淇園答要抄録 / 治化は士風を正すを始とすべき事・風俗を正すには上に立つ者の身持ちから
御城下の風俗を正敷被成度思召候に付心付候事も有之候はゞ可申進旨被仰越候承り候、風俗を正敷被成度思召候事誠實に御座候はゞまづ君上の御身持にて御座候、御身持の愼御座候上にて御親族がた何れも御親睦の御心もちに被致申候樣之御仕向け專要に御座候、此所の德義相立不申候ては御家來之風俗を和順にしてしかも行義正敷樣には難成物に御座候、御家來士分の風俗相改り不申候ては其下の民百姓町人の風義決而相改り申間敷候、是も士の心持が町人にては風俗いつ迄も直り不申候、書に堯典に克明俊德以親九族九族既睦平章百姓百姓昭明協和萬邦黎民於變時雍とあり、此百姓といふは百官の事なり、古へは官事を一種の子孫の世々掌る所として相繼で其職を掌どれり、黎の世々天を掌り后稷の子孫世々稼穡の事を掌どれるの類是なり、故に此所に百姓といふは卽ち百官の事に御座候、扨此末に黎民の風俗を正敷するの作爲をいはずして只黎民於變時雍と何かにて民百姓町人の類は古風が改り候得者獨り見倣て正しくなる者なる事明白に御合點參り可申候、
新字:御城下の風俗を正敷被成度思召候に付心付候事も有之候はゞ可申進旨被仰越候承り候、風俗を正敷被成度思召候事誠実に御座候はゞまづ君上の御身持にて御座候、御身持の慎御座候上にて御親族がた何れも御親睦の御心もちに被致申候様之御仕向け専要に御座候、此所の徳義相立不申候ては御家来之風俗を和順にしてしかも行義正敷様には難成物に御座候、御家来士分の風俗相改り不申候ては其下の民百姓町人の風義決而相改り申間敷候、是も士の心持が町人にては風俗いつ迄も直り不申候、書に堯典に克明俊徳以親九族九族既睦平章百姓百姓昭明協和万邦黎民於変時雍とあり、此百姓といふは百官の事なり、古へは官事を一種の子孫の世々掌る所として相継で其職を掌どれり、黎の世々天を掌り后稷の子孫世々稼穡の事を掌どれるの類是なり、故に此所に百姓といふは即ち百官の事に御座候、扨此末に黎民の風俗を正敷するの作為をいはずして只黎民於変時雍と何かにて民百姓町人の類は古風が改り候得者独り見倣て正しくなる者なる事明白に御合点参り可申候、
書き下し
御城下の風俗を正敷被成度思召候に付心付候事も有之候はゞ可申進旨被仰越候承り候、風俗を正敷被成度思召候事誠實に御座候はゞまづ君上の御身持にて御座候、御身持の愼御座候上にて御親族がた何れも御親睦の御心もちに被致申候樣之御仕向け專要に御座候、此所の德義相立不申候ては御家來之風俗を和順にしてしかも行義正敷樣には難成物に御座候、御家來士分の風俗相改り不申候ては其下の民百姓町人の風義決而相改り申間敷候、是も士の心持が町人にては風俗いつ迄も直り不申候、書に堯典に克明俊德以親九族九族既睦平章百姓百姓昭明協和萬邦黎民於變時雍とあり、此百姓といふは百官の事なり、古へは官事を一種の子孫の世々掌る所として相繼で其職を掌どれり、黎の世々天を掌り后稷の子孫世々稼穡の事を掌どれるの類是なり、故に此所に百姓といふは卽ち百官の事に御座候、扨此末に黎民の風俗を正敷するの作爲をいはずして只黎民於變時雍と何かにて民百姓町人の類は古風が改り候得者獨り見倣て正しくなる者なる事明白に御合點參り可申候、
現代語訳
御城下の風俗を正しくしたいとお思いになっているので、気づいたことがあれば申し上げるようにとのお言葉を承りました。風俗を正しくしたいとのお思いが誠実であるなら、まず君上のご自身の身持ちが肝要でございます。ご身持ちに慎みがあったうえで、ご親族の方々がみな親睦の心持ちをもつように、お取り計らいになることが専一でございます。ここの徳義が立たなければ、ご家来の風俗を和順にして、しかも行儀を正しくすることは難しいものでございます。ご家来の士分の風俗が改まらなければ、その下の民・百姓・町人の風義も決して改まらないでしょう。