肝要工夫録 / 時・所・位
時とは千年跡、百年跡、十年跡、今といふ樣に、其時々の事なり。所とは唐、天竺、日本、また日本の內にても、上方、關東、奥州といふことにて、その所々をいふなり。位とは、高官、中官、下官の事にて、その位々をいふなり。さて身を修むるの工夫、己に克ちて禮に復ること肝要にて、五倫五常の道は、唐も、日本も、昔も、今も、高位高官も、武士も、商人も、かはる事なけれども、今日行ふところの禮法に於ては、古と今はかはり、唐と日本はかはり、高貴と下賤とは替る事にて、精しくいへば、十年跡と今年とのかはりもあり、京都と江戶のかはりもあり、諸大夫と布衣とのかはりあることとなり。論語に、顏子が邦をおさむることを伺ひしに、夏の時を行へ、殷の輅に乘れ、周の冕を服せよとの敎もあることとなるに、名聞學問の徒は、琴柱に膠するの類にて、日本に居て、唐の眞似をしたり、百年千年跡の禮を手柄らしく行ひたり、下賤の身として高貴の眞似をしたり抔するの類も多し。今の御代、上よりの御敎は、武家諸法度の御條目なり。
新字:時とは千年跡、百年跡、十年跡、今といふ様に、其時々の事なり。所とは唐、天竺、日本、また日本の内にても、上方、関東、奥州といふことにて、その所々をいふなり。位とは、高官、中官、下官の事にて、その位々をいふなり。さて身を修むるの工夫、己に克ちて礼に復ること肝要にて、五倫五常の道は、唐も、日本も、昔も、今も、高位高官も、武士も、商人も、かはる事なけれども、今日行ふところの礼法に於ては、古と今はかはり、唐と日本はかはり、高貴と下賤とは替る事にて、精しくいへば、十年跡と今年とのかはりもあり、京都と江戸のかはりもあり、諸大夫と布衣とのかはりあることとなり。論語に、顔子が邦をおさむることを伺ひしに、夏の時を行へ、殷の輅に乗れ、周の冕を服せよとの教もあることとなるに、名聞学問の徒は、琴柱に膠するの類にて、日本に居て、唐の真似をしたり、百年千年跡の礼を手柄らしく行ひたり、下賤の身として高貴の真似をしたり抔するの類も多し。今の御代、上よりの御教は、武家諸法度の御条目なり。
書き下し
時とは千年跡、百年跡、十年跡、今といふ樣に、其時々の事なり。所とは唐、天竺、日本、また日本の內にても、上方、關東、奥州といふことにて、その所々をいふなり。位とは、高官、中官、下官の事にて、その位々をいふなり。さて身を修むるの工夫、己に克ちて禮に復ること肝要にて、五倫五常の道は、唐も、日本も、昔も、今も、高位高官も、武士も、商人も、かはる事なけれども、今日行ふところの禮法に於ては、古と今はかはり、唐と日本はかはり、高貴と下賤とは替る事にて、精しくいへば、十年跡と今年とのかはりもあり、京都と江戶のかはりもあり、諸大夫と布衣とのかはりあることとなり。論語に、顏子が邦をおさむることを伺ひしに、夏の時を行へ、殷の輅に乘れ、周の冕を服せよとの敎もあることとなるに、名聞學問の徒は、琴柱に膠するの類にて、日本に居て、唐の眞似をしたり、百年千年跡の禮を手柄らしく行ひたり、下賤の身として高貴の眞似をしたり抔するの類も多し。今の御代、上よりの御敎は、武家諸法度の御條目なり。
現代語訳
時とは、千年前、百年前、十年前、今というように、その時々のことです。所とは、唐、天竺、日本、また日本の内でも上方、関東、奥州ということで、その所々をいいます。位とは、高官、中官、下官のことで、その位々をいいます。さて、身を修める工夫は、己に克って礼に復ることが肝要で、五倫五常の道は、唐も日本も、昔も今も、高位高官も武士も商人も変わることはありませんが、今日行う礼法においては、昔と今は異なり、唐と日本は異なり、高貴と下賤とは異なります。詳しくいえば、十年前と今年とのちがいもあり、京都と江戸のちがいもあり、諸大夫と布衣とのちがいもあります。『論語』に、顔子が国を治めることを尋ねたとき、「夏の暦を用い、殷の輅に乗り、周の冕を着けよ」との教えがあるのに、名聞の学問の徒は、琴柱に膠するたぐいで、日本にいて唐の真似をしたり、百年千年前の礼を手柄らしく行ったり、下賤の身として高貴の真似をしたりするなど、多くいます。今の御代、上からの御教えは、武家諸法度の御条目です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『肝要工夫録』・身分相応の礼義その第一に文武忠孝を勵まし、禮義を正すべき事とある、其禮義は、日本の禮義にて、いかにも上の御示にしたがひ、御旗本は御旗本らしく、御家人は御家人らしく、百姓は百姓らしく、商人は商人らしきがよきなり。然るを、學者なりとて、常に唐人の眞似をし、あまつさへ、親兄抔の葬式も儒葬などにして、臥棺の類に物入をかけ、酒肉を備へ、第一の哀戚の情は脇へ除け置きて、浮屠を散々にそしり抔する者も、まゝあることにて、笑止の事なり。すでに上にて兩山を建て置かれ、御法事その外皆佛法を御取用あることなれば、たとへ、佛法を信ぜざればとても、上の御敎に從ふべき事、第一の禮義なる事を知らず、これみな時所位を知らざる學者の失なり。(儒者などにて、其道を以て事ふる者は、格別の事なり。)又無學のものは、武士が藝者、河原ものゝ眞似をしたり、商人が武士の眞似をしたり、百姓が江戶者の眞似をしたりするは、みな時所位を知らざるの失なり。されば實學に志し、唯だ日用時所位にかなふ處を工夫すべし、是は國を治め、家を齊へ、身を修むるの肝要なるべし。
