肝要工夫録 / 養生は忠孝の本
人は日用に養生を第一にして、其身を大切にすべきこそ、忠孝の本意にも合ふべし。聖人の敎にも、身は父母の遺體なり、敢て毀ひ傷らざるは孝のはじめとのたまひ、また君に事ふるに、其身を致すとあれば、仕官するものは、我身は君に奉る者なれば、內からいふても、外からいふても、我が物にあらず、しかれば、女色美食は扱て置き、朝暮のいさゝかの飮食坐臥に至るまで、我が身を愛し、養生すべきこと、肝要なり。また論語に、父母は、たゞ其疾を憂ふとのたまひて、疾多きときは、父母の心をいため、御奉公にも、おのづから怠るなり。父母と君よりのあづかり物を、己が謹み惡く、忠孝の道をやぶること、愚なることなり。故に忠孝のために、假初にも、その身を愛し、また忠孝のためには、大切の一命をも捨つべきことなり。(養生の仕方は、貝原が養生訓、多紀が養生歌、その外、養生のことを記せし書を見て、よく守るべし。)
新字:人は日用に養生を第一にして、其身を大切にすべきこそ、忠孝の本意にも合ふべし。聖人の教にも、身は父母の遺体なり、敢て毀ひ傷らざるは孝のはじめとのたまひ、また君に事ふるに、其身を致すとあれば、仕官するものは、我身は君に奉る者なれば、内からいふても、外からいふても、我が物にあらず、しかれば、女色美食は扱て置き、朝暮のいさゝかの飲食坐臥に至るまで、我が身を愛し、養生すべきこと、肝要なり。また論語に、父母は、たゞ其疾を憂ふとのたまひて、疾多きときは、父母の心をいため、御奉公にも、おのづから怠るなり。父母と君よりのあづかり物を、己が謹み悪く、忠孝の道をやぶること、愚なることなり。故に忠孝のために、仮初にも、その身を愛し、また忠孝のためには、大切の一命をも捨つべきことなり。(養生の仕方は、貝原が養生訓、多紀が養生歌、その外、養生のことを記せし書を見て、よく守るべし。)
書き下し
人は日用に養生を第一にして、其身を大切にすべきこそ、忠孝の本意にも合ふべし。聖人の敎にも、身は父母の遺體なり、敢て毀ひ傷らざるは孝のはじめとのたまひ、また君に事ふるに、其身を致すとあれば、仕官するものは、我身は君に奉る者なれば、內からいふても、外からいふても、我が物にあらず、しかれば、女色美食は扱て置き、朝暮のいさゝかの飮食坐臥に至るまで、我が身を愛し、養生すべきこと、肝要なり。また論語に、父母は、たゞ其疾を憂ふとのたまひて、疾多きときは、父母の心をいため、御奉公にも、おのづから怠るなり。父母と君よりのあづかり物を、己が謹み惡く、忠孝の道をやぶること、愚なることなり。故に忠孝のために、假初にも、その身を愛し、また忠孝のためには、大切の一命をも捨つべきことなり。(養生の仕方は、貝原が養生訓、多紀が養生歌、その外、養生のことを記せし書を見て、よく守るべし。)
現代語訳
人は日常の養生を第一にして、その身を大切にすることが、忠孝の本意にも合います。聖人の教えにも、「身は父母の遺体であり、あえて傷つけ損なわないのが孝の始めである」とあり、また「君に仕えるには、その身を致す」とあるので、仕官する者は、自分の身は君に捧げるものであり、内から言っても外から言っても自分の物ではありません。ですから、女色や美食は言うまでもなく、朝夕のわずかな飲食や起き伏しに至るまで、わが身を愛し、養生することが肝要です。また『論語』に「父母は、ただその病気を心配される」とあり、病気が多いと父母の心を痛め、ご奉公にもおのずから怠りが出ます。父母と主君からの預かり物を、自分の慎みが悪くて損ない、忠孝の道を破るのは愚かなことです。そのため、忠孝のために、かりそめにもその身を愛し、また忠孝のためには、大切な一命をも捨てるべきです。(養生の仕方は、貝原の『養生訓』、多紀の養生歌、そのほか養生を記した書を見て、よく守りなさい。)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『養生訓』巻第一・総論上一人の身は、父母を本とし、天地を初とす。天地父母の恵をうけて生れ、又養はれたる我が身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、慎んでよく養ひて、毀ひ傷らず、天年を長くたもつべし。是天地父母につかへ奉る孝の本なり。身を失ひては、仕ふべきやうなし。わが身の内、少なる皮はだへ髪の毛だに父母にうけたれば、みだりに毀ひ傷るは、不孝なり。況や大なる身命を、わが私の物として慎まず、飲食色慾を恣にし、元気をそこなひ、病を求め、生れつきたる天年を短くして、早く身命を失ふ事、天地父母へ不孝のいたり、愚なるかな。人となりて、此の世に生きては、ひとへに父母天地に孝をつくし、人倫の道を行ひ、義理にしたがひて、なるべき程は寿福をうけ、久しく世にながらへて、喜び楽みをなさん事、誠に人の各願ふ所ならずや。
