呻吟語 / 内篇・修身・勤慎は敬の謂ひなり
甚麼降伏得此之字,日勤慎。勤慎者,敬之謂也。
書き下し
甚麼か此の字を降伏し得ん。曰く勤慎なり。勤慎なる者は、敬の謂ひなり。
現代語訳
何がこの字を打ち負かせるでしょうか。答えて言う、勤めと慎みです。勤めと慎みとは、敬のことです。
解説
前の段の懶散という二字を受けて、それを打ち負かす言葉を挙げます。勤めと慎み、そしてそれが敬だと言い換える。抽象的な敬という一字が、ここで勤と慎という二つの動作に分解されました。前に出てきた、敬とは間に合わせにしないことだという定義と合わせると、敬の中身がさらにはっきりします。大きな言葉を日々の動作に翻訳していくのが、この書の一貫した仕事です。
この章句が説くこと
敬勤慎怠惰翻訳
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『呻吟語』内篇・談道・敬は人を擇ばず、事を擇ばず、時を擇ばず或ひと敬の道を問ふ。曰く、「外面整齊嚴肅、内面齊莊中正なるは、是れ靜時涵養底の敬なり。書を讀めば則ち心讀む所に在り、事を治むれば則ち心治むる所に在るは、是れ主一無適底の敬なり。門を出づれば大賓を見るがごとく、民を使ふには大祭を承くるがごとくなるは、是れ隨事小心底の敬なり」と。或ひと曰く、「若し笑談歌詠、宴息造次の時ならば、恐らくは是くのごとくんば則ち矜持して泰然ならざらん」と。曰く、「敬は端嚴を以て體と為し、虛活を以て用と為し、正を離れざるを以て主と為す。齋日に衣冠して寢ぬるは、祭る所の者を夢寐すればなり。齋せざるの寢は、則ち衣を解き冕を脫ぐ。未だ衣冕を釋きて敬を持する者有らず。然り而して心邪僻に流れず、事道義に詭らざれば、則ち其の敬為るを害せず。君若し專ら端嚴の上に去きて敬を求めば、則ち鋤を荷ひ畚を負ひ、轡を執り車を御し、鄙事賤役、古の聖賢も皆之を為せり。豈に能く日日手容恭しく足容重からんや。又孔子の肱を曲げ掌を指し、及び居るに容らざる、點の沂に浴するがごときも、何ぞ其の敬為るを害せんや。大端心と正と依り、事と道と合へば、端嚴に拘拘たらずと雖も、其の敬為るを害せず。苟くも心千里に游び、意百欲を逐ひて、此の身は卻つて兀然として端嚴に此に在らば、這れは敬なりや否や。譬へば謹んで避け深く藏れ、燭を秉り珮を鳴らし、緩やかに步み輕く聲するは、女教の『内則』原と是くのごとし。貞信を養ふ所以なり。若し饁婦汲妻及び顛沛奔走の際に當たらば、自ら是れ迴避し得ず。然り而して貞信の守は深藏謹避する者と同じ。是れ何ぞ其の女教為るを害せんや。是の故に敬は人を擇ばず、敬は事を擇ばず、敬は時を擇ばず、敬は地を擇ばず。只だ個の心と正と依り、事と道と合ふを要するのみ」と。
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『呻吟語』内篇・修身・苟を反して敬と為す敬なる者は、苟せざるの謂ひなり。故に苟を反して敬と為す。
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尚書・太甲下惟れ天は親しむこと無く、克く敬する惟れ親しむ。民は常に懐くこと罔く、仁有るに懐く。
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『呻吟語』内篇・存心・只だ敬と怠の兩字に系る天下國家の存亡、身の生死は、只だ「敬」「怠」の兩字に系る。敬すれば則ち慎み、慎めば則ち百務脩まり舉がる。怠れば則ち苟くもし、苟くもすれば則ち萬事隳れ頹る。天子より以て庶人に至るまで、此くのごとくならざるは莫し。此れ千古の聖賢の兢兢たる所にして、世人の必ず由る所なり。
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『呻吟語』内篇・談道・敬肆は死生の關敬肆は死生の關なり。
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『呻吟語』内篇・修身・敬は肆に對して言ふ敬は肆に對して言ふ。敬は是れ一步一步收斂して內に向かひ、收斂して無內の處に至れば、發出し來たりて自然に四肢に暢び、事業を發し、六合に瀰漫す。肆は是れ一步一步放縱して外面に去る。肆の流禍は言はずして知る可し。所以に千古の聖人は只だ一の敬の字を允執の關捩子と為す。堯は欽明允恭、舜は溫恭允塞、禹は汝が止に安んじ、湯は聖敬日に躋り、文は朗恭、武は敬勝、孔子は恭にして安し。講學家此れを講ぜずんば、知らず怎麼にか工夫を做さん。