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『慎思録』巻之三綱常倫理は、天下の常経なり。万世に亘り四夷に通じて、変易すべからず。若し夫れ礼法制度は、古今宜を異にし、華夷俗を殊にする有り。時に随ひ処に随ひて、相同じからざる者は、自然の理なり。故に天下の事、固より古に行ふべくして、復た今に行ふべき者有り。又古に行ふべくして、今に行ふべからざる者有り。中華に行ふべくして、復た本邦に行ふべき者有り。中華に行ふべくして、本邦に行ふべからざる者有り。古今華夷の宜を異にすること此の如し。然らば則ち今の制行する者は、須らく古今華夷の宜と否とを斟酌して、之を去取すべし。是れ時宜を知ると為すべし。苟も時俗土地の宜しき所を測らずして、妄りに中華の古礼を執りて、之を本邦の今世に行はんと欲するは、譬へば舟車の水陸に宜を異にし、裘葛の冬夏に用を殊にするを知らざるが如し。固陋の甚しきなり。是れ道の行はれ難き所以なり。
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『慎思録』巻之六時に随ひて宜しきを制すれば、則ち拘泥の患ひ無し。今人も亦頗る此の道に志す者有り。然り而して見識蔽固にして、執滞して通ぜず。今世に生まれて古礼に泥み、時に随ひて宜しきを制すること能はず、動もすれば風俗時宜と相乖戻す。人或は以て猖狂と為す。儒者の道、豈に此くの如くなるべけんや。蓋し君子の世に処するや、須らく同じくして異なるべし。其の学を為すや須らく純正にして通達なるべし。
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『肝要工夫録』・五倫は五教前にいふ所の道を行ふ事は、只だ五倫の外に出でず。父子の間柄を親といひ、君臣に義といひ、夫婦に別といひ、長幼に序といひ、朋友に信といふ。この親義別序信の五は、古しへ聖人の天下に敷き施し給へる敎にて、すべての人、これによりて行ふべき道なれば、之を五敎といふて、上下一同に學ばざればならぬことなり。その五つの敎といふは、たがひに調和して、道に合ふの仕形なり。その仕形といふは、父子の間なれば、父は道理を以て子を愛し、子は父に孝を盡くす事のよく調ひたるをいふ。義別序信もみな互に敎のごとく、その道のとゝのひ和合するの名なり。さて其父が子を愛するも、子が父に孝をするも、君の臣を使ふも、臣が君に事ふるも、朋友に交るにも、夫婦の間も、皆人々氣質のあるものなれば、肉身を目當にすれば、子が孝をつくしても父喜ばず、却つて怒れる事もあれば、終に父を恨むに至る。父愛を以て子を敎育すれども、不孝なれば、子を憎み、臣が忠を盡しても、君の仕方あしければ、かくはなき筈をと思ふ所より、不忠にもなり、五倫の間、かく調ひかぬる者は、互に只だ肉身を目當にする故なり。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一世に交るには、和して流れざるをよしとす。和すれば人にそむかず。流れざれば道を失はず。是世にまじはる、よき程の中道なり。一五常五倫の道は、古今和漢同じ。若時により、所によりてかはらば、誠の道にあらず。法は時により、所によりて、よろしきと宜しからざる事ある故に、古今和漢異なり。その国の礼法に背くべからず。国法にそむきて、古の礼法を行ふは、道にそむけり。但古の礼法の中に、国法に背かずして、今の世に行ひて宜しき事は行ふべし。もろこしの古の礼法なりとて、今の世の時宜にかなはずば行ふべからず。
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『翁問答』下卷之末之末儒書にのする所の礼儀作法は、時により所により人によりて、その儘は行はれぬものにて候、儒書にのする所の礼儀作法は大方周の代の制作なり、此礼儀作法をすこしもちがへず、只今日本にて位なきものが取おこなふ事は成がたし、たとひ位有人の取おこなふともすこしづゝ損益せずしてはおこなはれぬ道理なり、伏犠より周の代まで代々の聖人制作したまふ礼儀作法、その時代にはよく相応して中庸の儒法なれ共、代かはり時うつりては大過不及の弊ありて、損益なくてはかなはぬ事なり、しかる故に万世通用の定法はすくなし、前かどにも論ずるごとく、礼儀作法は時により処により人によりてかはるものなれば、一しなの礼法になづむをば、欣真落法とて大にきらふ事なり殷の代には夏の代の礼儀作法をあらため損益し周の代にはまた殷の代の礼儀作法をあらため損益したまふにて得心あるべし、

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