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韓非子 / 忠孝第五十一

使天下從而效之,是天下徧死而願夭也。此皆釋世而不治是也。世之所爲烈士者,離衆獨行,取異於人,爲恬淡之學而理恍惚之言。臣以爲恬淡,無用之教也;恍惚,無法之言也。言出於無法,教出於無用者,天下謂之察。臣以爲人生必事君養親,事君養親不可以恬淡;治人必以言論忠信法術,言論忠信法術不可以恍惚。恍惚之言,恬淡之學,天下之惑術也。孝子之事父也,非競取父之家也;忠臣之事君也,非競取君之國也。夫爲人子而常譽他人之親曰「某子之親,夜寝早起,强力生財以養子孫臣妾」,是誹謗其親者也。

新字:使天下従而効之,是天下遍死而願夭也。此皆釈世而不治是也。世之所為烈士者,離衆独行,取異於人,為恬淡之学而理恍惚之言。臣以為恬淡,無用之教也;恍惚,無法之言也。言出於無法,教出於無用者,天下謂之察。臣以為人生必事君養親,事君養親不可以恬淡;治人必以言論忠信法術,言論忠信法術不可以恍惚。恍惚之言,恬淡之学,天下之惑術也。孝子之事父也,非競取父之家也;忠臣之事君也,非競取君之国也。夫為人子而常誉他人之親曰「某子之親,夜寝早起,強力生財以養子孫臣妾」,是誹謗其親者也。

書き下し

天下をして從ひて之に效はしむれば、是れ天下徧く死して夭を願ふなり。此れ皆世を釋てて治めざる是なり。世の烈士と爲す所の者は、衆を離れて獨り行ひ、異を人に取り、恬淡の學を爲して恍惚の言を理む。臣以爲へらく恬淡は、無用の教へなり。恍惚は、無法の言なり。言無法に出で、教へ無用に出づる者を、天下之を察と謂ふ。臣以爲へらく人生まれては必ず君に事へ親を養ふ、君に事へ親を養ふは恬淡を以てすべからず。人を治むるは必ず言論忠信法術を以てす、言論忠信法術は恍惚を以てすべからず。恍惚の言、恬淡の學は、天下の惑術なり。孝子の父に事ふるや、父の家を取るを競ふに非ざるなり。忠臣の君に事ふるや、君の國を取るを競ふに非ざるなり。夫れ人の子と爲りて常に他人の親を譽めて曰く「某子の親は、夜寝ね早く起き、力を强めて財を生じ以て子孫臣妾を養ふ」と、是れ其の親を誹謗する者なり。

現代語訳

天下の人にこれに従って倣わせれば、天下の人は皆死に急ぎ、若死にを願うことになる。これらは皆、世を捨てて治めようとしない者である。世に烈士とされる者は、大衆から離れて独り行い、人と違うことを求め、恬淡の学を修め、とりとめのない言葉を論じる。私は、恬淡とは役に立たない教えであり、とりとめのない言葉とは法のない言葉だと考える。法のない言葉や役に立たない教えから出たものを、天下は聡明と呼ぶ。私は考える。人は生まれたからには必ず君主に仕え親を養うものであり、君主に仕え親を養うことは恬淡ではできない。人を治めるには必ず言論・忠信・法術によるものであり、言論・忠信・法術はとりとめのなさではできない。とりとめのない言葉や恬淡の学は、天下を惑わすやり方である。孝子が父に仕えるのは、父の家を奪い合うためではない。忠臣が君主に仕えるのは、君主の国を奪い合うためではない。人の子でありながら、いつも他人の親を褒めて「どこそこの親は、夜遅く寝て朝早く起き、力を尽くして財を生み、子孫や召使いを養っている」と言うのは、自分の親をそしる者である。

解説

忠孝篇で、世を捨てて独り高潔を保つ「烈士」と、恬淡・恍惚を説く道家風の学を批判する一段です。天下の皆が烈士に倣えば、誰もが死に急ぎ若死にを願うことになる、と韓非は皮肉ります。恬淡は無用の教え、恍惚は無法の言だとし、人は君に仕え親を養うものであり、人を治めるには言論・忠信・法術が要ると説きます。解老・喩老の篇を持つ韓非子が、ここでは道家的な隠逸を退けている点は興味深いところです。末尾の、他人の親を褒めるのは自分の親をそしることだという比喩は、次の句で君臣関係に当てはめられます。高尚な理念ばかり語って実務を担わない姿勢への警鐘として読めます。

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