肝要工夫録 / 功過格を記す
附、日々に善を積むの工夫は、功過格を記すにしくはなし。功過格とは、日々の行の善惡を記す事にて、善事は○を書し、過は●を記すなり。此通に、日々心掛るときは、○を積むにしたがひて、天より福のむくひあり、●多きときは、天より禍の咎あることを知るべし。個樣に心懸くるときは、日々の行、いかにも深切になりて、善に進むの功あることとなり、(功過格の事は、和語陰隲錄、功過自知錄等に精しければ、この二書を熟覽して、かならず功過格を記すべき事なり。)
新字:附、日々に善を積むの工夫は、功過格を記すにしくはなし。功過格とは、日々の行の善悪を記す事にて、善事は○を書し、過は●を記すなり。此通に、日々心掛るときは、○を積むにしたがひて、天より福のむくひあり、●多きときは、天より禍の咎あることを知るべし。個様に心懸くるときは、日々の行、いかにも深切になりて、善に進むの功あることとなり、(功過格の事は、和語陰隲録、功過自知録等に精しければ、この二書を熟覧して、かならず功過格を記すべき事なり。)
書き下し
附、日々に善を積むの工夫は、功過格を記すにしくはなし。功過格とは、日々の行の善惡を記す事にて、善事は○を書し、過は●を記すなり。此通に、日々心掛るときは、○を積むにしたがひて、天より福のむくひあり、●多きときは、天より禍の咎あることを知るべし。個樣に心懸くるときは、日々の行、いかにも深切になりて、善に進むの功あることとなり、(功過格の事は、和語陰隲錄、功過自知錄等に精しければ、この二書を熟覽して、かならず功過格を記すべき事なり。)
現代語訳
付けたり。日々に善を積む工夫は、功過格を記すのに及ぶものはありません。功過格とは、日々の行いの善悪を記すことで、善事は○を書き、過ちは●を記します。このように日々心掛けるときは、○を積むにしたがって、天から福の報いがあり、●が多いときは、天から禍の咎があると知るべきです。このように心掛けるときは、日々の行いがいかにも親切になり、善に進む功があることになります。(功過格のことは、『和語陰隲録』『功過自知録』などに詳しいので、この二書をよく熟覧して、必ず功過格を記しなさい。)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『肝要工夫録』・善の種を蒔く陰德あれば陽報ありといへる事、誰もいふ事にて、人の知らざる慈悲、惠あれば、人も知りてうらやむ程の福の報ふこととなり。聖人の敎にも、善を積むの家には餘んの慶あり、不善を積の家には餘んの殃あり、と。また善を作せば、天より百の祥を降し、不善を作せば天より百の殃を降すともあり。禍福ともにみな己より求むるところなり。たとへば、草木の種を植ゆるに、かならずその草木を生ず。善を蒔けば福を生じ、惡を植ゆればわざわひを生ずること、また同じ。小人の惡をなして福の來たらむ事を欲するは、茄子を植ゑて瓜の生ぜむことを欲し、豆を植ゑて麥の生ぜむことを欲するよりも甚し。さればこそ、福をねがはゞ、出精して善のたねを植ゑべし、然れども、人として人たるの道を行ひ、善を積むこと、福をもとむるの爲にあらず、論語にも、耕やうへ其中にあるの敎あれども、凡人は目あてなければ怠るものなれば、福をまねくことを目當として善を行ふも、亦た善に勸むの工夫なるべし。
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『肝要工夫録』・善悪が禍福を呼ぶ人たる者、一寸の善事を行へば、一寸の福を命じ、一寸の惡事を行へば、一寸の禍を命ず。是れ人々の行ふ處に依つて、天より禍福を命じ給ふ筈にて、譬へば童の手習するが如し、能く出來ると惡く出來るとは、習ふ者の出精不精にあることにて、天命は手習師匠の點をかけたり、直したりするが如し。世人富貴を願はざるものはなし。然れども、之を願ふのみにて、人たるの道を行はず、恣にするは、孟子の所謂木によつて魚を求めむことを欲し、又素を喰ふて病を愈さむとするが如し、何ぞ天より是に福を與へむや。こゝを以て、天命を知ること肝要なるべし。
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『肝要工夫録』・暗闇の盗人の歌くらやみの、よくみてゐるを、知らずして、寶とられに、はいる盜人。日夜の行、天神鬼神の見聞をおそれて、人なき所、暗所といへども、自らかへりみて、心に恥づることあらば、いさゝかの事といへども、堅固に愼み謹むべきこと、肝要の工夫なり。道歌に、愼みを、人の心の、根とすれば、言葉の花も、まことにぞ咲く。
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『肝要工夫録』・金より陰徳を遺すしらずして、なす陰德が、陰德ぞ、知つてつとめて、なすも陰德。司馬溫公の語に、金を積みて子孫に殘し與ふるとも、子孫よく其富を守り保つことあたはぬものなり。又書籍を積みて子孫に與ふるとも、子孫よく讀みて其義理を辨ふることあたはぬものなり。然れば、金銀や書物を殘し與へむよりは、陰德とて人にも知らさぬ名聞をはなれたる善事をなして、冥々とおくぶかき至誠のうちに積み藏めば、子孫長かるべし。我は此長久の計をせむといへり。實に深切のをしへなり。和漢ともに先祖父母の仁惠により、子孫數百年繁昌し、吝嗇にして金銀を貯へぬれば、財寶多き故、子孫心得違出來て、家も亡ぼし、其身も亡ぼすもの多し、善惡の報、子孫におよぶ事を深く考へ、積善の賜あるべき事、肝要の工夫なり。
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『了凡四訓』立命之學・積善の家には必ず餘慶有り「易は君子の為に謀り、吉に趨き凶を避く。若し天命常有りと言はば、吉何ぞ趨くべけん。凶何ぞ避くべけん。開章第一義に、便ち說く『積善の家には、必ず餘慶有り』と。汝信じ得るや否や」と。 余、其の言を信じ、拜して教へを受く。因りて往日の罪を將て、佛前に盡情に發露し、疏一通を為り、先づ登科を求む。誓ひて善事三千條を行ひ、以て天地祖宗の德に報いんとす。 雲谷、功過格を出だして余に示し、行ふ所の事を、日を逐ひて登記せしむ。善は則ち數を記し、惡は則ち退除す。且つ準提咒を持することを教へ、以て必ず驗あらんことを期す。
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『肝要工夫録』・独りを慎む古語に不愧屋漏則心安而體舒とありて、家の片隅などの人見ざるくらき所にてをこなひなす事、又こゝろに獨り思ふ事にても、みづから顧みて、少しも心に恥づる事なく、たとへ多くの人前に出すとも、恥づることなきやうにあれば、いつも心安樂に身體ものび〱として、是程快然たるはなきことなり。人が見聞せざるとて、たゞ私欲の爲に手前勝手のをこなひをなし、道に背くことは、小人の常にして、其不善を揜ひて、言葉に取かざりなどいひ、其快からざることをするは愚なる事なり。是等の仕業は揜ひても、其肺肝までも見ゆるごとくにて、殊に天道はなほ明らかに知り玉ふ事なり。古語に天の聞くこと雷のごとく、天のみること電のごとしといふて、人は知るまひ見まひと思ふても、天の見聞し玉ふことすみやかなれば、不善を行ふ者には、目前に天より禍を降し玉ふことなり。歌道に、

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