近思録 / 巻5 克己
人人失其所好、蓋人人有利欲之心、與學正相背馳。故學者要寡欲。君子不必避他人之言、以爲太柔太弱。至於瞻視亦有節。視有上下。視高則氣高、視下則心柔。故視國君者、不離紳帶之中。學者先須去其客氣。其爲人剛行、終不肯進。「堂堂乎張也、難與並爲仁矣。」蓋目者人之所常用、且心常託之。視之上下、且試之。己之敬傲、必見於視。所以欲下其視者、欲柔其心也。柔其心、則聽言敬且信。人之有朋友不爲燕安。所以輔佐其仁。今之朋友、擇其善柔以相與。拍肩執袂以爲氣合。一言不合、怒氣相加。朋友之際、欲其相下不倦。故於朋友之間、主其敬者。日相親與、得效最速。仲尼嘗曰:「吾見其居於位也、與先生並行也。非求益者、欲速成者。」則學者先須溫柔。溫柔則可以進學。《詩》曰:「溫溫恭人、惟德之基。」蓋其所益之多。
新字:人人失其所好、蓋人人有利欲之心、与学正相背馳。故学者要寡欲。君子不必避他人之言、以為太柔太弱。至於瞻視亦有節。視有上下。視高則気高、視下則心柔。故視国君者、不離紳帯之中。学者先須去其客気。其為人剛行、終不肯進。「堂堂乎張也、難与並為仁矣。」蓋目者人之所常用、且心常託之。視之上下、且試之。己之敬傲、必見於視。所以欲下其視者、欲柔其心也。柔其心、則聴言敬且信。人之有朋友不為燕安。所以輔佐其仁。今之朋友、択其善柔以相与。拍肩執袂以為気合。一言不合、怒気相加。朋友之際、欲其相下不倦。故於朋友之間、主其敬者。日相親与、得効最速。仲尼嘗曰:「吾見其居於位也、与先生並行也。非求益者、欲速成者。」則学者先須温柔。温柔則可以進学。《詩》曰:「温温恭人、惟徳之基。」蓋其所益之多。
書き下し
人人其の好む所を失ふは、蓋し人人利欲の心有りて、学と正に相背馳すればなり。故に学者は寡欲を要す。君子は必ずしも他人の言を避けて、以て太だ柔太だ弱と為さず。瞻視に至りても亦た節有り。視るに上下有り。視ること高ければ則ち気高く、視ること下ければ則ち心柔らかなり。故に国君を視る者は、紳帯の中を離れず。学者は先づ須らく其の客気を去るべし。其の人と為り剛行なれば、終に進むを肯ぜず。「堂堂たるかな張や、与に並びて仁を為し難し」。蓋し目は人の常に用ふる所にして、且つ心常に之に託す。視の上下、且く之を試みよ。己の敬傲、必ず視に見る。其の視を下げんと欲する所以の者は、其の心を柔らかにせんと欲すればなり。其の心を柔らかにすれば、則ち言を聴くこと敬にして且つ信なり。人の朋友有るは燕安の為にあらず。其の仁を輔佐する所以なり。今の朋友は、其の善柔を択びて以て相与す。肩を拍ち袂を執りて以て気合ふと為す。一言合はざれば、怒気相加ふ。朋友の際は、其の相下りて倦まざらんことを欲す。故に朋友の間に於いて、其の敬を主とする者は、日に相親与して、効を得ること最も速やかなり。仲尼嘗て曰く、「吾其の位に居るを見るなり、先生と並び行くなり。益を求むる者に非ず、速やかに成らんと欲する者なり」と。則ち学者は先づ須らく温柔なるべし。温柔なれば則ち以て学に進むべし。『詩』に曰く、「温温たる恭人、惟れ徳の基なり」と。蓋し其の益する所の多ければなり。
現代語訳
人々がそれぞれの好みを失ってしまうのは、思うに人々に利欲の心があって、それが学問とまさに背き合っているからである。だから学ぶ者は欲を少なくすることが必要である。君子は、他人の言葉に従えばあまりに柔らかく弱く見えるからといって、それを避ける必要はない。目の向け方にも節度がある。視線には上下がある。視線が高ければ気が高ぶり、視線が低ければ心が柔らかくなる。だから国君を見る者は、視線が紳帯(礼装の大帯)のあたりを離れない。学ぶ者はまず客気(一時の血気)を去らねばならない。その人柄が剛直で強引であれば、結局進もうとしない。「堂々としていることよ、子張(しちょう、孔子の弟子)は。共に並んで仁を行うのは難しい」。思うに目は人が常に用いるものであり、しかも心が常にそこに託されている。視線の上下を、ためしにやってみるとよい。自分が敬っているか傲っているかは、必ず視線に表れる。視線を下げようとするのは、心を柔らかくしようとするからである。心を柔らかくすれば、人の言葉を敬って聞き、しかも信じる。人に友があるのは、くつろいで安楽にするためではない。その仁を助けるためである。今の友人づきあいは、人当たりのよい柔らかな者を選んで付き合う。肩をたたき袂を取り合って、気が合うと思っている。ところが一言でも合わなければ、怒気をぶつけ合う。友との間柄では、互いにへりくだって飽きないことが望ましい。だから友の間で敬を主とする者は、日々親しみ合い、効果を得ることが最も速い。孔子はかつて言った。「私はあの子が大人の座に居座り、年長者と並んで歩くのを見た。益を求める者ではない。早く成就したがっている者である」。とすれば、学ぶ者はまず温和で柔らかでなければならない。温和で柔らかであれば、学問に進むことができる。『詩経』に「温和で恭しい人は、徳の基である」とある。思うに、それによって益するところが多いからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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『呻吟語』内篇・修身・苟を反して敬と為す敬なる者は、苟せざるの謂ひなり。故に苟を反して敬と為す。
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尚書・太甲下惟れ天は親しむこと無く、克く敬する惟れ親しむ。民は常に懐くこと罔く、仁有るに懐く。
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『呻吟語』内篇・存心・只だ敬と怠の兩字に系る天下國家の存亡、身の生死は、只だ「敬」「怠」の兩字に系る。敬すれば則ち慎み、慎めば則ち百務脩まり舉がる。怠れば則ち苟くもし、苟くもすれば則ち萬事隳れ頹る。天子より以て庶人に至るまで、此くのごとくならざるは莫し。此れ千古の聖賢の兢兢たる所にして、世人の必ず由る所なり。
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『呻吟語』内篇・談道・敬肆は死生の關敬肆は死生の關なり。
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『呻吟語』内篇・修身・勤慎は敬の謂ひなり甚麼か此の字を降伏し得ん。曰く勤慎なり。勤慎なる者は、敬の謂ひなり。
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