五輪書 / 水の巻
秋猴の身とは手を出さぬ心也敵へ入身に少しも手を出す心なく敵打前身をはやく入心也手を出さんと思へば必ず身の遠のくものなるに依て惣身をはやくうつり入心也手にて受合する程の間には身も入やすきもの也能々吟味すべし
書き下し
秋猴(しうこう)の身とは、手を出さぬ心なり。敵へ入身(いりみ)に、少しも手を出す心なく、敵打つ前、身をはやく入るる心なり。手を出さんと思へば、必ず身の遠のくものなるに依て、惣身(そうみ)をはやくうつり入るる心なり。手にて受け合ふする程の間(あひだ)には、身も入りやすきものなり。能々(よくよく)吟味すべし。
現代語訳
「秋猴(しゅうこう)の身」とは、手を出さない心持ちである。敵へ踏み込んで入るとき、少しも手を出す気を起こさず、敵が打ってくる前に、体を素早く入れる心持ちだ。手を先に出そうと思うと、必ず体が(その分)遠のいてしまう。だから手のことは考えず、全身を素早く移して入る心持ちである。手で受け合いをするくらいの間合いなら、体もそのまま入りやすいものだ。よくよく吟味すべきである。
解説
「秋猴の身」(手の短い猿の身、の意とされる)を説く一段で、「手を出さない」ことによってかえって深く踏み込めるという逆説を教えます。人はつい手を先に伸ばそうとするが、手を出そうとすると、その意識と動きに引かれて体が遅れ、遠のいてしまう。だから手のことは忘れて、全身を丸ごと素早く敵へ入れる。手先の小さな動きに気を取られず、体幹ごと踏み込む方が、結果的に深く速く入れる、というのです。これは、部分(手先)にとらわれず全体(全身)で動くという武蔵の一貫した身体観の表れです。目先の小さな手出しに気を奪われると肝心の全身の踏み込みが遅れる――本質的な一歩を、枝葉の動きで妨げるな、という教えとして、仕事の踏み込みどころにも通じます。
この章句が説くこと
秋猴の身手を出さない全身で入る部分より全体踏み込み逆説
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