぶ。須臾にして客将云ふ、一官員有り上書して、大資に謁見せんと。頤将に謂へらく甚の急切の公事か有らんと。乃ち是れ己を知られんことを求むるなり。頤云ふ、大資位に居りて却つて人を求めず、乃ち人をして倒に来りて己に求めしむ、是れ甚の道理ぞ。夷叟云ふ、只正叔太だ執するが為なり。薦章を求むるは常事なり。頤云ふ、然らず。只曾て求めざる者有れば与へず、来り求むる者は之に与ふるが為に、遂に人をして此くの如くならしむ。持国便ち服す。先生因りて言ふ、今日職に供するに、只第一件便ち他の底を做し得ず。吏人申して転運司に押する状、頤曾て簽せず。国子監は自ら台省に係り、台省は朝廷の官に係る。外司事有れば、合に申状を行ふべし。豈に台省倒に外司に申すの理有らんや。只従前の人只利害を計較して、事体を計較せざるが為に、直だ憑地なるを得たり。須らく聖人の名を正さんと欲する処を看て、名正しからざる時、便ち礼楽興らざるに至ると道ふを見得べし。是れ自然に住むることを得ず。学者は世務に通ぜざるべからず。天下の事は、譬へば一家の如し。我為さざれば則ち彼為し、甲為さざれば則ち乙為す。「人遠き慮り無ければ、必ず近き憂ひ有り。」思慮は当に事外に在るべし。聖人の人を責むるや常に緩し。便ち只事の正しからんことを欲して、人の過悪を顕はすの意無きを見る。伊川先生曰く、今の守令、唯だ民の産を制するのみ。一事も為すを得ず。其の他は法度の中に在りて、甚だ為すべき者有り、人の為さざるを患ふるのみ。明道先生県を作め、凡そ坐する処に皆「民を視ること傷むが如し」の四字を書す。常に曰く、「顥常に此の四字に愧づ。」伊川人の前輩の短を論ずるを見る毎に、則ち曰く、「汝が輩且く他の長ずる処を取れ。」
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