淮南子 / 兵略訓
諸有象者,莫不可勝也;諸有形者,莫不可應也。是以聖人藏形于無,而游心於虛。風雨可障蔽,而寒暑不可開閉,以其無形故也。夫能滑淖精微,貫金石,窮至遠,放乎九天之上,蟠乎黃盧之下,唯無形者也。善用兵者,當擊其亂,不攻其治,是不襲堂堂之寇,不擊填填之旗。容未可見,以數相持,彼有死形,因而制之。敵人執數,動則就陰,以虛應實,必為之禽。虎豹不動,不入陷阱;麋鹿不動,不離罝罘;飛鳥不動,不絓網羅;魚鱉不動,不擐蜃喙。物未有不以動而制者也。
新字:諸有象者,莫不可勝也;諸有形者,莫不可応也。是以聖人蔵形于無,而游心於虚。風雨可障蔽,而寒暑不可開閉,以其無形故也。夫能滑淖精微,貫金石,窮至遠,放乎九天之上,蟠乎黄盧之下,唯無形者也。善用兵者,当擊其乱,不攻其治,是不襲堂堂之寇,不擊填填之旗。容未可見,以数相持,彼有死形,因而制之。敵人執数,動則就陰,以虚応実,必為之禽。虎豹不動,不入陥阱;麋鹿不動,不離罝罘;飛鳥不動,不絓網羅;魚鱉不動,不擐蜃喙。物未有不以動而制者也。
書き下し
諸の象有る者は、勝つ可からざる莫し。諸の形有る者は、應ず可からざる莫し。是を以て聖人は形を無に藏して、心を虛に游ばす。風雨は障蔽す可くして、寒暑は開閉す可からず。其の無形なるを以ての故なり。夫れ能く滑淖精微にして、金石を貫き、至遠を窮め、九天の上に放り、黃盧の下に蟠るは、唯だ無形なる者のみなり。善く兵を用うる者は、當に其の亂を擊ちて、其の治を攻めざるべし。是れ堂堂の寇を襲わず、填填の旗を擊たざるなり。容 未だ見る可からざれば、數を以て相い持す。彼に死形有らば、因りて之を制す。敵人 數を執らば、動けば則ち陰に就く。虛を以て實に應ずれば、必ず之が禽と爲る。虎豹 動かざれば、陷阱に入らず。麋鹿 動かざれば、罝罘を離れず。飛鳥 動かざれば、網羅に絓からず。魚鱉 動かざれば、蜃喙を擐かず。物 未だ動くを以て制せられざる者有らざるなり。
現代語訳
かたちの見えるものは、勝てないものがない。形のあるものは、応じられないものがない。だから聖人は形を無の中に蔵し、心を虚に遊ばせる。風雨は遮ることができるが、寒暑は開け閉めできない。かたちがないからである。滑らかに細やかに、金や石を貫き、至って遠くまで届き、九天の上に放たれ、地の底に蟠るのは、かたちのないものだけである。よく兵を用いる者は、乱れているところを打ち、治まっているところを攻めない。堂々とした敵を襲わず、整然と立つ旗を打たない。相手の姿がまだ見えなければ、数によって持ちこたえる。相手に死ぬかたちが現れれば、それに乗じて制する。敵が数を執っていれば、動けば陰に落ちる。虚のまま実に応じれば、必ず捕らえられる。虎や豹も動かなければ落とし穴に落ちない。鹿も動かなければ網から離れられない。飛ぶ鳥も動かなければ網にかからない。魚やすっぽんも動かなければ蜃の口にかからない。動くことによって制せられなかったものはない。
解説
この章句が説くこと
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