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淇園答要抄録 / 士たるの心得の誤りの事・士の本義は民を安んじること

扨其用を爲す處を問へば國中に亂の起りたるときは一番鑓を突主人の馬前にて命を捨て討死をすれば己が身の任は相濟事なりといふて、當今の天下は太平なるにあてもなき兵亂の事を宛にして其時の用ある身なりと誇りのゝしる、是等は其詞に相違あるまじきが我は逃人とはいはれまじき也、何れにもせよあてにもなき兵亂をあてにして其時の用に立ものゆへに今日の衣食を唯取にする事は、假令ば津波のうつ時に此一村の人を舟にて救ふべしといふて山林に養はれて居る船頭の如くなるもの成るべし、さあらば津波の打んときに出來りて救ふべきか、津波の氣も見へざるに空腕をいひて今日の衣食を費す事は、先祖の事は先祖の事にして、今日の所第一は不義なるべし、是等の俗論はみな四民の內の士たる本職を考へて古義を不知してかゝる道理もなき拔句をさゝやきて世を欺き其暮す事になりたる者也、古人の士たる義は左には非ず、論語に子路の問に何如斯可謂之士矣子曰切々偲々怡々如也可謂士矣朋友切々偲々兄弟怡々と答ひ給へり、凡士は四民の一の名なり、天子諸侯大夫皆士なり、天子諸侯大夫は爵位なり、故に儀禮には天子の元子猶子也といへり、猶子とは矢張士なりといふ義也、士の爵位を得ざる木地の所が士といふものにて民を安んずる事を志として其業を事とするもの也、民を安んずるといふことは亂世には干戈矢石を冒し暴惡を禦ぎ伐て民の患難をすくひ治世には其身に義を行ひて三民の表準となる事を心懸るを士といふ、故に朋友には切々として諫め偲々として善く導き兄弟には天倫の和を失はざる事を欲して怡々として虛心にして容受することを務め剛柔に偏ならずして其時宜を行ふゆへに士といふべしと云給へる也、

新字:扨其用を為す処を問へば国中に乱の起りたるときは一番鑓を突主人の馬前にて命を捨て討死をすれば己が身の任は相済事なりといふて、当今の天下は太平なるにあてもなき兵乱の事を宛にして其時の用ある身なりと誇りのゝしる、是等は其詞に相違あるまじきが我は逃人とはいはれまじき也、何れにもせよあてにもなき兵乱をあてにして其時の用に立ものゆへに今日の衣食を唯取にする事は、仮令ば津波のうつ時に此一村の人を舟にて救ふべしといふて山林に養はれて居る船頭の如くなるもの成るべし、さあらば津波の打んときに出来りて救ふべきか、津波の気も見へざるに空腕をいひて今日の衣食を費す事は、先祖の事は先祖の事にして、今日の所第一は不義なるべし、是等の俗論はみな四民の内の士たる本職を考へて古義を不知してかゝる道理もなき抜句をさゝやきて世を欺き其暮す事になりたる者也、古人の士たる義は左には非ず、論語に子路の問に何如斯可謂之士矣子曰切々偲々怡々如也可謂士矣朋友切々偲々兄弟怡々と答ひ給へり、凡士は四民の一の名なり、天子諸侯大夫皆士なり、天子諸侯大夫は爵位なり、故に儀礼には天子の元子猶子也といへり、猶子とは矢張士なりといふ義也、士の爵位を得ざる木地の所が士といふものにて民を安んずる事を志として其業を事とするもの也、民を安んずるといふことは乱世には干戈矢石を冒し暴悪を禦ぎ伐て民の患難をすくひ治世には其身に義を行ひて三民の表準となる事を心懸るを士といふ、故に朋友には切々として諫め偲々として善く導き兄弟には天倫の和を失はざる事を欲して怡々として虚心にして容受することを務め剛柔に偏ならずして其時宜を行ふゆへに士といふべしと云給へる也、

