淇園答要抄録 / 士たるの心得の誤りの事・太平の世の士が衣食を受ける理由
刀劍の勵は其用にあつる專要の器物にて、士は片時も其是を用る事を忘るべからざるとの故に、其處の義を示さんとて士の魂とはいふなりといへり、如此の說の如く暴亂の起るべからず、四海皆德化に歸服して格別の威を立る事も入用なければ、太平の代には士は四民の內の養疣の如くなるものなるは、或はいふ左にはあらず四海の德化に服して靜かなるも武士の武をみがきて威を立る事を忘れざるゆへに其響きが下に答へて自然に暴亂も起らず靜謐なる事を得たるものなりと、此說のいふ所は聞へけるやうなれども夫は假令ば俗家に愛宕山の札を張て火伏せの祈禱をするが如し、此札をはりてあれば長く火災の患ひなしといふ事なれども火災の起るべき時なれば火伏の札は用立べからず、武士武を磨きても君上其德をうしなひ政事に私曲を本として其下民安き所を得ざれば自然一致して蜂起せん、如斯の時に及びては切とも突とも恐るべからず、昔より亂の起りたる代には武士なかりしといふことなければ此說もまた深く思はざるの强說なるべし、まづ右の說は其理あるにもせよ、あても見へざる賣主の如き說を賴みて今日を暮す事相濟ざる事也、今日の農は今日の天下の人の爲に炎天の日にさらされ寒霜をふみこれが食を作り出し、今日の工は今日の天下の爲に手足の力を竭して是が衣服器用を作り出し、今日の商は今日の天下の人のために山海を跋涉してこれが貨財を轉易する事なり、士たるものはひとり今日の食を喰ひ今日の衣を着けるが貨財を只取にして己が如く安樂なるは先祖の功主人の恩澤なりとのみおもひ、
新字:刀剣の励は其用にあつる専要の器物にて、士は片時も其是を用る事を忘るべからざるとの故に、其処の義を示さんとて士の魂とはいふなりといへり、如此の説の如く暴乱の起るべからず、四海皆徳化に帰服して格別の威を立る事も入用なければ、太平の代には士は四民の内の養疣の如くなるものなるは、或はいふ左にはあらず四海の徳化に服して静かなるも武士の武をみがきて威を立る事を忘れざるゆへに其響きが下に答へて自然に暴乱も起らず静謐なる事を得たるものなりと、此説のいふ所は聞へけるやうなれども夫は仮令ば俗家に愛宕山の札を張て火伏せの祈祷をするが如し、此札をはりてあれば長く火災の患ひなしといふ事なれども火災の起るべき時なれば火伏の札は用立べからず、武士武を磨きても君上其徳をうしなひ政事に私曲を本として其下民安き所を得ざれば自然一致して蜂起せん、如斯の時に及びては切とも突とも恐るべからず、昔より乱の起りたる代には武士なかりしといふことなければ此説もまた深く思はざるの強説なるべし、まづ右の説は其理あるにもせよ、あても見へざる売主の如き説を頼みて今日を暮す事相済ざる事也、今日の農は今日の天下の人の為に炎天の日にさらされ寒霜をふみこれが食を作り出し、今日の工は今日の天下の為に手足の力を竭して是が衣服器用を作り出し、今日の商は今日の天下の人のために山海を跋渉してこれが貨財を転易する事なり、士たるものはひとり今日の食を喰ひ今日の衣を着けるが貨財を只取にして己が如く安楽なるは先祖の功主人の恩沢なりとのみおもひ、
書き下し
刀劍の勵は其用にあつる專要の器物にて、士は片時も其是を用る事を忘るべからざるとの故に、其處の義を示さんとて士の魂とはいふなりといへり、如此の說の如く暴亂の起るべからず、四海皆德化に歸服して格別の威を立る事も入用なければ、太平の代には士は四民の內の養疣の如くなるものなるは、或はいふ左にはあらず四海の德化に服して靜かなるも武士の武をみがきて威を立る事を忘れざるゆへに其響きが下に答へて自然に暴亂も起らず靜謐なる事を得たるものなりと、此說のいふ所は聞へけるやうなれども夫は假令ば俗家に愛宕山の札を張て火伏せの祈禱をするが如し、此札をはりてあれば長く火災の患ひなしといふ事なれども火災の起るべき時なれば火伏の札は用立べからず、武士武を磨きても君上其德をうしなひ政事に私曲を本として其下民安き所を得ざれば自然一致して蜂起せん、如斯の時に及びては切とも突とも恐るべからず、昔より亂の起りたる代には武士なかりしといふことなければ此說もまた深く思はざるの强說なるべし、まづ右の說は其理あるにもせよ、あても見へざる賣主の如き說を賴みて今日を暮す事相濟ざる事也、今日の農は今日の天下の人の爲に炎天の日にさらされ寒霜をふみこれが食を作り出し、今日の工は今日の天下の爲に手足の力を竭して是が衣服器用を作り出し、今日の商は今日の天下の人のために山海を跋涉してこれが貨財を轉易する事なり、士たるものはひとり今日の食を喰ひ今日の衣を着けるが貨財を只取にして己が如く安樂なるは先祖の功主人の恩澤なりとのみおもひ、
現代語訳
刀剣の拵えは、その用に当てるための大事な器物であり、士は片時もこれを用いることを忘れてはならない、という理由から、その義を示そうとして士の魂と言うのだ、と言います。このような説のとおり、暴乱が起こるはずもなく、四海がみな徳の教化に従って、格別の威を立てる必要もなければ、太平の世には士は四民の中の養疣(余計なこぶ)のようなものになります。あるいは、そうではない、四海が徳化に従って静かなのも、武士が武を磨いて威を立てることを忘れないからで、その響きが下に応えて、自然と暴乱も起こらず静謐でいられるのだ、と言います。この説の言うところは、もっともらしく聞こえますが、たとえば世間の家で愛宕山の札を貼って火伏せの祈禱をするようなものです。この札を貼っておけば長く火災の心配がないというけれども、火災が起こるべき時には火伏せの札は役に立ちません。武士が武を磨いても、君上がその徳を失い、政事が私曲を本として、下の民が安んじる所を得なければ、自然に一致して蜂起するでしょう。そうなった時には、切ろうとも突こうとも恐れはしません。昔から乱の起こった世に武士がいなかったということはないのですから、この説もまた深く考えない強引な説でしょう。まず、右の説にも理があるとしても、あてにならない売り主のような説を頼みにして今日を暮らすのは、済まないことです。今日の農は今日の天下の人のために炎天にさらされ寒い霜を踏んで食物を作り出し、今日の工は今日の天下のために手足の力を尽くして衣服や器物を作り出し、今日の商は今日の天下の人のために山海を踏み渡って貨財を転換して通わせています。ところが士たる者は、ひとり今日の食を食い今日の衣を着て、貨財をただ取りにして自分のように安楽にしているのは、先祖の功と主人の恩沢のおかげだとばかり思い、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『淇園答要抄録』・士たるの心得の誤りの事・刀は士の魂という俗説への批判士の道如何のものに候哉と御尋ね被仰越候間承申候、まづ今世の士には大方甚敷心得違の事有之候、其故は今は諸國藩中の諸士何れも其先代各相應之武功有之候に付、其子孫其國の祿を世襲して數代勤居候に付面々の心得居申候には、主人の家來たるゆへに士といふものに渡り居ると相心得、又士といふ證據は刀脇ざし二本を腰に橫たへたるが士なりと覺へ居申候、夫ゆへ刀は武士の魂なりなどゝ申笑ふべきの說に有之、天下滔々として大かた右之通り之心得に御座候、是は以の外なる心得の違にて御座候、天より民を生じたるに四つ有之、一に是士二には農三には工四には商なり、農は天下の人の爲に稼穡して穀食をいだし、工は天下の人の爲に造作をなして器物を出し、商は天下の人の爲に貿易して貨財を通ず、然るに士といふもの本より大職なるべき所謂なし、主人の家來たる故に士といふなるは人の奴僕婦妾たるものは皆士なるや、先祖武功有之故に子孫の士たりといふは士の士たる所は先祖に留りて其子孫はたゞ士にあやかりたる物にや、刀は士の魂なりといはゞ刀をさゝずして寐入たるは士の魂はしばらく離れたるといふべきや、人心の內にある魂をば士といふものならば刃物に魂ありといふは其身內の魂ははかなくおもりたる魂にあらずや、是皆愚盲不通の論なるや、事情にも通じたると見ゆる人を夫ゝ連れて刀脇差のこしらへなど格別に立派に拵へ身に取ては專要の事と心得たるものもあるは、世上の流俗につれて止を得ずしてする事もあるべけれども、餘りに淺間敷所存なりとおもはるゝ事ども、或說には士の魂といへるはあてなくして謂にはあらず、士は武を以て暴亂を鎭め殺伐をもつて威を立留る者なり、
-
『淇園答要抄録』・士たるの心得の誤りの事・士の本義は民を安んじること扨其用を爲す處を問へば國中に亂の起りたるときは一番鑓を突主人の馬前にて命を捨て討死をすれば己が身の任は相濟事なりといふて、當今の天下は太平なるにあてもなき兵亂の事を宛にして其時の用ある身なりと誇りのゝしる、是等は其詞に相違あるまじきが我は逃人とはいはれまじき也、何れにもせよあてにもなき兵亂をあてにして其時の用に立ものゆへに今日の衣食を唯取にする事は、假令ば津波のうつ時に此一村の人を舟にて救ふべしといふて山林に養はれて居る船頭の如くなるもの成るべし、さあらば津波の打んときに出來りて救ふべきか、津波の氣も見へざるに空腕をいひて今日の衣食を費す事は、先祖の事は先祖の事にして、今日の所第一は不義なるべし、是等の俗論はみな四民の內の士たる本職を考へて古義を不知してかゝる道理もなき拔句をさゝやきて世を欺き其暮す事になりたる者也、古人の士たる義は左には非ず、論語に子路の問に何如斯可謂之士矣子曰切々偲々怡々如也可謂士矣朋友切々偲々兄弟怡々と答ひ給へり、凡士は四民の一の名なり、天子諸侯大夫皆士なり、天子諸侯大夫は爵位なり、故に儀禮には天子の元子猶子也といへり、猶子とは矢張士なりといふ義也、士の爵位を得ざる木地の所が士といふものにて民を安んずる事を志として其業を事とするもの也、民を安んずるといふことは亂世には干戈矢石を冒し暴惡を禦ぎ伐て民の患難をすくひ治世には其身に義を行ひて三民の表準となる事を心懸るを士といふ、故に朋友には切々として諫め偲々として善く導き兄弟には天倫の和を失はざる事を欲して怡々として虛心にして容受することを務め剛柔に偏ならずして其時宜を行ふゆへに士といふべしと云給へる也、
-
『淇園答要抄録』・士と庶人との道の別の事・常禄のある士が礼で身を修める理由其從ひ行ふ所を己が心にて身分〳〵の相應を見量りて其分を取る事は天下の人々の制望を主る所のもの也、仁義に從へば各其報を得る故に、士は三民よりこれを報じて食邑あらしめまた是が役をとり、三民士より是を報じて是が難を救ひ是をおしへて安からしむ、是天下の人々の利する所也といひ給へり、四民の道元來皆如此なるものなれども、士には常祿有て衣食の憂ひなし、孟子にも無恆產而有恆心唯士爲能といへる是なり、三民は常祿なき故に常ゝ衣食の營みに心身を勞する事也、心身を勞する事を苦しむ故に夫によりて或は仁義の道を忘れて己獨利を專らにせんとする事あり、如此なれば爭亂の生ずる故に士は是を治めて和順する事を敎へ、其おしゆる人に私慾あれば人を敎ゆる事行はれざる故に、常に禮制によりて其身を修する事が入用也、三民は家業に隙なく夫を以て父母妻子を養ふ故に一々禮制に從ふ事不能して只孝悌忠信を失なはざる事を要として其他の制はこれを君上に仰ぎ聽くのみ、これが士と庶人との道の分れなりと可被思召候、
-
