韓非子 / 説疑第四十四
又曰:「以今時之所聞,田成子取齊,司城子罕取宋,太宰欣取鄭,單氏取周,易牙之取衛,韓、魏、趙三子分晉,此八人者,臣之弑其君者也。」姦臣聞此,蹷然舉耳以爲是也。故内搆黨與,外攄巷族,觀時發事,一舉而取國家。且夫内以黨與劫弑其君,外以諸侯之權矯易其國,隱正道,持私曲,上禁君,下撓治者,不可勝數也。是何也?則不明於擇臣也。記曰:「周宣王以來,亡國數十,其臣弑其君而取國者衆矣。」然則難之從内起與從外作者相半也。能一盡其民力,破國殺身者,尚皆賢主也。若夫轉身易位,全衆傳國,最其病也。爲人主者,誠明於臣之所言,則雖罼弋馳騁,撞鐘舞女,國猶且存也;不明臣之所言,雖節儉勤勞,布衣惡食,國猶自亡也。趙之先君敬侯,不修德行,而好縱慾,適身體之所安,耳目之所樂,冬日罼弋,夏浮淫,爲長夜,數日不廢御觴,不能飲者以筩灌其口,進退不肅、應對不恭者斬於前。故居處飲食如此其不節也,制刑殺戮如此其無度也,然敬侯享國數十年,兵不頓於敵國,地不虧於四鄰,内無羣臣百官之亂,外無諸侯鄰國之患,明於所以任臣也。
新字:又曰:「以今時之所聞,田成子取斉,司城子罕取宋,太宰欣取鄭,単氏取周,易牙之取衛,韓、魏、趙三子分晋,此八人者,臣之弑其君者也。」姦臣聞此,蹷然舉耳以為是也。故内搆党与,外攄巷族,観時発事,一舉而取国家。且夫内以党与劫弑其君,外以諸侯之権矯易其国,隠正道,持私曲,上禁君,下撓治者,不可勝数也。是何也?則不明於択臣也。記曰:「周宣王以来,亡国数十,其臣弑其君而取国者衆矣。」然則難之従内起与従外作者相半也。能一尽其民力,破国殺身者,尚皆賢主也。若夫転身易位,全衆伝国,最其病也。為人主者,誠明於臣之所言,則雖罼弋馳騁,撞鐘舞女,国猶且存也;不明臣之所言,雖節倹勤労,布衣悪食,国猶自亡也。趙之先君敬侯,不修徳行,而好縦慾,適身体之所安,耳目之所楽,冬日罼弋,夏浮淫,為長夜,数日不廃御觴,不能飲者以筩灌其口,進退不粛、応対不恭者斬於前。故居処飲食如此其不節也,制刑殺戮如此其無度也,然敬侯享国数十年,兵不頓於敵国,地不虧於四鄰,内無羣臣百官之乱,外無諸侯鄰国之患,明於所以任臣也。
書き下し
又曰く、「今時の聞く所を以てすれば、田成子は斉を取り、司城子罕は宋を取り、太宰欣は鄭を取り、単氏は周を取り、易牙の衛を取り、韓・魏・趙の三子は晋を分かつ。此の八人は、臣の其の君を弑する者なり。」姦臣此れを聞き、蹷然として耳を挙げて以て是と為すなり。故に内は党与を搆へ、外は巷族を攄べ、時を観て事を発し、一挙して国家を取る。且つ夫れ内は党与を以て其の君を劫弑し、外は諸侯の権を以て其の国を矯易し、正道を隠し、私曲を持し、上は君を禁じ、下は治を撓す者は、勝げて数ふべからざるなり。是れ何ぞや。則ち臣を択ぶに明らかならざればなり。記に曰く、「周の宣王以来、亡国数十、其の臣其の君を弑して国を取る者衆し。」然らば則ち難の内より起こると外より作る者と相半ばするなり。能く一たび其の民力を尽くし、国を破り身を殺す者は、尚ほ皆賢主なり。若し夫れ身を転じ位を易へ、衆を全うして国を伝ふるは、最も其の病なり。人主為る者、誠に臣の言ふ所に明らかなれば、則ち罼弋馳騁し、鐘を撞き女を舞はすと雖も、国猶且つ存するなり。臣の言ふ所に明らかならざれば、節倹勤労し、布衣悪食すと雖も、国猶ほ自ら亡ぶなり。趙の先君敬侯は、徳行を修めず、而して縦慾を好み、身体の安んずる所、耳目の楽しむ所に適ひ、冬日は罼弋し、夏は浮淫し、長夜を為し、数日御觴を廃せず、飲む能はざる者は筩を以て其の口に灌ぎ、進退粛まず、応対恭しからざる者は前に斬る。故に居処飲食此くの如く其れ節せず、制刑殺戮此くの如く其れ度無きも、然れども敬侯国を享くること数十年、兵は敵国に頓れず、地は四隣に虧けず、内に群臣百官の乱無く、外に諸侯隣国の患無し、臣に任ずる所以に明らかなればなり。
現代語訳
姦臣はさらに言う。「今の時代に聞くところでは、田成子は斉を奪い、司城子罕は宋を奪い、太宰欣は鄭を奪い、単氏は周を奪い、易牙は衛を奪い、韓・魏・趙の三氏は晋を分けた。この八人は、臣下でありながら君主を殺した者である。」姦臣はこれを聞くと、はっと耳をそばだててもっともだと思う。そこで内では仲間を作り、外では町の一族を広げ、時機をうかがって事を起こし、一挙に国家を奪い取る。しかも、内では仲間によって君主を脅かし殺し、外では諸侯の権力によって国をねじ曲げ、正道を隠して私的な曲がったことを行い、上は君主を押さえ込み、下は政治をかき乱す者は、数え切れない。それはなぜか。臣下の選び方が明らかでないからである。