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淇園答要抄録 / 士たるの心得の誤りの事・刀は士の魂という俗説への批判

士の道如何のものに候哉と御尋ね被仰越候間承申候、まづ今世の士には大方甚敷心得違の事有之候、其故は今は諸國藩中の諸士何れも其先代各相應之武功有之候に付、其子孫其國の祿を世襲して數代勤居候に付面々の心得居申候には、主人の家來たるゆへに士といふものに渡り居ると相心得、又士といふ證據は刀脇ざし二本を腰に橫たへたるが士なりと覺へ居申候、夫ゆへ刀は武士の魂なりなどゝ申笑ふべきの說に有之、天下滔々として大かた右之通り之心得に御座候、是は以の外なる心得の違にて御座候、天より民を生じたるに四つ有之、一に是士二には農三には工四には商なり、農は天下の人の爲に稼穡して穀食をいだし、工は天下の人の爲に造作をなして器物を出し、商は天下の人の爲に貿易して貨財を通ず、然るに士といふもの本より大職なるべき所謂なし、主人の家來たる故に士といふなるは人の奴僕婦妾たるものは皆士なるや、先祖武功有之故に子孫の士たりといふは士の士たる所は先祖に留りて其子孫はたゞ士にあやかりたる物にや、刀は士の魂なりといはゞ刀をさゝずして寐入たるは士の魂はしばらく離れたるといふべきや、人心の內にある魂をば士といふものならば刃物に魂ありといふは其身內の魂ははかなくおもりたる魂にあらずや、是皆愚盲不通の論なるや、事情にも通じたると見ゆる人を夫ゝ連れて刀脇差のこしらへなど格別に立派に拵へ身に取ては專要の事と心得たるものもあるは、世上の流俗につれて止を得ずしてする事もあるべけれども、餘りに淺間敷所存なりとおもはるゝ事ども、或說には士の魂といへるはあてなくして謂にはあらず、士は武を以て暴亂を鎭め殺伐をもつて威を立留る者なり、

新字:士の道如何のものに候哉と御尋ね被仰越候間承申候、まづ今世の士には大方甚敷心得違の事有之候、其故は今は諸国藩中の諸士何れも其先代各相応之武功有之候に付、其子孫其国の禄を世襲して数代勤居候に付面々の心得居申候には、主人の家来たるゆへに士といふものに渡り居ると相心得、又士といふ証拠は刀脇ざし二本を腰に横たへたるが士なりと覚へ居申候、夫ゆへ刀は武士の魂なりなどゝ申笑ふべきの説に有之、天下滔々として大かた右之通り之心得に御座候、是は以の外なる心得の違にて御座候、天より民を生じたるに四つ有之、一に是士二には農三には工四には商なり、農は天下の人の為に稼穡して穀食をいだし、工は天下の人の為に造作をなして器物を出し、商は天下の人の為に貿易して貨財を通ず、然るに士といふもの本より大職なるべき所謂なし、主人の家来たる故に士といふなるは人の奴僕婦妾たるものは皆士なるや、先祖武功有之故に子孫の士たりといふは士の士たる所は先祖に留りて其子孫はたゞ士にあやかりたる物にや、刀は士の魂なりといはゞ刀をさゝずして寐入たるは士の魂はしばらく離れたるといふべきや、人心の内にある魂をば士といふものならば刃物に魂ありといふは其身内の魂ははかなくおもりたる魂にあらずや、是皆愚盲不通の論なるや、事情にも通じたると見ゆる人を夫ゝ連れて刀脇差のこしらへなど格別に立派に拵へ身に取ては専要の事と心得たるものもあるは、世上の流俗につれて止を得ずしてする事もあるべけれども、余りに浅間敷所存なりとおもはるゝ事ども、或説には士の魂といへるはあてなくして謂にはあらず、士は武を以て暴乱を鎮め殺伐をもつて威を立留る者なり、