『淇園答要抄録』・士たるの道の事・安民を職分とし、恩賞を求めぬ士前書に申進じ候士たるの道詳には有之候得共士たる身分の今日の覺悟如何相心得候はゞ義に當り可申處未だ□と相分り難申に付今一應可申進旨承り候、士たる身は朝夕道義の紛るべきを求め知て夫を我身に行ひて其德を成就して庶民の模範とならん事をのみ心懸候は其身分の當り前にて、假にも其身を安逸にせんとし富貴を羨み貧賤をにくむ心を起すべからず、扨其德を成就する事は勉强して行はざれば成就せず智を弘むる事は學問によらざれば出來難しと可被思召候、士たるの身分の當り前の所元來安民の事が其職分の事にて、主人の申付にて相勤めたるに候得共、功あれば加增恩賞等に預るを心懸る事決して有之間敷事也、後漢の馮異と申將軍は戰勝の功に誇らずして恩賞のとき常ゝ大樹の下に引離れて居たるは右の職分を知れる故なり、尤法とすべき事也、
-
『淇園答要抄録』・士たるの心得の誤りの事・士は君子の徳を学び、不義を改める天子には天子の任あり諸侯には諸侯の任あり大夫には大夫の任あるをば其別とす、中にも天子は至尊、諸侯は其次なり、天の命を得給ふにあらざれば其位に居る事を不得、大夫は政をとりて民人を安んずるの任にてしかも其材德を以て其位に進むるを得べきを以て、士は常に大夫の位に居る事を得べきの德を其身になすことを道として是を學ぶ、其德は則所謂君子の德也、君子の德の事はなを易論語孟子等にて御考ひ可被成候事也、扨右の如く士は天子諸侯大夫と同じ志の木地なれども、人倫の道には別に大義といふものありて、天命のある所の天子諸侯により仕へて君とせざれば其義を失ふものとなる事なる故に、子路の語に不仕不義といへり、されば義あるに依て君臣たれども其君に命ぜられて取扱ふ所の官事は則其身に付たる天分の事也、易の蠱の卦の上九に不事王侯高尚其事と云へるは則此事にて、王侯の爲に取扱せずして其事は互に天より命ぜられたる事といふべき也、禮の表記にも此語を臣たる道に合せて是を引けるに、後世の儒說には德者の事の樣に說たるは謬說なり、士たるの道如此なる道ゆへに全躰の道理を以ておしていへばいつまでも浪人して仕へぬといふ事はなき筈也、されども是は時と勢とも有事なれば或は一槪にも言難かるべし、扨士たるものゝ子孫世々士たるは農工たるものゝ子孫の世々農工たる如きものなれば、志をば其父祖の業を繼ぎて勉强せざれば叶はぬ事也、其先代の士の道はかゝるものなりとしらざりしは是非もなき事なり、かゝるものとしりたる士にも其非を改めざるは不義の至りなり、不義の至りなる所に身を處する事どもの咎もおそろしき事と可被思召候、
-
『明君家訓』第20条(一)古より四民とて、天下の人を士農工商の四色にわかちおき、それ〱に主どる所の職をつけ申事にて候、しかるに、農は耕作をつとめて米穀を出し、工はあるひは梓匠となりて室屋をかまへ、あるひは陶冶となりて器物をつくり、商は賣買をいとなみて有無を通じ、此三民にて天下の用をたし申候、扱、義理と申もの一つをば、士の職と定申事にて候、此義理と申もの、色もなく臭もなきものに候ゆへ、彼三民の所作とは事かはり候て、急度つかさどる人を定申さず候ても、其分の樣に候へ共、此義理の筋目、天下にほろび候ては人に廉恥の心なく成、互に相欺き、たがひに相掠め、をのづから畏憚る所もなく、終には子も父を父とせず、臣も君を君とせず、大亂にも及び申事にて候、それゆへ士と申ものをたてゝ、義理をまもらせ、彼三民の上に置申候、平生手をあそばしめてをりながら、百姓町人を思ふさまにをしさげ候へども、かれらもおそれうやまひ申事は、士は職とする所のたかきゆへにて候、しかるところに、當代士として飽迄利欲にふけり、深く金銀をむさぼり、町人等に對し權柄を以て物をしかすむるともがら有之候、

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る