管子 / 小問
桓公觀於廏,問廏吏曰:「廏何事最難?」廏吏未對,管仲對曰:「夷吾嘗為圉人矣,傅馬棧最難。先傅曲木,曲木又求曲木,曲木已傅,直木無所施矣。先傅直木,直木又求直木,直木已傅,曲木亦無所施矣。」
新字:桓公観於廏,問廏吏曰:「廏何事最難?」廏吏未対,管仲対曰:「夷吾嘗為圉人矣,傅馬棧最難。先傅曲木,曲木又求曲木,曲木已傅,直木無所施矣。先傅直木,直木又求直木,直木已傅,曲木亦無所施矣。」
書き下し
桓公廏に觀て、廏吏に問いて曰く、「廏は何事か最も難き」と。廏吏未だ對えざるに、管仲對えて曰く、「夷吾嘗て圉人と為れり。馬棧に傅くること最も難し。先ず曲木を傅ければ、曲木又た曲木を求む。曲木已に傅かば、直木施す所無し。先ず直木を傅ければ、直木又た直木を求む。直木已に傅かば、曲木も亦た施す所無し」と。
現代語訳
桓公が厩を見て、厩の役人に問うた。厩では何がいちばん難しいか。役人がまだ答えないうちに、管仲が答えた。私はかつて馬飼いをしていました。馬囲いの柵を組むのがいちばん難しい。先に曲がった木を当てれば、曲がった木がまた曲がった木を呼びます。曲がった木で組んでしまえば、まっすぐな木の置き場がなくなる。先にまっすぐな木を当てれば、まっすぐな木がまたまっすぐな木を呼びます。まっすぐな木で組んでしまえば、曲がった木の置き場もなくなる。
解説
九十字ほどの短い話ですが、よく知られています。柵を組むとき、最初に曲がった木を当てれば、次も曲がった木でなければ合わない。まっすぐな木を当てれば、次もまっすぐでなければ合わない。最初の一本が、そのあと全部を決めてしまう。人の登用の話として読まれてきました。最初の一本が、そのあと全部を決めてしまうという話でした。人の登用のたとえとして、古くから読み継がれています。
この章句が説くこと
桓公廏に観て廏吏に問いて曰く廏は何事か最も難き夷吾嘗て圉人と為れり馬棧に傅くること最も難し先ず曲木を傅ければ曲木又た曲木を求む先ず直木を傅ければ直木又た直木を求む最初連鎖
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