肝要工夫録 / 古参の不足を戒める
今の人、何御役にても古るく勤めて轉役なきときは、不足をいふ者あり、是れ大なる心得違なり、篤と考へ見るべき事なり。不肖の身にも御役おふせ蒙り、人の尊敬をうけ用ひらるゝこと、これ君の御めぐみにて、一年〱に御恩を蒙ること厚ければ、年を經るにしたがひ、寄合、小普請に仰せ付られても、有がたき事なり。また持高よきものも寄合、小普請、御番などにて居る中に、御足高を頂戴して、御役など勤むる人は、不肖の身にて、別段の御足高も下され、人にも尊敬されて、夫ほどの御爲にも成らずして、年々に結構につとむること、誠に年を累ぬるに從ひて、いよ〱御恩增長し、十年も勤めたらむ者は、今までの御足高の代りに、減祿小普請人に仰つけられてもよき筈なることとなり。然るを古るく勤めさせ給ふさへも、莫大の御褒美なるに、また相應の御褒美、場所へ轉役も仰せ付けらるゝ程の有難き御治世なるに、手前より古るくなれば轉役もある筈のことにおもふは、餘りをろかにして、勿體なきことなり。唯だ常〻御厚恩のありがたきを忘れず、我を忘れて忠勤すべきこと肝要なり。しかれども、またおの〱昇進せむことをねがふも、仕官する者の習なり。ある人の句に、
新字:今の人、何御役にても古るく勤めて転役なきときは、不足をいふ者あり、是れ大なる心得違なり、篤と考へ見るべき事なり。不肖の身にも御役おふせ蒙り、人の尊敬をうけ用ひらるゝこと、これ君の御めぐみにて、一年〱に御恩を蒙ること厚ければ、年を経るにしたがひ、寄合、小普請に仰せ付られても、有がたき事なり。また持高よきものも寄合、小普請、御番などにて居る中に、御足高を頂戴して、御役など勤むる人は、不肖の身にて、別段の御足高も下され、人にも尊敬されて、夫ほどの御為にも成らずして、年々に結構につとむること、誠に年を累ぬるに従ひて、いよ〱御恩增長し、十年も勤めたらむ者は、今までの御足高の代りに、減禄小普請人に仰つけられてもよき筈なることとなり。然るを古るく勤めさせ給ふさへも、莫大の御褒美なるに、また相応の御褒美、場所へ転役も仰せ付けらるゝ程の有難き御治世なるに、手前より古るくなれば転役もある筈のことにおもふは、余りをろかにして、勿体なきことなり。唯だ常〻御厚恩のありがたきを忘れず、我を忘れて忠勤すべきこと肝要なり。しかれども、またおの〱昇進せむことをねがふも、仕官する者の習なり。ある人の句に、
書き下し
今の人、何御役にても古るく勤めて轉役なきときは、不足をいふ者あり、是れ大なる心得違なり、篤と考へ見るべき事なり。不肖の身にも御役おふせ蒙り、人の尊敬をうけ用ひらるゝこと、これ君の御めぐみにて、一年〱に御恩を蒙ること厚ければ、年を經るにしたがひ、寄合、小普請に仰せ付られても、有がたき事なり。また持高よきものも寄合、小普請、御番などにて居る中に、御足高を頂戴して、御役など勤むる人は、不肖の身にて、別段の御足高も下され、人にも尊敬されて、夫ほどの御爲にも成らずして、年々に結構につとむること、誠に年を累ぬるに從ひて、いよ〱御恩增長し、十年も勤めたらむ者は、今までの御足高の代りに、減祿小普請人に仰つけられてもよき筈なることとなり。然るを古るく勤めさせ給ふさへも、莫大の御褒美なるに、また相應の御褒美、場所へ轉役も仰せ付けらるゝ程の有難き御治世なるに、手前より古るくなれば轉役もある筈のことにおもふは、餘りをろかにして、勿體なきことなり。唯だ常〻御厚恩のありがたきを忘れず、我を忘れて忠勤すべきこと肝要なり。しかれども、またおの〱昇進せむことをねがふも、仕官する者の習なり。ある人の句に、
現代語訳