記録に「周の宣王以来、滅んだ国は数十にのぼり、臣がその君を殺して国を奪った例は多い」とある。そうであれば、禍が内から起こるのと外から来るのとは、半々なのである。民の力を使い尽くし、国を破り身を滅ぼした君主は、それでもまだ(自ら戦った点で)賢い君主である。身の立場が変わり位を奪われて、民はそのままに国を人に渡すのが、最もひどい病である。君主たる者は、臣の言うことを本当によく見抜けば、狩りや遠乗りをし、鐘を打ち女を舞わせても、国はなお存続する。臣の言うことを見抜けなければ、倹約して勤勉に働き、粗末な服を着て粗末な物を食べても、国はやはり自ら滅ぶ。趙の先君である敬侯は、徳を修めず、欲望をほしいままにすることを好み、身体の安楽と耳目の楽しみを追い求め、冬は狩りをし、夏は舟遊びにふけり、夜通しの宴を開いて何日も杯を置かず、飲めない者には竹筒で口に酒を注ぎ込み、立ち居振る舞いが慎み深くない者や応対が恭しくない者は目の前で斬った。このように居住や飲食に節度がなく、刑罰や殺戮に限度がなかったが、それでも敬侯は国を数十年保ち、兵は敵国に敗れず、領土は四方の隣国に削られず、内には群臣百官の乱がなく、外には諸侯や隣国の患いがなかった。臣を任用するすべに明らかだったからである。
解説
関連する章句
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『韓非子』説疑第四十四若し夫れ周の滑之・鄭の王孫申・陳の公孫寧・儀行父・荊の芋尹申亥・随の少師・越の種干・呉の王孫頟・晋の陽成泄・斉の竪刁・易牙、此の十二人の其の臣為るや、皆小利を思ひて法義を忘れ、進みては則ち賢良を揜蔽して以て其の主を陰闇にし、退きては則ち百官を撓乱して禍難を為す。皆其の君を輔け、其の欲を共にし、苟くも一説を王に得れば、国を破り衆を殺すと雖も、為すを難しとせざるなり。臣有ること此くの如くんば、聖王に当たると雖も尚ほ之を奪はれんことを恐る、而るを況んや昏乱の君、其れ能く失ふ無からんや。臣有ること此くの如き者は、皆身死し国亡び、天下の笑ひと為る。故に周の威公は身殺され、国分かれて二と為る。鄭の子陽は身殺され、国分かれて三と為る。陳の霊公は夏徴舒氏に身死す。荊の霊王は乾谿の上に死す。随は荊に亡ぼさる。呉は越に并せらる。知伯は晋陽の下に滅ぶ。桓公は身死して七日収められず。故に曰く、諂諛の臣は、唯だ聖王のみ之を知り、而して乱主は之を近づく、故に身死し国亡ぶに至る。
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『韓非子』説疑第四十四故に人臣為る者は家を破り賥を残して、内は党与を搆へ、外は巷族に接して以て誉を為し、陰約を従へ結びて以て相固め、虚しく相与ふるに爵禄を以てして以て相勧む。曰く、「我に与する者は将に之を利せんとし、我に与せざる者は将に之を害せんとす。」衆其の利を貪り、其の威に劫かさる。「彼誠に喜べば、則ち能く己を利し、忌怒すれば、則ち能く己を害す。」衆帰して民之に留まり、以て誉国に盈ち、発して主に聞こゆ。主其の情を理むる能はず、因りて以て賢と為す。彼又譎詐の士をして、外は諸侯の寵使と仮為せしめ、之に仮すに輿馬を以てし、之を信にするに瑞節を以てし、之を鎮むるに辞令を以てし、之に資するに幣帛を以てし、諸侯をして淫らに其の主に説かしめ、微かに私を挟みて公に議す。使ひ為る所の者は、異国の主なり。談を為す所の者は、左右の人なり。主其の言を説びて其の辞を辯とし、此の人を以て天下の賢士と為すなり。内外の左右に於ける、其の諷一にして語同じ。大なる者は身を卑くし位を尊びて以て之に下るを難しとせず、小なる者は爵を高くし禄を重くして以て之を利す。夫れ姦人の爵禄重くして党与弥衆く、又姦邪の意有れば、則ち姦臣愈々反りて之に説きて曰く、「古の所謂聖君明王なる者は、長幼世及して以て次序するに非ざるなり。其の党与を搆へ、巷族を聚め、上に偪り君を弑して其の利を求むるを以てなり。」彼曰く、「何ぞ其の然るを知る。」因りて曰く、「舜は堯に偪り、禹は舜に偪り、湯は桀を放ち、武王は紂を伐つ。此の四王は、人臣にして其の君を弑する者なり、而して天下之を誉む。四王の情を察するに、貪得の意なり。其の行を度るに、暴乱の兵なり。然れども四王自ら広く措きて、天下大と称し、自ら名を顕して、天下明と称す。則ち威は以て天下に臨むに足り、利は以て世を蓋ふに足り、天下之に従ふ。」
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