葉隠 / 聞書第一
何某事數年の精勤にて、我人一廉御褒美仰付けらるべしと存居り候處、御用手紙參り、諸人前方より祝儀を述べ候。然る處、役米加增仰付けられ候に付て、皆人案外の儀と存じ候。然れども仰付の事に候。故悅び申し候へば、何某以ての外貌振り惡しく、「面目無き仕合せに御座候。畢竟御用に相立たざる者に候故、斯くの如きの行掛り、是非御斷り申し候て引取り申すべし。」などと申し候に、入魂の衆色々申し宥め候て、相勤め申し候。これ偏へに奉公の覺悟これなく、唯我が身自慢の故にて候。御褒美の事は擬置き、侍を足輕に召成され、何の科もこれなきを切腹仰付けられ候時、一入勇み進み候こそ御譜代の御家來にて候。
新字:何某事数年の精勤にて、我人一廉御褒美仰付けらるべしと存居り候処、御用手紙参り、諸人前方より祝儀を述べ候。然る処、役米加增仰付けられ候に付て、皆人案外の儀と存じ候。然れども仰付の事に候。故悅び申し候へば、何某以ての外貌振り悪しく、「面目無き仕合せに御座候。畢竟御用に相立たざる者に候故、斯くの如きの行掛り、是非御断り申し候て引取り申すべし。」などと申し候に、入魂の衆色々申し宥め候て、相勤め申し候。これ偏へに奉公の覚悟これなく、唯我が身自慢の故にて候。御褒美の事は擬置き、侍を足軽に召成され、何の科もこれなきを切腹仰付けられ候時、一入勇み進み候こそ御譜代の御家来にて候。
書き下し
何某(なにがし)事、数年の精勤(せいきん)にて、我も人も一廉(ひとかど)御褒美(ごほうび)仰せ付けらるべしと存じ居り候ところ、御用手紙参り、諸人前方(ぜんぽう)より祝儀(しゅうぎ)を述べ候。然るところ、役米(やくまい)加増(かぞう)仰せ付けられ候に付て、皆人案外(あんがい)の儀と存じ候。然れども仰せ付けの事に候故、悦び申し候えば、何某以ての外貌振(かおぶ)り悪しく、「面目無き仕合せに御座候。畢竟(ひっきょう)御用に相立たざる者に候故、斯くの如きの行き掛かり、是非御断り申し候て引き取り申すべし。」などと申し候に、入魂(じっこん)の衆色々申し宥(なだ)め候て、相勤め申し候。これ偏(ひと)えに奉公の覚悟これなく、唯(ただ)我が身自慢の故にて候。御褒美の事は擬(なぞら)え置き、侍を足軽に召し成され、何の科(とが)もこれなきを切腹仰せ付けられ候時、一入(ひとしお)勇み進み候こそ御譜代(ごふだい)の御家来にて候。
現代語訳
ある者が数年の勤勉な奉公により、本人も周りも、さぞ立派な褒美を仰せつけられるだろうと思っていた。そこへ御用の手紙が届き、人々は前もって祝いの言葉を述べた。ところが、下されたのは役米の加増だったので、皆は意外に思った。それでも上意による沙汰だからと喜んでみせたところ、当人はひどく不機嫌な顔つきで、「面目ない結果です。つまるところお役に立たない者だからこうなったのだ。ぜひお断りして役を退こう」などと言うので、親しい仲間があれこれなだめて勤めさせた。これはひとえに奉公の覚悟がなく、ただ自分への自慢心のせいである。褒美のことなど二の次だ。たとえ侍を足軽に格下げされ、何の罪もないのに切腹を命じられたときですら、いっそう勇んで進んで受けてこそ、代々仕える譜代の家来というものである。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第一今時(いまどき)の奉公人を見るに、いかにも低い眼(め)の着け所である。掏摸(スリ)の目遣(めづか)いの様である。おおかた、身のための欲得か、利発(りはつ)だてか、又は少し魂の落ち着きたる様なれば、身構えをするばかりである。我が身を主君に奉り、速(すみ)やかに死に切って幽霊になりて、二六時中(にろくじちゅう)、主君の御事(おんこと)を歎き、事を整えて進上申し、御国家を堅むると云う所に眼を着けねば、奉公人とは言われぬなり。上下(じょうげ)の差別(しゃべつ)あるべき様(よう)なし。此のあたりに、ぎしと居すわりて、神仏の勧めにても、少しも迷わぬ様(よう)覚悟せねばならず。
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葉隠・聞書第二させる奉公も仕(つかまつ)らず、虎口前(ここうまえ)仕りたる事もなく候えども、若年の時分より一向(いっこう)に、「殿の一人被官(ひとりひかん)は我なり、武勇は我一人なり。」と骨髄(こつずい)に徹し、思込み候故(ゆえ)か、何たる利発人(りはつじん)、御用に立つ人にても押し下げ得(え)申されず候。却(かえ)って諸人(しょにん)の取持(とりも)ち勿体(もったい)なく候。唯(ただ)殿を大切に存じ、何事にてもあれ、死狂(しにぐる)いは我一人と内心に覚悟仕りたるまでにて候。