書き下し

扨其用を爲す處を問へば國中に亂の起りたるときは一番鑓を突主人の馬前にて命を捨て討死をすれば己が身の任は相濟事なりといふて、當今の天下は太平なるにあてもなき兵亂の事を宛にして其時の用ある身なりと誇りのゝしる、是等は其詞に相違あるまじきが我は逃人とはいはれまじき也、何れにもせよあてにもなき兵亂をあてにして其時の用に立ものゆへに今日の衣食を唯取にする事は、假令ば津波のうつ時に此一村の人を舟にて救ふべしといふて山林に養はれて居る船頭の如くなるもの成るべし、さあらば津波の打んときに出來りて救ふべきか、津波の氣も見へざるに空腕をいひて今日の衣食を費す事は、先祖の事は先祖の事にして、今日の所第一は不義なるべし、是等の俗論はみな四民の內の士たる本職を考へて古義を不知してかゝる道理もなき拔句をさゝやきて世を欺き其暮す事になりたる者也、古人の士たる義は左には非ず、論語に子路の問に何如斯可謂之士矣子曰切々偲々怡々如也可謂士矣朋友切々偲々兄弟怡々と答ひ給へり、凡士は四民の一の名なり、天子諸侯大夫皆士なり、天子諸侯大夫は爵位なり、故に儀禮には天子の元子猶子也といへり、猶子とは矢張士なりといふ義也、士の爵位を得ざる木地の所が士といふものにて民を安んずる事を志として其業を事とするもの也、民を安んずるといふことは亂世には干戈矢石を冒し暴惡を禦ぎ伐て民の患難をすくひ治世には其身に義を行ひて三民の表準となる事を心懸るを士といふ、故に朋友には切々として諫め偲々として善く導き兄弟には天倫の和を失はざる事を欲して怡々として虛心にして容受することを務め剛柔に偏ならずして其時宜を行ふゆへに士といふべしと云給へる也、

現代語訳

そのうえで、士の働く場を問えば、国中に乱が起こった時には一番槍を突き、主人の馬前で命を捨てて討死すれば、自分の任は済むのだと言います。そして、今の天下は太平であるのに、あてもない兵乱を当てにして、その時に役立つ身だと誇り、ののしります。こうした者たちは、その言葉に違いはないのでしょうし、自分は逃げる人とは言われないでしょう。いずれにせよ、あてにもならない兵乱を当てにして、その時の用に立つ者だからといって今日の衣食をただ取りにするのは、たとえば津波が打つ時にこの村の人を舟で救うと言いながら、山林に養われている船頭のようなものでしょう。それなら、津波が打つ時に出て来て救うでしょうか。津波の気配も見えないのに空腕を言って今日の衣食を費やすことは、先祖のことは先祖のこととして、今日においては第一の不義でしょう。こうした俗論はみな、四民の内の士の本職を考えて古い義を知らず、道理もないこのような抜け句をささやいて世を欺き、その暮らしを立てることになった者のものです。古人の士の義はそうではありません。『論語』で子路が「どのようであれば士と言えますか」と問うと、孔子は「切々偲々、怡々如たる、士と言うべし」と答え、「朋友には切々偲々、兄弟には怡々」と言われました。そもそも士は四民の一つの名です。天子・諸侯・大夫もみな士です。天子・諸侯・大夫は爵位です。だから『儀礼』には「天子の元子もなお士である」とあり、猶士とは、やはり士だという意味です。士の爵位を得ない素の所が士というものであり、民を安んじることを志として、その業を事とする者です。民を安んじるとは、乱世には干戈矢石を冒して暴悪を防ぎ、討って民の患難を救い、治世にはその身で義を行って三民(農工商)の手本となることを心がけることで、それを士というのです。だから朋友には切々として諫め、偲々として善く導き、兄弟には天倫の和を失わないことを望んで、怡々として虚心に受け入れることに努め、剛にも柔にも偏らずその時宜にかなう行いをするから士と言ってよい、と言われたのです。

解説

淇園は、有事に討死するから平時の衣食を受けてよいという理屈を、津波の時に救うと言って山で養われる船頭にたとえて批判します。そして論語を引き、士の本義は民を安んじることだと説きます。乱世には危難から民を守り、治世にはわが身で義を行って手本となる、友には諫めて導き、兄弟とは和して受け入れる、という姿です。管理職に置き換えれば、非常時の備えを語るだけでなく、平時の行いで部下や同僚の手本となり、率直に助言しつつ相手の言葉も受け止めることが士に通じる務めです。

この章句が説くこと

『淇園答要抄録』皆川淇園士の本義論語子路安民

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