今の人は、どの役でも古くから勤めて転役がないと、不足を言う者がいます。これは大きな心得違いで、よく考えてみるべきです。不肖の身にも役を仰せ付けられ、人の尊敬を受けて用いられるのは、これ君の御恵みであり、年々御恩を蒙ることが厚いので、年を経るにつれ、寄合や小普請に仰せ付けられても、ありがたいことです。また持高のよい者が寄合・小普請・御番などにいる中で、足高をいただいて役を勤める人は、不肖の身で別段の足高も下され、人にも尊敬されて、それほどの御ためにもならないのに年々結構に勤めていることは、年を重ねるにしたがい、いよいよ御恩が増すもので、十年も勤めた者は、今までの足高の代わりに、減禄の小普請を仰せ付けられてもよいはずだということです。それなのに、古く勤めさせていただくだけでも莫大なご褒美であり、さらに相応のご褒美や、よい場所への転役まで仰せ付けられるほどありがたい御治世なのに、自分が古くなれば転役もあるはずと思うのは、あまりに愚かで、もったいないことです。ただ常にご厚恩のありがたいことを忘れず、我を忘れて忠勤することが肝要です。しかし、おのおの昇進を願うのも、仕官する者の習いです。ある人の句に、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『肝要工夫録』・忠は我を忘れる先祖代々、我が身まで數百年來、安樂に暮し、其家を相續すること、君の御恩の廣大なること、たとふべきものなし。先づ君につかふるには、唯だ忠の一字を朝暮忘るべからず、一體忠の字は、君にかぎらず、朋友其外、人に對して、こゝろのまことを十分に盡すことなり。この誠をつくすべきの最上は、君に止まる故に、專ら君に對していふなり。されば、君につかふるには、何事も裏表なく、己れが力一ぱいに盡すべき事なり。その心力をつくさむとおもはゞ、先づ君あることを知りて、我あることをわするゝを肝要の工夫とすべし。もし幸を得て、昇進する事あらば、我が不肖を以て此職に任じ、果して御爲になるか、ならざるかと、薄氷を踏むが如く、深淵に臨むが如く、唯だ其任を重んじて、いよいよ人をも敬ひ、己を謙虛するものなり。(謙虛とは、いんぎんにへりくだりて、胸中に慢心なきをいふ。かやうの人は、衆人の贔屓するものなり。古人の言葉に、足多きものは倒れずといふて、蜈蚣や、蚰は、死んでも倒れぬものにて、足の助け多き故なり。人もそのごとくにて、おのれの高貴才智に誇らず、謙虛なるときは、衆人ひゐきして、助け多きゆゑに、無實のつまづきなどなきことなり。)是れ我あることを知らざるゆゑなり。
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『肝要工夫録』・退けられても恨まず又退けらるゝ事ありとも、我が不肖なるゆゑに、この職に備はらず、我が身、御役退けられ、我より勝りたるもの、此職を司り、御爲とならば、この上もなき事なりと、いよ〱天にしたがふべきものなり。むかし楚國の令尹子文といへる人は、三度官に昇り、また三度退役したれども、いさゝか喜怒の色見えずと、是れ全く君あることを知りて、我あることを知らざればなり。凡そ人は身勝手の御奉公といふものにて、擧げらるゝときは愈よ君に諂ひ、人に驕り、また退けらるゝ時は、いよ〱天を恨み、君をそしるなり。今の人、立身すれば天へものぼるごとくによろこび、さぞかし御爲にもなるべき御奉公をするかと思へば、唯だ身分の昇進、食祿の倍增、諸人の尊敬に逢ひぬる事をよろこぶのみなり。さて誰々も、當時己が持つところの祿は、君の賜なれば、たとへ身に罪なくとも、唯今にも其祿をかへせとの仰あらば、畏り奉りて、さし上げねばならぬ道理なり。然れば、御奉公の筋に於ては、いか樣なる事ありとも、ゆめゆめ不足のこと、いふべき事にあらず。彼是勝手づくをおもひて、不足をいふは、不屈至極のことなり。