今こそ申せ、終(つい)に人に語り申さず候えども、一念天地を動かす故にて候か、人にゆるされ申し候。御子様方(おこさまがた)始め、諸人の御懇意(ごこんい)誠に痛み入り申す事にて候。主人に思い附く事は、御譜代(ごふだい)の士は、御先祖より歴々(れきれき)御奉公申され候て、知行(ちぎょう)御加増、金銀過分に拝領ほど有り難き御家に候えば、奉公するの、せぬのには、より申さぬ事はなく候えども、それよりは唯御一言(ごいちごん)が、忝(かたじけ)なくて腹を切る志は発(おこ)るものなり。火事御仕組(おしくみ)に、江戸にて御書物心遣(こころづか)いと申上げられたり。又大阪にて御夜(およ)の物御蒲団(おふとん)拝領の時、「慰方(なぐさめかた)に候て、忽(たちま)ち身命を捨つる心になりたり。」と申されたり。あわれ昔ならば此の蒲団を敷き、此の夜着(よぎ)をかぶり、追腹(おいばら)仕るべきものと、骨髄有り難く存じ奉り候なり。
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葉隠・聞書第一吉凶につき、仰せ渡しなどの時、無言にて引き取りたるも、当惑の体(てい)に見ゆるなり。よき程の御請(おうけ)あるべき事なり。前方(ぜんぽう)の覚悟が肝要なり。また、役など仰せ付けられ候節、内心に嬉しく思い、自慢の心などあれば、そのまま面(つら)に顕るるものなり。数人見及びたり。見苦しきものなり。我ら不調法なるに、かような役仰せ付けられ、何と相調(あいととの)うべきや、さてさて迷惑千万、気遣(きづか)いなる事かなと、我が非を知りたる人は詞(ことば)に出さずとも面に顕れ、おとなしく見ゆるなり。浮気にて、ひょうすくは道にも違い、初心(うぶ)にも見え、多分仕損じあるものなり。
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)、今の役にて音物(いんもつ)を受けず、其の上返したる時、拠所(よんどころ)無くして家来共が潜かに留め置きて、時々に手形をとらせ候由。其の外、一惣(いっそう)取り入り、云い入り、頼み事ならず、佐嘉(さが)中取り沙汰の由に候。初心なる事にて候。欲深にはましなれども、真の志にはあらず、我が身立ち候仕方なり。今時、此の分する衆もなき故、欲は内心に離れ、目に立たぬ様にするが、ならぬものなり。
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葉隠・聞書第二万事、実(じつ)一つにて仕(し)て行けば済むものなり。其の中に奉公人は御側(おそば)、外様(とざま)、大身(たいしん)、小身(しょうしん)、古家(ふるいえ)、取立(とりたて)などに付て、それぞれに、少しづつの心入(こころいれ)は替わるべし。御前(ごぜん)近き奉公などは、差し出でたること第一わろきなり。大人(たいじん)の御嫌い候ものなり。御前の仕事は成程(なるほど)引き取りて、あれにては埒(らち)が明きかぬるが、されども別に人がなければと思召(おぼしめ)さるる位がよきなり。さて、先役(せんやく)はもとより、同役を成程御用に立つ様に仕(し)なし、若し病気差支(さしつかえ)役替りなどの時、御事欠き候に付て、我が身勤め候様に心得たるがよし。これが道にてもあるべし。兎角(とかく)忠節を根にして見ればよく知れ候なり。早出頭(はやしゅっとう)、のうぢなきものなり。古来例多し。幼少より御前に相勤め候へども、一言を尖(さき)に申し上げたる事なし。玆(ここ)には、いから心得ある事に候となり。
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葉隠・聞書第一御祝言の御道具の詮議(せんぎ)の時分、何某(なにがし)殿が仰せられたのは、「琴・三絃(さんげん)が、その書付(かきつけ)に見えません」ということであった。翌日仰せられたのは、「あらかたを申して差し止めた。極上のものを二通(とおり)ずつと書き付けよ」とのことであったという。ある人が話して、「御道具がなくても事は足りるものだ。これは気味(きみ)のよい人であるよ」と申したところ、「いやいや、それがよからぬ所存(しょぞん)である。すべて我が威勢立(いせいだ)ての言い分だ。おおかた他方者(たほうもの)にある事である。道を知る者ならば、たとえ不要と決まっているものであっても、御尤(ごもっと)もと存じ奉る」とのこと。さりながら、それは追って吟味いたしましょうなどと申して、その人の恥にならぬように、その場をよいように取りなすことこそ侍の仕事である。しかも入(い)るべき物ゆえ、翌日は書き汚(きた)なく麁相(そそう)の心入れで、当座に貴人に恥をかかせ、何の詮(せん)もなく、汚なく麁相の心入れである。