肝要工夫録 / 神仏は目前にあり
これを以て、この二つを肝要の工夫とすること、神佛を祈念するの基なるべし。且つ又他の神佛を信ずるとも、心正直にして、その祈る神佛の目前にいますが如く思ひて信心せば可なり。いかむとなれば、その神佛のまのあたり見聞して居給ふやうに思ふ故、邪曲のをこなひあらば、その神佛の誠もあらむかと、をのづから、其身をも愼むものなり。然れども、流行神など信ずるは、俗中の俗にして、論なし。唯だ專らに、今生神生佛の主君父母に心力をつくし、忠孝の二つ□以て、信心するに若くはなし。眼前に利益ありて、天より福を降し給ふ事と知るべし。
新字:これを以て、この二つを肝要の工夫とすること、神仏を祈念するの基なるべし。且つ又他の神仏を信ずるとも、心正直にして、その祈る神仏の目前にいますが如く思ひて信心せば可なり。いかむとなれば、その神仏のまのあたり見聞して居給ふやうに思ふ故、邪曲のをこなひあらば、その神仏の誠もあらむかと、をのづから、其身をも慎むものなり。然れども、流行神など信ずるは、俗中の俗にして、論なし。唯だ専らに、今生神生仏の主君父母に心力をつくし、忠孝の二つ□以て、信心するに若くはなし。眼前に利益ありて、天より福を降し給ふ事と知るべし。
書き下し
これを以て、この二つを肝要の工夫とすること、神佛を祈念するの基なるべし。且つ又他の神佛を信ずるとも、心正直にして、その祈る神佛の目前にいますが如く思ひて信心せば可なり。いかむとなれば、その神佛のまのあたり見聞して居給ふやうに思ふ故、邪曲のをこなひあらば、その神佛の誠もあらむかと、をのづから、其身をも愼むものなり。然れども、流行神など信ずるは、俗中の俗にして、論なし。唯だ專らに、今生神生佛の主君父母に心力をつくし、忠孝の二つ□以て、信心するに若くはなし。眼前に利益ありて、天より福を降し給ふ事と知るべし。
現代語訳
このため、この二つを肝要の工夫とすることが、神仏を祈念する基本です。さらに、他の神仏を信じるにしても、心を正直にして、祈る神仏が目の前におられるように思って信心すればよいのです。なぜなら、その神仏が目の当たりに見聞きしておられるように思うので、邪な行いがあれば、その神仏の誠もあろうかと、おのずからその身を慎むからです。しかし、流行神などを信じるのは、俗の中の俗で論外です。ただひたすら、今生きている神であり仏である主君と父母に心力を尽くし、忠孝の二つ(底本で判読できない字)をもって信心するのが一番です。目の前に利益があり、天から福を降してくださることと知るべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『肝要工夫録』・神仏への信心神佛を信心すべきこと、おのれが心を正直にして、天照皇太神宮、東照宮、家の鎭守あらば其神なり。又佛といふは、我が先祖なり。その餘は、聖人のいたく戒め給ふ、其鬼に非ずして之を祭るは諂ふといふ者なり。されば月々前日より愼みて、十七日には、上野御宮、又は芝安國殿へ拜禮に出づべき事なり、(安國殿は、卑賤のものといへども、參詣出來ることなり。)また己が先祖の墓所へ月々に參詣し、朝暮には佛間に拜し、物の初穗など備へて、在すがごとく尊信すべきことなり。和論語の神詫を見るに、何れの神慮も慈悲と正直の二つに過ぎず、故に邪の願をなして、慈悲正直のこころなきものは、何ぞ利益のあるべきか。
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『肝要工夫録』・先祖の苦労を忘れずさて其先祖の戰場にありて、日夜寢食を安んぜず、君恩を重んじ、一命を輕んじて、精ざる飯に糠味噌汁も足れりと思ひ、忠勤を勵むこと、數多の書に殘りて、その辛苦、いはむ方なし。然るを、其子孫として、其祿を受け繼ぎて、惣領なれば、いつも家督を取ると思ひ、其先祖の佛事法事も、そこ〱に、常に敬することは、いよ〱薄く、豺狼に劣りし行をなしながら、たゞ常に美服を好み、厚味を嗜み、居所の物好に金銀を費し、名利を專らとして、私の爲に淫祀をなして、神佛を祈ること、愚の事なり。たゞ一筋に先祖を尊信し、父母を大切にすることを以て肝要とすべし。