これも、士の心持ちが町人並みでは、風俗はいつまでも直りません。『書経』堯典に「よく俊徳を明らかにして、もって九族に親しみ、九族すでに睦まじく、百姓を平章し、百姓昭明にして、万邦を協和し、黎民は於ああ変わりて時に雍らぐ」とあります。この百姓とは百官のことです。古くは官事を一種の子孫が世々掌るものとして、相継いでその職を掌りました。黎が世々天を掌り、后稷の子孫が世々稼穡のことを掌った類がこれです。ですからここでいう百姓とは、すなわち百官のことでございます。さてこの末に、黎民の風俗を正しくする作為を言わず、ただ「黎民は於ああ変わりて時に雍らぐ」とだけあるのは、民・百姓・町人の類は、古風が改まれば、ひとりでに見習って正しくなる者であることを、明白にご合点いただけるでしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『君子訓』巻之上一身を修むるには、天理と人欲との勝負を試むべし。身を養ふも亦然り。民を治むるには、君子と小人の進むと退くとを以て、治乱を知るべし。一上より利欲を行ひて、下に見せしむれば、臣下も民も皆小人となる。上より礼を好みて下に交れば、臣下も民も君子となる。凡風俗は、皆上よりおこる。上の好む事は、必下にも好んで風俗となる。風とは導き行ふ所なり、俗とは下に習ひて行ふ所なり。
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『淇園答要抄録』・士たるの心得の誤りの事・士は君子の徳を学び、不義を改める天子には天子の任あり諸侯には諸侯の任あり大夫には大夫の任あるをば其別とす、中にも天子は至尊、諸侯は其次なり、天の命を得給ふにあらざれば其位に居る事を不得、大夫は政をとりて民人を安んずるの任にてしかも其材德を以て其位に進むるを得べきを以て、士は常に大夫の位に居る事を得べきの德を其身になすことを道として是を學ぶ、其德は則所謂君子の德也、君子の德の事はなを易論語孟子等にて御考ひ可被成候事也、扨右の如く士は天子諸侯大夫と同じ志の木地なれども、人倫の道には別に大義といふものありて、天命のある所の天子諸侯により仕へて君とせざれば其義を失ふものとなる事なる故に、子路の語に不仕不義といへり、されば義あるに依て君臣たれども其君に命ぜられて取扱ふ所の官事は則其身に付たる天分の事也、易の蠱の卦の上九に不事王侯高尚其事と云へるは則此事にて、王侯の爲に取扱せずして其事は互に天より命ぜられたる事といふべき也、禮の表記にも此語を臣たる道に合せて是を引けるに、後世の儒說には德者の事の樣に說たるは謬說なり、士たるの道如此なる道ゆへに全躰の道理を以ておしていへばいつまでも浪人して仕へぬといふ事はなき筈也、されども是は時と勢とも有事なれば或は一槪にも言難かるべし、扨士たるものゝ子孫世々士たるは農工たるものゝ子孫の世々農工たる如きものなれば、志をば其父祖の業を繼ぎて勉强せざれば叶はぬ事也、其先代の士の道はかゝるものなりとしらざりしは是非もなき事なり、かゝるものとしりたる士にも其非を改めざるは不義の至りなり、不義の至りなる所に身を處する事どもの咎もおそろしき事と可被思召候、
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新語・無為夫れ王者の都、南面の君は、乃ち百姓の法則を取る所の者なり。挙措動作、法度を失う可からず。昔者、周の襄王は後母に事うる能わず、出でて鄭に居る。而して下は多く其の親に叛く。秦の始皇は驕奢靡麗にして、好んで高台榭を作り、宮室を広くす。則ち天下の豪富の屋宅を制する者、之に倣わざる莫く、房闥を設け、廄庫を備え、雕琢刻画の好みを繕い、玄黄琦瑋の色を博くして、以て制度を乱す。