淮南子 / 兵略訓
今使兩人接刃,巧詘不異,而勇士必勝者,何也?其行之誠也。夫以巨斧擊桐薪,不待利時良日而後破之。加巨斧於桐薪之上,而無人力之奉,雖順招搖,挾刑德,而弗能破者,以其無勢也。故水激則悍,矢激則遠。夫栝淇衛箘簵,載以銀錫,雖有薄縞之幨,腐荷之矰,然猶不能獨射也。假之筋角之力,弓弩之勢,則貫兕甲而徑於革盾矣。夫風之疾,至於飛屋折木,虛舉之下大遲,自上高丘,人之有所推也。是故善用兵者,勢如決積水於千仞之堤,若轉員石於萬丈之溪,天下見吾兵之必用也,則孰敢與我戰者!故百人之必死也,賢于萬人之必北也。況以三軍之眾,赴水火而不還踵乎!雖誂合刃於天下,誰敢在於上者!
新字:今使両人接刃,巧詘不異,而勇士必勝者,何也?其行之誠也。夫以巨斧擊桐薪,不待利時良日而後破之。加巨斧於桐薪之上,而無人力之奉,雖順招揺,挟刑徳,而弗能破者,以其無勢也。故水激則悍,矢激則遠。夫栝淇衛箘簵,載以銀錫,雖有薄縞之幨,腐荷之矰,然猶不能独射也。仮之筋角之力,弓弩之勢,則貫兕甲而径於革盾矣。夫風之疾,至於飛屋折木,虚舉之下大遅,自上高丘,人之有所推也。是故善用兵者,勢如決積水於千仞之堤,若転員石於万丈之渓,天下見吾兵之必用也,則孰敢与我戦者!故百人之必死也,賢于万人之必北也。況以三軍之眾,赴水火而不還踵乎!雖誂合刃於天下,誰敢在於上者!
書き下し
今 兩人をして刃を接せしむるに、巧詘 異ならずして、勇士 必ず勝つ者は、何ぞや。其の行うこと之れ誠なればなり。夫れ巨斧を以て桐薪を擊つに、利時良日を待ちて而る後に之を破らず。巨斧を桐薪の上に加えて、人力の奉ずる無ければ、招搖に順い、刑德を挾むと雖も、而も破る能わざる者は、其の勢無きを以てなり。故に水 激すれば則ち悍く、矢 激すれば則ち遠し。夫れ栝淇衛箘簵、載するに銀錫を以てするも、薄縞の幨、腐荷の矰有りと雖も、然れども猶お獨り射る能わざるなり。之に筋角の力、弓弩の勢を假れば、則ち兕甲を貫きて革盾を徑るなり。夫れ風の疾きは、屋を飛ばし木を折るに至る。虛舉の下は大いに遲し。高丘より上るは、人の推す所有ればなり。是の故に善く兵を用うる者は、勢 積水を千仞の堤に決するが如く、員石を萬丈の溪に轉ずるが若し。天下 吾が兵の必ず用いらるるを見れば、則ち孰か敢えて我と戰わん者あらんや。故に百人の必死は、萬人の必北に賢る。況んや三軍の眾を以て、水火に赴きて踵を還さざるをや。天下に誂いて刃を合わすと雖も、誰か敢えて上に在らんや。
現代語訳
いま二人に刃を交えさせるとき、技の巧拙が変わらないのに勇士が必ず勝つのはなぜか。その行いにまことがあるからである。大きな斧で桐の薪を打つのに、吉日を待ってから割るのではない。大きな斧を桐の薪の上に置いておいて、人の力が加わらなければ、星回りに従い暦の吉凶を携えていても割れないのは、勢いがないからである。だから水は激すれば荒々しく、矢は激すれば遠くへ飛ぶ。良質の矢柄に銀や錫を載せても、薄絹の的や腐った蓮の矢しかなければ、それだけでは射られない。筋や角の力、弓や弩の勢いを借りれば、犀の鎧を貫き革の盾を通す。風の激しいものは、家を飛ばし木を折るに至る。空中で持ち上げるのはひどく遅い。高い丘から下ってくるのは、人が押すものがあるからである。だからよく兵を用いる者の勢いは、千仞の堤に溜めた水を切り落とすようであり、万丈の谷に丸い石を転がすようである。天下がこちらの兵が必ず用いられると見れば、誰が敢えて戦おうとするだろう。だから百人が必死であるほうが、万人が必ず逃げるのに勝る。まして三軍の兵が、水火に飛び込んで踵を返さないならなおさらだ。天下に挑んで刃を交えても、誰が上に立てよう。
解説
この章句が説くこと
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