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『竹馬抄』・神仏の本意を心得る一佛神をあがめたてまつるべきことは人として存べき事なればあたらしく申べからず、その中にいささか心得わくべき事の侍るなり、佛の出世と云も神の化現と云も、しかしながら世のため人のためなり、されば人をあしかれとにはあらず、心をいさぎよくして仁義禮智信をたゞしくして本を明めさせんがためなり、そのほかにはなにのせんにか出現したまふべき、此本ゐを心得ぬほどに佛を信ずるとて、人民をわづらはしひとの物をとり寺院を作り、或は神を敬ふと云て人類を追捕して【祀/祉】禮を行事のみ侍る、かやうならんには佛事も神事もそむき侍るべきとこそ覺侍る、たとひ一度のつとめをもせず、一度の社參をばせずとも、心正直に慈悲あらん人を、神も佛もおろかには見そなはしたまはじ、ことさら伊勢太神宮、八幡大菩薩、北野天神も、心すなをにいさぎよき人のかうべに宿らせ給ふなるべし、又我身のうき時などは、神社に祈るなどする人のみ侍る也、いとはかなくおぼゆる也、たゞ後生善所と祈るほかは、佛神の願望侍べからず、それぞじるしも侍べけれ、それすら眞實の道には直にいたらずとぞ歎き、
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『肝要工夫録』・忠は我を忘れる先祖代々、我が身まで數百年來、安樂に暮し、其家を相續すること、君の御恩の廣大なること、たとふべきものなし。先づ君につかふるには、唯だ忠の一字を朝暮忘るべからず、一體忠の字は、君にかぎらず、朋友其外、人に對して、こゝろのまことを十分に盡すことなり。この誠をつくすべきの最上は、君に止まる故に、專ら君に對していふなり。されば、君につかふるには、何事も裏表なく、己れが力一ぱいに盡すべき事なり。その心力をつくさむとおもはゞ、先づ君あることを知りて、我あることをわするゝを肝要の工夫とすべし。もし幸を得て、昇進する事あらば、我が不肖を以て此職に任じ、果して御爲になるか、ならざるかと、薄氷を踏むが如く、深淵に臨むが如く、唯だ其任を重んじて、いよいよ人をも敬ひ、己を謙虛するものなり。(謙虛とは、いんぎんにへりくだりて、胸中に慢心なきをいふ。かやうの人は、衆人の贔屓するものなり。古人の言葉に、足多きものは倒れずといふて、蜈蚣や、蚰は、死んでも倒れぬものにて、足の助け多き故なり。人もそのごとくにて、おのれの高貴才智に誇らず、謙虛なるときは、衆人ひゐきして、助け多きゆゑに、無實のつまづきなどなきことなり。)是れ我あることを知らざるゆゑなり。
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『肝要工夫録』・道理を目当てに道理を目當にして、たとへ子が惡しくとも、子に目を付けず、ただ父たるの道理を以て敎育し、臣が不忠なればとても、君は君たるの道理を以て臣を使ふべし、友が不信切なればとても、此方からは、いかにも信を以て交るべし。別して、朋友は、他人と思ふ心より、我が信を盡くしても、向から不信切なるときは、その返報にも我も不信切をなさむとするは、人の爲に、己れが操を亂すといふべし。是れ小人の常にして、淺ましき事なり。向より朋友の道にそむき、我が難儀ともなるべきことをするとも、必ず向の不信切にならひて、眞似することなく、堪忍の二字をおもひ出し、少しも恨み怒ることあるべからず。その人の不信切へは、天より、よさほどに罪ありて、我より咎むるには及ばぬ事なり。(古人の言葉に、舌柔にして存し、歯かたくして亡ぶとありて、舌はやはらかなれども一生存し、歯はかたけれどもぬけかけるの憂あり。人も其如くにて、堪忍の二字を重んじて、柔和なる時は過なし、向の不義を咎め、すこしのことに、大に理屈などいふものは、俠者にして、かけ損ずるの憂あり。)此所をよく〱合點して、父は子を愛し敎育すべき筈、子は孝行すべき筈、朋友には信を盡すべき筈といふ道理に力をつくして、くれ〱も肉身を目當となして、己れが操を亂すべからざるこそ、肝要の工夫なるべけれ。
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『肝要工夫録』・孝は百行の源古人の言葉に、孝は百行の源、萬善の長といふて、至りて重き事なり。貴賤賢不肖によらず、己が身ほど、大切なるものはなし。その貴き大切の身は何方より貰ひたるや、これ全く父母の賜なり、浮世の習、少しのものを貰ひても、厚く謝し、返禮を行ふことなり、まして、かほど貴き大切の身を賜ひたる事なれば、せめて心のかぎり、力の限り、孝行をつくして、萬分一の返禮を致すべきこと肝要なり。(孝行のことは、何れの書にも、諸君子力をつくしあらはしたまふことなれば、只だ大意をしるす。)又今賜はり來る祿は、みな祖先の軍功忠勤に依り、子孫の賢不肖によらずして、その舊祿を給はる事にて、その先祖の厚恩莫大のことなり。

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