近思録 / 巻2 為学
古之學者爲己、欲得之於己也。「今之學者爲人」、欲見之於人也。
新字:古之学者為己、欲得之於己也。「今之学者為人」、欲見之於人也。
書き下し
古の学者は己の為にす、これを己に得んと欲すればなり。「今の学者は人の為にす」、これを人に見わさんと欲すればなり。
現代語訳
昔の学ぶ者は自分のために学んだ。学んだことを自分のものにしたかったからである。「今の学ぶ者は人のために学ぶ」。学んだことを人に見せたかったからである。
解説
論語の「古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」に、程頤が一句ずつ注をつけた形である。為己と為人の違いを、自分のものにしたいか、人に見せたいか、という動機の差に還元している。短いが効き目が強い。学びが評価や資格や肩書きのためになった瞬間、それは為人の学になる。近思録の巻二「為学」は、この一条を含めて、学ぶ構えを繰り返し問い直す巻である。何を学ぶかより、なぜ学ぶかを先に決めよ、という順序がここにある。
この章句が説くこと
古の学者は己の為にす為己の学為人の学学ぶ動機学び学問
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