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『肝要工夫録』・孝は百行の源古人の言葉に、孝は百行の源、萬善の長といふて、至りて重き事なり。貴賤賢不肖によらず、己が身ほど、大切なるものはなし。その貴き大切の身は何方より貰ひたるや、これ全く父母の賜なり、浮世の習、少しのものを貰ひても、厚く謝し、返禮を行ふことなり、まして、かほど貴き大切の身を賜ひたる事なれば、せめて心のかぎり、力の限り、孝行をつくして、萬分一の返禮を致すべきこと肝要なり。(孝行のことは、何れの書にも、諸君子力をつくしあらはしたまふことなれば、只だ大意をしるす。)又今賜はり來る祿は、みな祖先の軍功忠勤に依り、子孫の賢不肖によらずして、その舊祿を給はる事にて、その先祖の厚恩莫大のことなり。
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『養生訓』巻第一・総論上人の身はいたりて貴く、是をやしなひてたもつは、至りて大なる術なるを、師なく教なく、学ばず習はず、これを養ふ術を知らで、わが心の慾にまかせば、豈其道を得て、生れつきたる天年をよくたもたんや。故に生を養ひ命をたもたんと思はば、其術を習はずんばあるべからず。夫養生の術そくばくの大道にして小芸にあらず。心にかけて其術をつとめまなばずんば、其道を得べからず。其術を知れる人ありて習ひ得ば、千金にも替へがたし。天地父母よりうけたるおもき身をもちて、これをたもつ道を知らで、みだりに身をもちて、大病をうけ、身を失ひ、世をみじかくする事、いたりて愚なるかな。天地父母に対し大不孝と云ふべし。其上病なく命ながくしてこそ、人となれる楽多かるべけれ。
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『養生訓』巻第一・総論上如此ならん事を願はば、先古の道をかうがへ、養生の術をまなんで、よくわが身をたもつべし。是人生第一の大事なり。人身は、至りて貴く重くして、天下四海にもかへがたき物にあらずや。然るに、これを養ふ術をしらず、慾を恣にして、身を亡ぼし、命を失ふ事、愚なる至なり。身命と私慾との軽重をよくおもんぱかりて、日々に一日を慎み、私欲の危をおそるる事、深き淵に臨むが如く、薄き氷をふむが如くならば、命ながくして、つひに殃なかるべし。豈楽まざるべけんや。命みじかければ、天下四海の富を得ても益なし。財の山を前につんでも用なし。然れば、道にしたがひ、身をたもちて、長命なるほど大なる福なし。故に、寿きは、尚書に、五福の第一とす。是万福の根本なり。
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『養生訓』巻第一・総論上一人の身をたもつには、養生の道をたのむべし、針灸と薬力とをたのむべからず。人の身には口腹耳目の欲ありて、身をせむるもの多し。古人のをしへに、養生のいたれる法あり。孟子にいはゆる寡慾これなり。宋の王昭素も、身を養ふ事は慾を寡くするにしくはなしと云へり。省心録にも、多慾則傷生といへり。およそ人のやまひは皆わが身の慾をほしいままにして、つつしまざるよりおこる、養生の士は、つねにこれを戒とすべし。
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『慎思録』巻之三世に処するは、寧ろ拙に傷るるも、巧に傷るること莫かれ。礼を為すは、寧ろ倹に傷るるも、奢に傷るること莫かれ。学を為すは、寧ろ隘に傷るるも、雑に傷るること莫かれ。世儒は摂養保生の者を以て、術者の生を貪るの事と為し、只冬裘夏葛飢食渇飲を以て、養生の道は此に止まると為す。然り而して死生も亦大なり。吾が身の天地父母に禀くる所の者は、保重せざるべからず。然らば則ち保養守身の術も、亦学ばざるべからず。何ぞ術者の事と為して之を廃すべけんや。大凡人事には皆術有り。独り養生のみ、豈に術無かるべけんや。

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