斉の桓公は婦人の色を好み、姑姊妹を妻とし、而して国中骨肉に淫する者多し。楚の平王は奢侈縦恣にして、下を制する能わず、民を検するに徳を以てし、駕を増して百馬にして行き、天下の人をして財を饒かにし利を富ましめんと欲す。明らかに及ぶ可からず。是に於て楚国逾々奢り、君臣別無し。故に上の下を化するは、猶お風の草を靡かすがごとし。王者朝に武を尚べば、則ち農夫は田に甲兵を繕う。故に君子の下を御するや、民の奢には応ずるに倹を以てし、驕淫なる者は統ぶるに理を以てす。未だ上仁にして下賊し、譲り行きて路を争う者有らざるなり。故に孔子曰く、「風を移し俗を易う」と。豈に家ごとに人をして之を視さしめんや。亦之を身に取るのみ。
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『童子問』卷中問ふ。国家承平日久しく、人皆安肆にして互ひに奢侈を以て相尚ぶ。其の久しきに及ぶや、習ひて以て風を成し、人其の奢靡たるを知らず。今遽かに節倹を以て之を治めんと欲すれば、則ち恐らくは人の遽かに従ひ難からん。如何。曰く、君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。草之に風を尚ふれば、必ず偃す。民は其の令する所に従はずして、其の好む所に従ふ。顧ふに上の好む所如何に在るのみ。孔子曰く、上礼を好めば、則ち民敢へて敬せざる莫し。上義を好めば、則ち民敢へて服せざる莫し。上信を好めば、則ち民敢へて情を用ひざる莫し、と。皆上の好む所を謹むに在るのみ。上自ら華靡を好みて、下の節倹を欲せば、厳刑峻法以て之を縄すと雖も、而も得べからざるなり。苟も上自ら倹を好めば、則ち令せずして行はる。滕の文公古礼を行はんと欲す。父兄百官皆欲せず。其の卒るや、四方風動するに至り、路に遺ちたるを拾はざるの効有り。故に其の下に令せんと欲せば、則ち須要く其の好む所を謹むべし。上実に節倹を好まば、則ち何ぞ下の従はざるを憂へん。
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『匡正論』・雅俗の本義と士が持つべき志是は正の義より轉じて云たる也、さて俗と云は和訓ならはしと訓ず、說文習也、註に曰俗の言は續也、傳て相習也、上行下效、謂之風、象心安定、謂之俗と云り、又周禮士拘禮、俗註、所行先王の舊禮也、疏云俗者續也、續代不易是知舊禮也、又增韻、上之所化曰風、下之所習曰俗と云、又漢書地理志曰、好惡取捨動靜無常、隨君上之情欲、故謂之俗と云り、されば先王の世にては俗は則雅にして、雅則先王の道なれば、雅俗の差別はなきにや、後世に至りて道衰へ政事の善惡あるに依て、下是を習々して俗をなす故、俗惡む可き者ある也、是に於て雅俗の相反するに至也、夫先王の道は安民の道也、士たる者是を學て治國の補と成らんことを欲するは、則是を天職に供すると云也、故曰不仕無義と、又禮記に男子生れて桑弧蓬矢を作りて天地四方を射て、四方に志あらん事を示すと云るも、男子たるもの、才も不才も仕て國家の役に立ん事を志す、是則道なれば也、然るに今の雅とせる所は逸民遊人の道となるは如何ぞや、士君子たる者より此義を辨知して、其閑暇無事の時は興によりて詩歌及び茶の湯にてもなし、寂寥を散するも又何ぞ害あらんや、つら〱考に、國道なくして有德の君子世に用ひられず、卷て懷にする時に至りて老莊の道及び今の詩茶などの風も括囊の一助となり、是に依て其鬱愠の氣を養ひ其處に安んじ時の禍を免るゝの道ならんが故、人の善惡好惡愼み玉はずんば有可からず、逸民隱士の多は皆世上の然らしむる事なれば、何ぞ先王大雅の政事ありて賢才を擧げ用ひ玉ふならば、自ら逸游の徒も少く、士君子皆仁に志すに至る可し、

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