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韓非子 / 顯學第五十

恃人之爲吾善也,境内不什數;用人不得爲非,一國可使齊。爲治者用衆而舍寡,故不務德而務法。夫必恃自直之箭,百世無矢;恃自圜之木,千世無輪矣。自直之箭,自圜之木,百世無有一,然而世皆乘車射禽者何也?隱栝之道用也。雖有不恃隱栝而有自直之箭、自圜之木,良工弗貴也。何則?乘者非一人,射者非一發也。不恃賞罰而恃自善之民,明主弗貴也。何則?國法不可失,而所治非一人也。

新字:恃人之為吾善也,境内不什数;用人不得為非,一国可使斉。為治者用衆而舎寡,故不務徳而務法。夫必恃自直之箭,百世無矢;恃自圜之木,千世無輪矣。自直之箭,自圜之木,百世無有一,然而世皆乗車射禽者何也?隠栝之道用也。雖有不恃隠栝而有自直之箭、自圜之木,良工弗貴也。何則?乗者非一人,射者非一発也。不恃賞罰而恃自善之民,明主弗貴也。何則?国法不可失,而所治非一人也。

書き下し

人の吾が爲に善を爲すを恃むや、境内什を數へず。人を用ひて非を爲すを得ざらしむれば、一國齊しからしむべし。治を爲す者は衆を用ひて寡を舍つ、故に德を務めずして法を務む。夫れ必ず自直の箭を恃めば、百世矢無し。自圜の木を恃めば、千世輪無し。自直の箭、自圜の木は、百世に一も有る無し、然り而して世皆車に乘り禽を射る者は何ぞや。隱栝の道用ひらるればなり。隱栝を恃まずして自直の箭、自圜の木有りと雖も、良工は貴ばざるなり。何となれば則ち、乘る者は一人に非ず、射る者は一發に非ざればなり。賞罰を恃まずして自善の民を恃むは、明主貴ばざるなり。何となれば則ち、國法失ふべからずして、治むる所は一人に非ざればなり。

現代語訳

人が自分のために進んで善を行ってくれるのを当てにしても、国内に十人と数えられない。人を用いて悪事をできないようにすれば、一国全体をそろえることができる。統治する者は多数に通じるやり方を用い、少数にしか通じないやり方は捨てる。だから徳を務めずに法を務めるのである。ひとりでにまっすぐな矢を当てにしていたら、百代たっても矢はできない。ひとりでに丸い木を当てにしていたら、千代たっても車輪はできない。ひとりでにまっすぐな矢や、ひとりでに丸い木は、百代に一つもない。それなのに世の人が皆車に乗り鳥を射ているのはなぜか。ため木で曲がりを正す方法が用いられているからである。ため木に頼らずにひとりでにまっすぐな矢や丸い木があったとしても、腕のいい職人はそれを貴ばない。なぜなら、車に乗る者は一人ではなく、射る矢は一本ではないからである。賞罰に頼らず、ひとりでに善い民を当てにすることを、明主は貴ばない。なぜなら、国の法は失ってはならず、治める相手は一人ではないからである。

解説

顕学篇の中でもとくに有名な「隠栝」の比喩の一段です。隠栝は曲がった木や竹を矯正するため木で、ひとりでにまっすぐな矢や丸い木は百代に一つもないが、隠栝を使えば誰でも矢や車輪を作れる。同じように、自ら善を行う人は十人もいないが、法と賞罰を使えば一国全体をそろえられる、と韓非は説きます。たまたま良い素材があっても、職人はそれに頼らない。数多く作らねばならないからだ、という指摘は、統治を大量生産の論理でとらえる発想です。今の組織でも、優れた個人に頼るのではなく、誰がやっても一定の品質が出る仕組みを作れという教えとして生きています。

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