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『肝要工夫録』・先祖の苦労を忘れずさて其先祖の戰場にありて、日夜寢食を安んぜず、君恩を重んじ、一命を輕んじて、精ざる飯に糠味噌汁も足れりと思ひ、忠勤を勵むこと、數多の書に殘りて、その辛苦、いはむ方なし。然るを、其子孫として、其祿を受け繼ぎて、惣領なれば、いつも家督を取ると思ひ、其先祖の佛事法事も、そこ〱に、常に敬することは、いよ〱薄く、豺狼に劣りし行をなしながら、たゞ常に美服を好み、厚味を嗜み、居所の物好に金銀を費し、名利を專らとして、私の爲に淫祀をなして、神佛を祈ること、愚の事なり。たゞ一筋に先祖を尊信し、父母を大切にすることを以て肝要とすべし。
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『肝要工夫録』・子孫のための陰徳君子は、遠き慮ありて、かならず近き憂なしとかや。人たる者、おのれ一代の繁昌をはからずして、子孫の繁昌をのみはかりたき事なり。我々が先祖も、子孫のことを思ひて忠勤を重んじ、一命を戰場に輕んずればこそ、かく今疊のうへの有がたき御奉公を勤め、妻子も安樂に養ふことゝなれば、おのれも、又子孫の事を思ひて、忠勤を專らにし、唯だ陰德を積むべきこと肝要なり。愚歌に、
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『武道初心集』述懷奉公仕る武士。何事にてもあれ。主君の御爲に對し。一廉ある奉公を仕り。我が心にも。天晴一奉公をば勤めたりと存じ。人も感じ譽るといへ共。主君の御心には左程の事とも思召入られざるにや。又は御心底には感じ思召といへ共。何ぞ外に相障る事も有之やらん。異なる御恩賞もなく。功勞空しく埋るゝに付心底に不足を挾さみ。御情なき事と述懷たらだらにて。身に染ぬ奉公を致す者は。兎角に及ばず。心得違の事に候。戰國の武士の一生の間。幾度といふ事なく軍に立。主君大將の御爲に身命を拋ち。手柄高名を極めたる前に於ては。中々口のさかるゝ義にては無之候。子細は何を申しても治國の奉公と申すは。疊の上を這廻り。互ひに手の甲をさすり。舌先三寸の勝負を爭ふのみの善惡にて。身命をかけそくの働とては。先づは無之事に候。尤忠義の志に於ては。戰國にても治國にても。替る事は無之。勿論奉公する武士の役義に候。それを奇特と有て御賞美可被成も。被成間敷も。其段は主君の御心次第にて。自分は自分の役義を務るとさへ覺悟致し候得ば。事相濟。何にても不足述懷と申義無之道理に候。初心の武士心得のため仍如件。
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)事、数年の精勤(せいきん)にて、我も人も一廉(ひとかど)御褒美(ごほうび)仰せ付けらるべしと存じ居り候ところ、御用手紙参り、諸人前方(ぜんぽう)より祝儀(しゅうぎ)を述べ候。然るところ、役米(やくまい)加増(かぞう)仰せ付けられ候に付て、皆人案外(あんがい)の儀と存じ候。然れども仰せ付けの事に候故、悦び申し候えば、何某以ての外貌振(かおぶ)り悪しく、「面目無き仕合せに御座候。畢竟(ひっきょう)御用に相立たざる者に候故、斯くの如きの行き掛かり、是非御断り申し候て引き取り申すべし。」などと申し候に、入魂(じっこん)の衆色々申し宥(なだ)め候て、相勤め申し候。これ偏(ひと)えに奉公の覚悟これなく、唯(ただ)我が身自慢の故にて候。御褒美の事は擬(なぞら)え置き、侍を足軽に召し成され、何の科(とが)もこれなきを切腹仰せ付けられ候時、一入(ひとしお)勇み進み候こそ御譜代(ごふだい)の御家来にて候。

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