書き下し

士の道如何のものに候哉と御尋ね被仰越候間承申候、まづ今世の士には大方甚敷心得違の事有之候、其故は今は諸國藩中の諸士何れも其先代各相應之武功有之候に付、其子孫其國の祿を世襲して數代勤居候に付面々の心得居申候には、主人の家來たるゆへに士といふものに渡り居ると相心得、又士といふ證據は刀脇ざし二本を腰に橫たへたるが士なりと覺へ居申候、夫ゆへ刀は武士の魂なりなどゝ申笑ふべきの說に有之、天下滔々として大かた右之通り之心得に御座候、是は以の外なる心得の違にて御座候、天より民を生じたるに四つ有之、一に是士二には農三には工四には商なり、農は天下の人の爲に稼穡して穀食をいだし、工は天下の人の爲に造作をなして器物を出し、商は天下の人の爲に貿易して貨財を通ず、然るに士といふもの本より大職なるべき所謂なし、主人の家來たる故に士といふなるは人の奴僕婦妾たるものは皆士なるや、先祖武功有之故に子孫の士たりといふは士の士たる所は先祖に留りて其子孫はたゞ士にあやかりたる物にや、刀は士の魂なりといはゞ刀をさゝずして寐入たるは士の魂はしばらく離れたるといふべきや、人心の內にある魂をば士といふものならば刃物に魂ありといふは其身內の魂ははかなくおもりたる魂にあらずや、是皆愚盲不通の論なるや、事情にも通じたると見ゆる人を夫ゝ連れて刀脇差のこしらへなど格別に立派に拵へ身に取ては專要の事と心得たるものもあるは、世上の流俗につれて止を得ずしてする事もあるべけれども、餘りに淺間敷所存なりとおもはるゝ事ども、或說には士の魂といへるはあてなくして謂にはあらず、士は武を以て暴亂を鎭め殺伐をもつて威を立留る者なり、

現代語訳

士の道とはどのようなものかとのお尋ねを承りました。まず、今の世の士には、おおかた甚だしい心得違いがございます。その理由は、今は諸国の藩の士たちは、どの家もその先代にそれぞれ相応の武功があるため、その子孫が藩の禄を世襲して数代勤めています。それで各自の心得として、主人の家来であるから士という者に当たるのだと思い、また士である証拠は刀と脇差の二本を腰に差していることだと覚えています。そのため「刀は武士の魂である」などと、笑うべき説を申します。天下はおおかたこの通りの心得でございます。これはもってのほかの心得違いです。天が民を生んだのには四つあり、第一に士、第二に農、第三に工、第四に商です。農は天下の人のために稼穡(耕作)して穀物を出し、工は天下の人のために造作して器物を出し、商は天下の人のために貿易して貨財を通わせます。ところが、士にはもともと大きな職分となるべきいわれがありません。主人の家来であるから士というのなら、人の奴僕や婦妾である者もみな士なのでしょうか。先祖に武功があるから子孫も士だというのなら、士が士である根拠は先祖にとどまり、その子孫はただ士にあやかった者にすぎないのでしょうか。刀は士の魂だというなら、刀を差さずに寝入った場合は士の魂がしばらく離れたと言うのでしょうか。人の心の内にある魂を士というのなら、刃物に魂があると言うのは、その身の内の魂をはかなく軽いものにしていることになりませんか。これはみな愚かで道理に通じない論です。事情に通じていると見える人でさえ、刀脇差の拵えを格別に立派にして、自分にとって専一の大事と心得ている者もいます。世間の流俗に従ってやむを得ずする場合もあるでしょうが、あまりに浅ましい考えだと思われます。ある説では、士の魂と言うのは根拠のないことではなく、士は武によって暴乱を鎮め、殺伐をもって威を立てとどめる者である、

解説

刀は武士の魂という通俗の考えを、淇園は道理に合わないと退けます。主人の家来だから、先祖に武功があるから、刀を差しているから士だという理由では、士の根拠として弱いというのです。農工商がそれぞれ世の役に立つ仕事をしているのに対し、士は何をもって職分とするのかを問い直しています。現代でも、肩書や社歴、過去の実績を拠り所にして管理職の務めを果たした気になることがあります。立場の外見や由来ではなく、今日の自分が組織と周囲にどんな役に立っているかを基準に、自分の務めを見直すことが大切です。

この章句が説くこと

『淇園答要抄録』皆川淇園士の心得四民刀は士の魂職分

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